「病気になっても、その経験は無駄では無かった」byあかいとり

初めまして。あかいとりと申します。
略してとりさんとも呼ばれることもあります。
人生のほぼ半分を色々な精神の病と共に生きてきました。
私が育った家庭は、父は子供に無関心で自分の遊びを優先する、母はお金に対してうるさく、ヒステリーな性格。
今は母と二人暮らしです。
今、あることを実行するため、情報収集をしています。

のこ太
あかいとりさんよろしくね‼
のこ美
あかいとりさん…
動物がお好きなのね💛

1. わたしの人生軽く過去を振り返り、自分の中でも整理したいと思います。


幼少期
幼稚園時代は幼馴染がおり、毎日のように遊び、駆け回っていました。
自我があったのかは覚えていません。

小学生
1年生の時は友達ができませんでした。
そのことは、両親には言えず、毎日のように仮病を使い、保健室にいました。
小学生3年生の時、初めて友達ができました。
小学生4年生の時、父が子猫を連れて帰っており、初めて動物を飼うという生活を送ることになりました。
この猫の存在が私の将来を考える一手になります。
しかし、この頃から両親の様子がおかしくなり、母は私と妹の部屋で寝るようになります。
父のアルコール量やたばこの量も増えていました。

のこ太
動物との最初の出会い
人生を変える大切な出会いだね👍

中学生
学業はそこそこで、部活はバドミントン部に入り、毎日のように運動しておりました。
友達も多くでき、男女関係なく仲がよかった学年でした。
しかし、基本私は聞くことが専門の人間になっており、その上、表情がなく、無表情だねと言われていました。
私はこの頃から、笑い方がわからなくなってしまったのです。

のこ蔵
学校での人間関係は良好だったようですが
一体何があったんですかな❓

それは、両親の夫婦喧嘩がますますひどい状態になっていたからです。
父は、アルコールが入ると大きな態度に出る人間、母は私たち姉妹の感情を無視する人間でした。
そのころから、私も夫婦喧嘩に参加しておりました。
父にはアルコールを減らせと、母親側について意見を言っていました。
こんな喧嘩を見せるくらいなら離婚してくれ!と、私は両親に訴えました。
私自身、15歳前後といえば反抗期に入っていておかしくないのに、それすら体験させてもらえなかった時代でした。
高校受験と並行しながら、家では両親の姿を視界に入れるのは、結婚というものを幻滅させるのに十分なことでした。
そして自ら、いい子でいる、手のかからない人間を演じはじめたのかもしれません。

のこパパ
家庭環境の問題が相当ストレスになっていたみたいだなぁ
帰る場所にストレスがあるというのは辛いことだな…

高校生
私の高校受験の終わりを待ち、両親は離婚しました。
父もだけれど母もまた、毒親だったと気づくのはそれから何十年後のことでした。

のこママ
思春期に両親が離婚するのは相当ショッキングな出来事ね💧

高校は都立に進み、校則はほぼ無し。
自由な校風でした。
部活は、漫画・イラスト研究部に入部して、これがきっかけでBLの世界を知り、夢中になりました。
アニメも見るようになり、幽遊白書の蔵馬役を演じていた、緒方恵美さんの声に惚れました。

のこ美
自分の好きなことに目覚めて高校生生活をレッツエンジョイね🎵

それと同時に、母からはバイトをしたら?ということを勧めてきました。
高校1年のころは、定期代など出してくれていたけれど、私がバイトを始めたのをきっかけで、一切金銭をもらうことはありませんでした。
このことを理解した私は、できるだけお金をかけないようにする。
この頃のこだわりは、漫画などのみでしたので、古本を買うなどで出費を抑えていました。
それでも、母に反抗するという考えはなく、私は当然のように受け入れていました。

のこ爺
若いうちからお金のことを気にせにゃならんのは辛いのぅ…

専門学校
専門学校は、動物看護士として動物病院で働くための学校に入学しました。
真面目が一番、と思っている私にはサボることなど考えることはできない、融通がきかない性格でした。
2年間のうち、動物病院に研修として5か所、通算50日体験しました。
現場を肌で感じるのはいい経験でした。

のこ蔵
真面目なのはとても良いことですが
過ぎたるは猶及ばざるが如しとも言いますからな❗️
何事も丁度良いのが一番ですな❗️

そして、新たな家族にチンチラという種類の動物を迎え入れました。
ペットショップで売れ残りの子で、お店側はゲージや回し車を付けてくれるサービスぶりでした。
バックヤードでお世話をされていた子で、オスが欲しかったのですが、メスでしたがその子を選びました。
メスで怖い病気は子宮蓄膿症なので、避妊手術をしてもらいました。
この子は約20年生き、私の人生の半分一緒に生きてきました。

