「自他ともに認める壮絶な人生からのリスタート」byあやのママ 

 

(2018年12月 診断名変更のため大幅に内容修正)

はじめまして。あやのと申します。
私は発達障害の一種の”自閉症スペクトラム(旧称:アスペルガー症候群)”と、その二次障害で”双極性障害Ⅱ型”を患っています。
私のこれまでの人生どんなことがあったか、
そしてこれからどう社会で生きていきたいと考えているのか
しばし、お付き合い下さい。

のこ太
あやのさんよろしくね‼

1. 私の人生

1.1. 誕生

私は、平成6年の冬にそこそこ田舎の町の一家の長女として48時間の長い陣痛の末に3460gで生まれました。
父と、母の3人暮らしでした。
両家にとっても初孫だった私は誕生をとても喜んでもらえ、たくさんの写真を残してもらえました。

のこママ
48時間の陣痛⁉それは大変だったわね‼


私が1歳になる頃、父の生家に引っ越し、成人して家を出るまで家族7人の大所帯で育つことになります。
2歳になる1週間前には、妹も誕生しました。

妹は、いわゆる「きょうだい児」としてたくさん苦労をかけてしまいましたが
今では仲が良く、密に連絡も取り合っています。
妹なしの人生なんて、想像もつきません。

のこ婆
姉妹2人で乗り越えてきたのねぇ
ステキな姉妹愛だわぁ

と、普通はここで「3歳で幼稚園に入園して~」となりますが、私は幼稚園へは年中さんへあがる頃に入りました。
こだわりが強く、トイレトレーニングが終わらずオムツをつけたまま入園はできませんでした。
少しのことで大きなかんしゃくを起こしていたらしく、この頃の母の苦労は相当だったと今でも話してきます。

のこバブ
バブー‼
僕もまだオムツはいてるバブー🎵
のこママ
喜んでる場合じゃないでしょ‼

幼稚園年長の頃。よく問題を起こすのでいつも隣には先生がいました。

小学校へは、地元の公立へ進みました。特に勉強につまづくこともなく得意の音楽の授業では、ピアノを習っていたからか持っていた絶対音感を生かして当時流行っていたCMソングをピアニカで吹いて周囲から注目を浴びるなど、むしろ楽しく過ごしていました。

のこ美
絶対音感カッコいいわ💛

ただ、些細なことで手がつけられないほどのパニックを起こして、度々連絡帳に担任の先生からの書き込みがあったことは、今も記録に残っています。

 

1.2.小学校高学年 いじめのターゲットに

そんな私ですが、高学年になると徐々に違和感を覚えることが多くなります。
まず、女の子たちの話の内容がわからない。
「AちゃんとBちゃんは仲良しなのに、どうしてCちゃんにAちゃんはBちゃんの悪口をニコニコしながら話すの?」
物事を物体として表現されたものでしか理解されず、暗黙の了解がわからない私はAちゃん、Bちゃん、Cちゃんに起こっていることを全て正直に話していました。
裏で、自分がどう言われているかもしらずに。
それが私の正義だ、とまで思っていました。

のこ助
俺も同感だぜ‼
言いたいことありゃ直接言えばいいのにな⁉

そうするうちに段々私は孤立していくようになり、「いじめ」を受けるようになります。
昨日まで仲良くしてくれた子のあいさつの無視、私が話し出すと皆がニヤニヤする、「〇〇菌」と称して皆で手のひらをこすり合わせて遊ぶ、私のよそる給食は受け取ってもらえない。

こんなことは毎日のことでした。

のこ助
んなことして何が楽しんだ❓
お前らの手にも菌ついてんじゃねか
のこ太
そういう問題じゃ…💧
でもちょっとみんなと違うからって汚いものあつかいは酷すぎるよ‼

ところで、話は変わりますが、私は他人へSOSが今でもうまく出せません。
自分のことが許せなくて、何をするにも自信の持てない自分がいて、「助けて」なんて言ったら、笑われて、聞いてくれないのでは、見捨てられるのではないか、などと考えてしまうのです。