のこ婆
20年も生きたの❗️
すごいわねぇ大切に育ててたのねぇ

社会人

通勤に1時間半かかる動物病院にアルバイトとして入社。
朝は9時から夜は19時が基本の診察や手術時間でした。
しかし、命を預かる仕事ですし、動物の扱い方を間違えれば、噛みつかれる職場です。
そこはオールマイティーが求められるので、入院している動物の世話をしながら、診察の補助に入り、かかってきた電話を受け、受付や清算、処方された薬づくりなど多岐に渡る仕事です。
同時進行する作業は苦ではなかったので、毎日少しずつ仕事を覚え、動物にかかわれる仕事は、私にとって天職でした。

のこパパ
マルチタスクで大変そうな業務だけどやりがいをもって働けていたんだね
素晴らしいことじゃないか❗️

問題が労働時間でした。
大抵の動物病院は、昼の12時から夕方の16時まで休憩となっておりますが、その時間は手術や大掛かりな検査の時間に当てられ、ゆっくり休んでいる時間ではありません。
手術が2件入っているなどざらで、手術の準備、手術、後片づけ、滅菌にすごく気を遣うので大変です。
昼ご飯を食べる時間は大抵、15分~20分。
あとはすべて立ち仕事です。
ここまでで、最低10時間を週に5日でのシフト。
夜の19時以降の手術の場合やら遅番もあったので、残業で2,3時間は当たり前でした。

のこママ
好きな仕事でも激務だから心身にはかなり負担がかかっていたのね

そして2年が経ち、立場は正社員に昇格しました。
しかし、精神の限界がきた兆候は6月に入ってすぐに見られました。
最初は食欲不振で、お昼はプリンやヨーグルトのみが1か月ほど続きました。
次は自分では気づいていなかったけれど、仕事中、ぼーっとしていることが見られたようで、院長にやる気がないなら帰れ!と、言われることもありました。
そのうち、自分自身でも思うように体が動かなくなり、これはおかしいと思い、自ら精神科の門をくぐりました。
診察の結果、うつ病と強迫性障害と診断がくだり、入院を勧められましたが、断固拒否をし、自宅療養を選択しました。

のこ太
初診の時はやっぱり受け入れられないよね…💧

投薬を始めてから1か月ほど、布団から起きることもできず、食事はコーンスープやプリンのみ。
睡眠薬にも慣れず、夜中にトイレに行くまでに4回ほど気を失っていたそうです。
その記憶は、私にはありません。
この時は、母に大変迷惑をかけてしまい、申し訳なく思っています。

そして、私が自宅療養中に、飼っていた猫にも異常をきたします。
まず、目が見えなくなっていました。
そして最後は、自我を無くし、鳴き続けることしかできない状態になりました。
最終的に安楽死を選びました。
動物病院で、命の灯を消えるのを見届けたのは母でした。
私はそこまで付いていける、体力がまだなかったのです。
そして帰ってきた猫は、私がきれいに洗いました。
それが私にできる、最後のことだったのです。
そして、骨に帰し、今は家に安置しております。

のこ美
自分が体調を崩している時に大切なペットが亡くなってしまうなんて…
想像しただけでつらいわ💧

私は、今思うと動物に依存する人間でした。
猫が亡くなって日を空けず、フェレットを飼いたいと言い出していました。
しかし、私が病気になったことで、再び両親が私のために会い、喧嘩ではなく話し合ってくれるようになりました。
フェレットを飼うこと反対したのは母、飼ってやればいいと私を尊重してくれたのは父でした。
そして、父から初めて、ペットショップに私を連れていき、真っ白いフェレットを私に選ばせてくれて、買ってくれました。

のこバブ
いろいろあったけど
この時はお父さんの優しさに救われたバブね✨

社会復帰を目指すため、少しずつ外に出て歩きました。
最初は5分歩けた、歩く距離が伸びるほどうれしかったことを覚えています。
そろそろ動物病院に復帰と思った時、動物病院側から解雇を言い渡されました。
それも仕方ないと思い、受け入れ、ただ失業保険がすぐ受け取れるようにしてもうらうのを条件として出しました。
無職となってしまった私ですが、そこで親なり友達なりに、なんでも相談すればよかったのに、それができませんでした。
基本的な私の性格は、過去を振り返らない、今の状況を受け入れる、そして前進するにはどんなことができるか?を考えるのです。

のこ助
孤高の人っていえばカッコいいけどよぉ
一人でダメな時は誰かに頼るのが大事だよな‼

精神の病ですが、自分が弱ってしまい、体を思うように動けず、寝たきりなどを経験をしている。
ならば、そんな経験をしている私だから、介護職などで、相手と共感できる部分は多いのでは?
という答えに行きつき、まずはヘルパー2級を取得するために、毎日新宿まで講習会に参加しました。
続けて1級も取得できるならばとってしまえ!とさらに半年、週に1回講習会に参加しました。