1.3.私のおかあさん

少しだけ、私の母の話をします。
決して裕福な育ちではなかった母は、大工として地道に働いた祖父と、そのお給料を堅実に貯金して生活した祖母のもとに、2番目の長女として生まれました。
昭和の時代ですから、女は家庭のために生きて長男を立てる。兄であった伯父との差別を露骨に受けて育った母は歪んだ愛情を信じて疑わず、今でも祖母を尊敬しています。

のこ爺
古い考え方だったんじゃのぅ
わしが言うのもなんじゃけど

母は、とにかく私を心配していました。かんしゃく持ちで、こだわりが強い私が絶対に社会で傷つかないように、大きな母性がそこにはあるように見えました。
だから私は、母が私が友達と交換する手紙や交換ノートを覗いても、勝手に内容を黒マジックで塗りつぶされても、「この内容はお母さんは見たくないから消しました。」と言われても、それは母が私を守ってくれていると信じて疑いませんでした。
「あやののことは、お母さんが一生面倒見ていくつもりだからね」
今でもそれが母の口癖です。とっても息苦しいです。
いわゆる「毒親の連鎖反応」だと私は思っています。毒親の母もまた、毒親の祖母に育てられたのです。
過剰なくらい心配性の祖母と過干渉の母、不動産会社を経営している父は不在がち。
父の会社を心配し、世間体ばかり気にする家族にいじめられているなんて言えなかった。

のこママ
我が子を守るつもりが逆に閉じ込めてしまっていたのね…
私も気をつけなきゃ

1.4.中学生 精神科へ行く

いじめもうまく解決しないまま私はそのまま地元の公立中学校へ進学しました。
相変わらず、お弁当の日は誰にも輪に入れてもらえず先生に保健室へ連れていかれたり、登校すると机の上にゴミが乗っかっているような生活でした。

ある日、一緒に保健室にいた先輩からこんな言葉をかけられました。
「リストカット、って知ってる?」
初めて聞いた言葉でした。一度知りたいと思ったことは全て知り尽くしたいと考える私は根掘り葉掘り先輩にやり方から何まですべて教わりました。
そして、興味を持って数日後、些細な親子喧嘩をした時に、実行してみることにしました。
その時のことは、もうあまり覚えていません。

のこパパ
多感な時期に知らなくていいことを知ってしまったんだな

この頃に私は、養護教諭の勧めもあり、初めて両親と精神科を受診しました。
最初の病名は「適応障害」で、抗不安薬と漢方薬を1種類ずつ処方されていました。

のこパパ
中学生の時に初診を受けたんだな
でもこの時は自閉症スペクトラムとは診断されなかったのか

1.5.高校生 ゆがんだ恋愛

高校に進学し、いじめから離れた私は、たくさんの恋愛と触れてきました。
厳しい両親に育てられ、ほめて貰えることもなく、幼い頃から愛に飢えて、心から必要とされたことのない私。「好き」と言ってくれた相手には、信じてすぐに付いていきました。
「今すぐ愛されたい」「私を満たして」そう考えながら。

のこ美
いじめからも解放されたことだし
これからは恋愛も楽しまなきゃね❤

自分を必要としてくれる恋愛は本当に心地の良いものでした。
人と話すことが好きで、ネチネチしたことが嫌いな私にはいつも周りに男性がたくさんいました。
周りの男性の中から関係を持ってくれる人を選ぶこともそう難しいことではありませんでした。
たとえ青あざが絶えないほど殴られても、夜中じゅう「死ね」と罵倒されても、私が彼のストレスのはけ口になれているなら、痛くても安心できた。
たとえ父親より年上の男性に抱かれていても、そこに愛はなくても、その時だけでも好きだって言ってくれたのが快感だった。
たとえ、左手薬指に指輪のある人でも「本妻より私が好き」その言葉で勝ち誇った幸せに酔いしれていました。

のこ美
え…あ……な、なるほど……💧

この頃は気持ちが落ち込んでいると、すぐに男性のもとに行って慰めという名の体の交わりを繰り返していました。
さみしかった。愛されたかった。必要としてほしかった。ただそれだけだった。

高校時代。小さな学校だったので学年のみんなが友達でした。

高校3年生で今後の進路を考えたとき、在籍高校での成績はよかったので漠然と大学へ進学することに決めました。AO入試を使っての受験を決め、発達障害由来の過集中を発揮し興味もない分野のレポートをA4紙5枚分2日でまとめあげて、クラスで一番早くに大学への合格を果たしました。

のこ蔵
勉学も順調だったようですな‼
2日でレポート完成とは凄まじい集中力‼

1.6.大学生 学生らしい生活

大学では、社会福祉系の学部に進学し、心理学を専攻しながら社会福祉士の資格を目指していました。
また、卒業と同時に飲食販売店のバイトにも採用されて、ここからは順風満帆に人生が進むと思っていました。まさかここからの人生が自他共に認める壮絶なものになるとは知らずに。

大学に入学した私は、さまざまなものに手を出します。ボランティアサークルに入り精神障害者のサロンの手伝いや発達障害児向けの支援、子どもたちの遊び場の手伝いなど、毎週末はボランティアの予定をいれていました。
そして、高校でも軽音楽部だったことから大学でも軽音サークルへ入り、たくさんのバンドに誘ってもらいました。
新しい彼氏もできて、まるで自分の人生を生き急いでいるかのように、今までの自分を忘れ去るかのように、ただがむしゃらにのめりこんでいきました。

のこ太
ここまでは順風満帆そうだけど..

当時の私の恋愛感は「自分を一番に構ってくれなかったら冷めて次へいく」スタイルで半年単位で彼氏が変わっていました。今考えるとよくそんなにモテたなぁと自分に関心するくらいです。
そして大学1年生の2012年12月24日、11歳年上のバイト先の店長と交際を始めました。
後の夫に、娘の父親にあたる人物です。

1.7.大きな出会い

彼には離婚歴がありましたが、子どもはおらず金銭面にも余裕があると言っていました。
デートはすべて彼のおごり、毎回デートするたびに高価な商品のプレゼント。
不安になりながらも、愛と受け止めどんどんのめりこんでいきました。
そんな彼もまた私にどんどん浸かっていき、不安定な時は一緒に同じ場所の腕を切りあって血液をこすり合わせたりしていたことが、あのころは本当に幸せでした。

のこママ
なんて官能的なの❤
あ、コラ‼バブちゃんは見ちゃダメ‼
のこバブ
バブー⁉後学のためにみておきたいバブ‼

2013年4月、異変が起きます。彼が仕事に行けなくなりました。体が動かず気持ちが下降ぎみに。心配して精神科へ連れて行くと「うつ病」と診断され、彼は職を失いました。
職を失った彼は、金銭を手に入れようとクレジットカードの限度額をぎりぎりまであげて100万円単位の金属を買い、それを売って現金にしていました。
私はそれをただ横で泣きながら見ることしかできませんでした。当時未成年で、社会の分別もわからなかった私が何も彼に言えることはなかった。
「あやのと一緒に乗りたいから車を変えたんだ」と無理なローンを通し車を買い替える彼に私は笑顔で感謝を伝えるもこの人と一緒にい続けていいのか不安も生まれていました。

のこパパ
彼氏さんも精神病になってしまったのか
これは大変なことになった

そして大学2年生の夏休みを終えた私は大きな決断をします。
大学を中退し、彼の支えになり、フリーターになりながら収入を彼に送金したのです。
と同時期に、障害者手帳3級を取得し、手帳取得のために受けたWAIS(知能発達検査)にて、発達障害があることが発覚しました。

のこ美
彼氏さんのために頑張ったのね
のこ爺
支えになろうと思った矢先に自分の障害も発覚するとはのぅ

年は明け、2014年に。彼の借金は200万円を越え、公共料金が払えなくなりどんどん鬱状態へと戻っていきます。
忘れもしない私の20歳の誕生日、「一緒に死んでくれ」と彼からLINEが入ります。
怖かった。不安だった。私のせいで死んでしまうとただそればかり考えました。
でも、「これで親の過干渉から逃げられる」その気持ちもあった。
私は荷物をまとめて家族に何も言わず彼の住むアパートへ行きました。このまま同棲生活のスタートです。