最初は、またまたネットで知り合った方の紹介で、脳性麻痺の女性の在宅介護のアルバイトにつきました。
週に2回くらいで朝9時から夜21時までの12時間、家事や外出介助などしました。
慣れてくると、お相手のほうが私に依存してしまい、お相手の家の近所に引っ越してほしいといわれ、それは出来ないので1年ちょっとで辞めることに。
次は特養に非常勤で就職しますが、先輩のひとりが私の仕事に対して文句を言い、そして私が話しかけて無視するといういじめ?が原因で3ケ月ほどで退職しました。
そのほかでは、デイサービス2件、グループホームのような老人施設、首から下が動かない方の在宅介護、一通り経験しました。
様々な職に就くまでに、だいたい1年から2年ほどはうつ気味がひどい状態なので、期間は空いています。

のこ爺
自分なりに考えていろいろがんばったんじゃのぅ
立派じゃがやはりなかなかうまくいかなかったんじゃな…

アラサー後半もそろそろ終わりのころに、主治医に無けいれん性通電療法を勧められました。
隣の区に、通院でその療法を受けられる病院があり、試すことになりました。
それは決まった時間に、患者がまとまって順番に受ける方法でした。
療法を受ける患者はまずパッドを当て、ベッドに横になり、点滴がつながれます。
そこから、少量の全身麻酔薬打たれ、頭などに電極を張られ、電流を流さすという療法です。
麻酔を使っているので、もちろん痛みはありません。
週に3回通い、6回で1クールだそうです。
3クールくらいは、この療法を受けましたが、私には効果がなかったようなので、元の病院に戻りました。

アラフォーになり、私は動物が好きだからトリマーの学校に行ったら?という母方のおばの意見で、週に3日通学でいいトリマーの学校を見つけ、そのに1年通いました。
カット用のトイプードルの世話に、カットの練習、そして座学を学びました。
年齢層は広かったけれど、特にトラブルなく学校生活を過ごしました。
トリマーの試験には落ちましたが、最終的に私ははさみを持っていけない人間、というのがわかりました。

しばらくして、主治医のほうから、今使用している睡眠薬の量が多いので、薬の整理をするために入院してほしいと伝えられました。
当時使用していた薬の量は、今の量に比べるととても多く、強い薬ばかりでした。
そのことに私自身も納得し、入院を決意しました。
ただし、入院する病院は私が決めました。
私の入院する病院の条件は、開放病棟であること、で探していました。
住んでいる近くの大学病院が当てはまったので、そこに入院をしました。
新たな病院で診察をしてもらい、入院のことを伝えて、割と早くに入院できました。

のこ太
やっぱり体調改善するにはお医者さんの指示に従うのが近道だと思うよ👍

これからが私の睡眠との闘いでした。
入院当日の睡眠薬は、睡眠薬ではなく、薬の副作用で眠くなるようにする薬でした。
医師からは、1日くらい眠れないくても大丈夫。と言われた記憶があるような。
私が最低限の薬の量で眠れるように、調整するまで3か月の入院が必要でした。
入院していた時は、特にうつなどの感情の乱れはなく、問題の睡眠だけで収まりました。
しかし、退院後はまったく外出しない状態が3年ほど続きました。
外出は、精神科のみ。
部屋の整理もせず、汚部屋状態でした。
本は通販を利用すれば買えるので、本の山がどんどんできていきました。

のこ助
3年も⁉俺じゃ考えられないぜ‼
部屋汚いのは同じだけどな💧

そして、私に転機が訪れました。
ふと、部屋の整理をしようと思いつきました。
それからの私の行動は早かったです。
まずは、本の整理から始め、いる本といらない本に分けて、本の宅配買取業者に送るのを繰り返します。
今まではベッドを使用していましたが、邪魔な物として粗大ごみに出しました。
そして、一時期メルカリなどで古着を買うことに夢中になってしまい、無駄遣いをしてしまった時期がありました。
全く着ない服も、処分し始めました。
好みでなくなった、サイズが合わないなどで、ごみ袋15袋分は出ました。
ゴミとして出した服は、区が古着類の回収ボックスを設置してある場所を知っていたので、そこに出してきました。
部屋を整理整頓し、いらない物を処分することにより、引きこもりから徐々に外に出るようになりました。