のこ婆
ギリギリまで追い詰められていたのねぇ
二人とも生きてて本当によかったわぁ

1.8.同棲生活と仕事

まず、翌日までに3ヶ月分の料金(約2万円)を払わないと止まってしまうガス代をどう工面しようかと考えたときに、貯金も学歴もない私が手っ取り早くお金を手に入れることを考えた結果、水商売を始めることにしました。
全く縁の無かった世界。何も想像がつかない世界、何もわからない環境の中飛び込んだ仕事は意外にも楽しくて仕方なくて、タバコのつけ方、グラスを変えるタイミング、話し方などひたすらお客さまへのマナーを学んで接客しました。その結果、入店2ヵ月後には場内指名1位を獲得。借金を返すことよりいつしかお店で結果を出すことが私の生活の生きがいになっていきました。

のこ助
入って2カ月で1位⁉スゲーな‼
スーパールーキーの誕生だぜ‼

一方、同棲生活ではお肉やお菓子も食べられないほど貧乏で、半年で10kg体重が落ち、頬はこけてガリガリになったけど、実家での支配下より全然幸せな生活でした。
私が働いている間、彼はパチンコにはまり、借金を作っていたので元金は全く減ることはなかったですが・・・。

水商売が順風満帆だった頃、体調に異変が発生します。妊娠していることがわかりました。

のこ蔵
な、なんと⁉

1.9.初めての妊娠

妊娠検査薬を持つ手は恐怖で震えていたけど、陽性が出た時はふたりで抱き合って喜びました。
「できちゃった婚」をして出産するつもりでした。

しかし、実家の両親へ報告すると「堕胎しなさい」「誰も幸せになれない」「今ここで諦めると言いなさい」と言われました。自分が親になった今ではあの頃の両親の気持ちも少しは理解できますがやはり言われたことは忘れられません。

のこ爺
状況が状況だけに親御さんが反対するのもわからんでもないがのぅ…
新しい命の誕生は喜んでもらいたいもんじゃ

それでも産みたくて、ひとり説得を続けていましたがある日彼から「親には勝てない。おろしてくれ」と言われ、一人で育てる覚悟が持てなかった私は中絶の同意書を貰いに行きました。
同意書にサインもして、手術前のエコーを行ったときに、胎児の心拍が消失していることがわかりました。稽留流産です。
おなかの赤ちゃんは、中絶をする前に自ら天へと帰っていきました。
この出来事から現在4年が経過していますが、今でも出産予定だった日と手術日には供養にひとりで行っています。私の人生から絶対に無くしてはいけない出来事だと思っています。

のこママ
せっかく授かった命を亡くす
とても辛かったでしょうね…

1.10.仕事復帰

術後1週間検診が終わったその日から私は水商売へ復帰していきました。
すべてはおなかにいたあの子に恥じない生き方をするように、と今まで以上に休みを減らしがむしゃらに働き、水商売の繁忙期といわれる12月には店内1位をいただきました。
この頃には彼の自己破産の申請もすべて終了し、新たな節目がスタートしようとしていました。

のこ太
気持ちも状況も整理して新たなスタートだね‼

私は、水商売で働くうえで指名客をはじめとしたお客さまが大好きでした。もちろん嫌な人もいたけど、それ以上に色んな知識をくれたり、話を聞いてくれる優しいお客さまが大好きで、ひとりひとり接客する際には恋愛感情に似た感情を抱いていました。
その一方で、どんどん進む彼との結婚の話。私は婚約者のいる身で何をしているんだろう。そんな思いが日に日に大きく重くのしかかり、ついにはお酒も飲んでいないのに仕事中に記憶がなくなることが多くなりました。店で意識を失い、彼に迎えに来てもらったことさえもありました。
解離性障害の発症でした。
この頃、彼も「うつ状態」から「2型双極性障害」へ病名が変更になりました。

そんな中、2015年1月23日に彼と結婚しました。

のこ美
結婚おめでとう㊗‼
ドレス姿素敵だわ❤

1.11.結婚生活と解離症状

結婚したあとは、けじめとして水商売をあがりました。彼も再就職から1年が経過し、安定した生活を送れたかと思いきや、私の解離症状はどんどんひどくなります。
毎日のように新居の賃貸アパートで壁に穴があくほど大暴れし、警察が来て署の保護室のようなものに入れられたりということが続きました。
アパートの管理会社から騒音による退去命令が出たことをきっかけに、自分から入院したいと主治医に申し入れて、閉鎖病棟へ入院します。

のこパパ
旦那さんが復活したと思ったら今度は自分が
苦労が続いて大変だなぁ

1.12.入院生活

入院生活はスマホの所有禁止で、SNS依存症だった私は気がおかしくなりそうでしたが夫と同じ「双極性障害」をかかえた破天荒に明るいおじさん(その方は1型でした)と仲良くなったのをきっかけに病棟の人脈が広がりました。OT(作業療法)でカラオケをして周りの患者さんに歌を褒めてもらったり、昼間は仲間たちで折り紙をして、夜は消灯時間ギリギリまで当時流行っていた「恋仲」を観て話をして看護師に怒られ部屋に戻るという生活を送っていました。
この入院を通して私の抱いていた閉鎖病棟のイメージは大きく変わり、病名は違えど精神疾患に向き合う仲間たちと生活した1ヶ月間は本当にかけがえのない期間だったと今でも思っています。
退院の日は仲間たちから祝福の手紙をもらい、号泣しながら帰ったことを鮮明に覚えています。

のこ美
なんだかずいぶん楽しそうな入院生活ね🎵
のこ婆
禍を転じて福と為す
病気になることでつながるご縁もあるものね

年が変わり結婚2年目に入ってすぐ、再び妊娠していることがわかりました。

のこ蔵
なな、なんと⁉

1.13.ふたたび妊娠

わかったときは、何も嬉しくなかった。「あ、また手術か」そう思いました。
今度は実家の両親に報告も「了解しました」それだけで、拍子抜けした。
前回と違い、籍も入っていたし中絶する理由もなかったので出産に向かうことにしました。

のこママ
おめでたいことだけれど
前回のこともあって喜べないのね…

妊娠中は切迫流産、切迫早産になるも子どもの生命力は強かったです。
妊娠も性別がわかる6ヶ月頃にもなると健診が楽しみになり、おなかに話しかけこそしないものの、人並みには新たな命の誕生が待ち遠しくなりました。

そして、2016年11月19日。予定日より1週間早く3780gの大きな女の子が生まれました。

分娩は7時間のスピード出産でしたが、弛緩出血という現象を起こし1リットル出血するなど中々の命がけとなった出産でした。

のこママ
よかった‼無事に出産できたのね‼
のこバブ
3780㎏‼とっても元気な赤ちゃんバブね‼

引き続き、病気からくる服薬があったので希望していた「母乳を飲ませる」ことは叶わず、分娩台の上で母乳を止める薬を飲み、そこから1歳で卒乳するまでは完全ミルク育児でした。

生後1ヵ月半までは実家に里帰りし、育児しました。両親も実際に孫を見るとかわいかったのか、すっかり夢中に。慣れない授乳、おむつ替え、沐浴。淡々とこなしていたが、あるひとつの感情が私を悩ませた。
「子どもがかわいくない」母性が全くないのです。
この問題は、1歳半になるまで悩ませることになります。

2017年5月、「子どもがかわいくない」ことに悩み続けた私は抑うつ状態になります。抱っこしないと泣き止まない娘を泣かせっぱなしにしてひたすらベッドに寝続けました。そんな自分にも嫌気が差し、さらに気分の落ち込みを加速させました。

のこパパ
育児しなければという思いに体がついていかなくて自責の念が強くなってしまったんだな

1.14.娘がかわいくない

ある時、耐え切れなくなった私は児童相談所へ電話をかけました。「子どもがかわいくないです。預かってください。お願いします。助けてください」とSOSを出し、職員さんがすぐに自宅へ駆けつけてくださいました。仕事から帰ってきた夫とも話をしてくれましたが、夫は「自分も病気を抱えて妻の面倒を見ることはできないので実家に帰らせてください」と言っていました。
ショックだった。
どんな状況に立ってもふたりで作った子ども。一緒に乗り越えて育てたかった。