のこママ
部屋も心もリフレッシュ✨
新たなスタートをきる良いきっかけになったわね

しかし、生活リズムは崩れたままでした。
夜は、薬を飲まなければ眠れないのです。
平気で徹夜をし、やっと次の日の夜に薬を飲んで寝ていました。
睡眠時間もバラバラで、この状態から脱出したいと思い、情報を探しました。
今現在、通所している場所を探して見つけたのは、平成30年9月でした。
色々な手続きをし、平成30年10月から通所の許可がおり、今は週に3日通所しています。
社会に接点ができて、生活リズムが整ってきました。
主治医からも、半年前とは大違いだね。と言われました。
最近の病名が、うつ病から解離性障害になったのは、長年の症状を診察してくれた医師だからかもしれません。

のこパパ
人や社会との摩擦が原因で発症したわけだが
そこから回復するのに必要なのも人や社会との交わりということだな

そして近い将来、グループホームでの一人暮らしを検討中です。
通所しているスタッフさんの力などを借りて、自立を目指すことにしました。
母との距離をとるにも、これが一番いいと思っています。
最近できるようになったことは、人に頼ること。
一人で抱え込まず、話せる相手を見つけることが大切だと、ようやく理解しました。

のこ太
時間はかかったけど大切なことに気づけたんだね‼
きっとこれからはもっとよくなるよ‼

2. どんな精神・発達障害を抱えていますか?

 2.1. いつから精神・発達障害を抱えているのか?


私が精神の病では?と疑ったのは今から18年前の22歳の時でした。
診断結果名は、うつ病に強迫性神経症。
そして、診断はされていませんが、自分がアダルトチルドレンかもしれないと思っております。

 2.2. どのような症状?

ハイテンションな時は、何でもできる気がしており、様々なことにチャレンジするのにためらいはなかったです。
逆に落ちてしまうと、身動きが取れなくなり、寝たきりの場合が多かったです。
運動不足にもなり、肥満になりました。

のこ太
双極症にも似た症状だね

3. 精神・発達障害でこれまで大変だった事

うつ病から始まった私の病ですが、これまで生きてきたことの記憶の半分も覚えていないことです。
それについては、覚えていなくても必要ないと割り切っているので支障はないですね。
逆に表現すれば、過去の記憶を持つことで、自分が苦しんでしまうかもしれないという危機感から、故意に消しているかもしれないです。
そして、なにかにつまづいてしまうと、すぐにそこから逃げ出してしまうことです。
アルバイトをしたとしても、人間関係などで何かあると、もう無理になって動けなくなり、自分の世界のみを作って逃げてしまうのです。
太ももをカッターで傷つけたり、しゃべれなくなったり、人の視線が気になり、自分の視線をどこに持っていけばわからなくなったりしました。
今の病名は解離性障害となっておりますが、確かに、自分なのだけれど他人を見るようにいる自分がいることがあります。

のこ爺
わしも最近記憶がないことが多いんじゃが
それとは全く質が違うようじゃのぅ💧

4. 今現在どんな治療を行なっている?

2週間に一度の診察と、投薬が中心です。

5. わたしの日々の過ごし方

10月から自立訓練事業のセンターへ、週に3日通所しております。
そこに通所することで、朝は起き、夜は寝るという生活リズムを作っています。
そして、ひきこもってしまい、すべての友達との連絡を絶ってしまったので、新たな知人、友人作りなどで人との交友関係を作っていきたいです。
今でも読書が好きなので、よく本を読んでいます。
雑食なので、本のジャンルは興味があれば読んでいます。

のこ美
読書が好きならきっと趣味があう人もたくさんいるわ
どんどん友達作っていきましょ♫

6. 今の目標

母の元を離れ、一人暮らしをすることです。
そのため、情報を集めています。
そして時間をかけて、自立訓練事業のセンターへの通所の日数を週5日まで増やすことです。

7. わたしにとって回復に役立ったと思う活動

病を体験し、動けるときに様々な経験をしたことです。
経験をし、その過程を自分なりに考え、納得して、自分自身を肯定してあげることです。
私が回復に近づいたのは、様々な成功や失敗、両方経験して客観的に、自分の行動を受け入れることができるようになった、つい最近のことです。
自分が使っている部屋を、きれいな状態を維持しようと思っているときは、感情が落ち着いていると自分でもわかるようになりました。

のこ蔵
知識を身につけ経験をもとに客観的に自分の状態を分析する…
体調を改善するのに大事なことですな‼

8.逆にわたしにとって病状を悪化させたと思う活動

自分の100%の力で物事にあたってしまう癖が抜けないことです。
動けるときに動きまくってしまう癖が抜けませんでした。
リラックスし、ストレスをストレスとして感じない、鈍感な心を無視してまで行動してしまうのです。

9. こんな活動しています!


平日は、自立訓練事業のセンターに週3日通所をしています。
休日で、ばなうたさんのオフ会と重なれば参加したいです。
毎日、mixiでその日感じたこと、行動を書いています。

10. 繋がろう!!

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