のこ太
むぅ…確かにこれはショックだね

両親がアパートへ迎えに来て、私と娘は実家で暮らすことになりました。
夫とは、そのまま一緒に暮らすことなく、そこから7ヶ月の協議と6ヶ月の離婚調停を経て、2018年5月に離婚が成立しました。
娘を守るには、自分を守るには、この方法が正しかったと思っています。

娘はというと、発達障害の母から生まれたとは思えないほど順調に今のところ成長しています。
「保護者の疾病、障害」を理由に2018年4月からは保育園に入園することもできました。

1.15.ママと呼ばれて

娘が1歳7ヶ月に入った頃、発語も増えてきて色々な言葉を発することができるようになりました。
ある日、仕事に行く時に「行ってきます」と娘に声をかけたら「ママ!」と初めて言って、追いかけてきてくれました。
嬉しかった。
こんな私をママと呼んで追いかけてくれるなんて。
産んで初めて、いとおしい気持ちに包まれました。

のこママ
お母さんだって初心者だもの‼戸惑うことだってあるわ
これから母と娘一緒に成長していけばいいのよ👍
のこバブ
バブ‼仲のいいステキな親子になってほしいバブ♫

このページを執筆している時点で、娘は1歳11ヶ月になります。
もちろん、自分が幼少期に育ってきたトラウマが消えることは無く、まだまだ娘に当たってしまうことも多く、自己嫌悪におちいることもあります。
体調にも波があり、育児を家族と保育園に預けきりで「母親失格」とリアルな周囲に言われたこともあります。
けれど、私は必ず、出勤前と帰宅後、「おはよう」「おやすみ」と必ず娘を抱きしめる。それが今の私にできる育児。

これからの私は、周囲を過剰に気にすることなく、自分を大事に大切にしていきながら、ひとつひとつの出来事に向き合っていこうと思っています。

のこ太
病気も過去も受け止めてこれからは自分らしく‼
娘さんと一緒に人生の再スタートだね‼

2. どんな精神・発達障害を抱えていますか?

・自閉症スペクトラム(ASD)
→処理速度(PS)が121、知覚統合(PO)が72と49のIQ乖離がありかなりの能力ばらつきがあります。

(2018年12月21日更新)
・双極性障害(Ⅱ型)
→2018年9月頃より多幸感、意図的な睡眠時間の減少、多弁、攻撃性、易刺激性の過敏、浪費などの軽躁エピソードが出始め、2018年12月初旬のある朝、突然の鬱転。自分はおかしくなったと本気で思い込みかかりつけに急患でかかったところ、以前のカルテと現在の状態から見て「双極性障害で間違いないでしょう」という診断になりました。

2.1. いつから精神・発達障害を抱えているのか?

発達障害は先天的な脳の障害なので「生まれたときから」としておきます。困りごとが多く出始めたのは小学校6年生あたりだったかと思います。

双極性障害Ⅱ型の診断は24歳でしたが、ライフチャート表に書き出すと症状的には18~19歳頃より発現しており、1年に2回のサイクルで躁鬱の波を繰り返しています。
なるべく今後は波を小さくしていくことが目標です。

精神科の初診は中学2年生の11月です。薬もこの頃から継続して飲み続けています。足掛け11年目。もうそろそろ人生の半分は精神薬とのおつきあいになります。

のこパパ
色々な精神病が重複してていて大変だな
服薬も複雑だったろうな

2.2. どのような症状?

【自閉症スペクトラム】
・過敏症状
→聴覚過敏があり子どもの泣き声が本当に苦手です。これは過去のトラウマも関係しているかもだけど。
あと、腰から下も過敏があり、ストッキングやレギンスが履けず、靴下も最低限の着用です。真冬以外はサンダル。
・空気を「過剰に読みすぎる」→結果「空気が読めない」と勘違いされる
→よく「発達障害の人は空気が読めない」と言われます。本当に読めない人もいると思いますが私の場合は他人に話しかけるタイミングやなど非言語的コミュニケーションがうまく読み取れず、その結果不適切な行動やぎこちない言動になってしまい「空気が読めない」と噂されてしまいます。言われるたびに傷ついてます・・・。
・疲れやすい
→人の何倍も気を張り巡らせて生きています。スイッチの切れ方も突然で職場のロッカールームで意識を失い気絶し、救急車のお世話になったことも。病気では全くなくおそらく疲労を感じるスイッチが入りにくいのかもしれないです。風邪などの体調不良も感じにくいです。おおごとになってから気づきます。
・自己主張が苦手、言葉を字義とおりに解釈する
→最近はなるべく自分の考えをへたくそながら言葉でまとめられるように努力していますが、この能力のでこぼこのせいで就職面接などが苦手です。しどろもどろになってしまう。言葉も字義通りに受け取ってしまうので冗談がわかりにくく、すぐにだまされてしまいます。
・見通しのたたないことが苦手
→朝起きた時に1日のスケジュール表をルーズリーフに作ります。予定が急に変わってもパニックにならないように予定は付箋に書いて、すぐに剥がせるようにします。デートも行き当たりばったりのようなコースは苦手で、相手の方には集合した時にメモに一緒に予定を書いてもらいます。ロマンも何も無いですが心の安定が優先です!

のこ蔵
詳しくてわかりやすい説明ありがたいですな❗️
のこ助
人より敏感すぎるってたいへんだな
俺はよく鈍感だなって言われるけどな‼

【双極性障害Ⅱ型】
「軽躁状態」
・「自分はいま、世界で一番幸せな人物だ」と本気で考え、話し方もふわふわし、多幸感につつまれる
→とても幸せな瞬間です。鬱に入るとこの気持ちが恋しくなって泣きます。
・性的逸脱。
→お恥ずかしい話ですが、軽躁期は自分はとても異性からモテると思い込み自分から異性を誘うことも多くありました。結婚時には、不倫未遂も起こしました。
(鬱転時に夫に正直に話し、ショックは受けていましたが許してもらえました。今では本当に反省しています)
・バリバリと働き、Wワークもこなす
→軽躁の私はとっても働き者!過去の軽躁(2016年1月~3月)を例にとると、朝9時から午後5時まで事務のパート、それが終わると家に帰り家事をして夜8時から深夜2時まではキャバクラでアルバイトをして、その間にもお客さまとの連絡や同伴出勤は欠かしませんでした。それが楽しくて、仕方ありませんでした。
2018年11月の軽躁時もガールズバーのアルバイトとWワークで販売職に就こうとアルバイトの面接に行っていました。鬱転したので実際には働きませんでしたが・・。
・浪費
→特にクレジットカード、これはかなり危ないです。発達特性もあってか、見えないものを想像する力が弱く、すぐにカードを切ってしまいます。軽躁時の最高月間請求金額は10万円です。何に使ったかは怖くて思い出せない・・・・・。
・ショートスリーパー
→軽躁期間中の平均睡眠時間は3時間です。寝るのも惜しいと感じ取り、予定をふんだんに詰め込んでしまいます。

「混合状態」(軽躁から鬱、鬱から軽躁にあがる時のマズいサインです)
・攻撃的になる
→元々の性格も、自分にも他人にも厳しい自分です。自分より楽をしている人間を見ると許せなくなり、ドロドロした汚い感情が渦巻いてしまいます。
双極性障害Ⅱ型と診断される前には混合に気づかず、実際に他人に自死を促すような暴言を吐いたこともありました。
・易刺激性が高まる
→例えば、少し目の前の通行人とぶつかっただけで「私の邪魔をするなんてどんな奴だ。殴りたい」という衝動に駆られてしまいます。
・希死念慮
→鬱状態の時ではなく、混合状態のときにあらわれてしまいます。思考力だけが先走ってしまい、「軽躁や鬱で何もかも失った(実際は修復可能)」など
いろんな理由で死を考えてしまうことがあります。20歳の夏には行動(自殺未遂)に移してしまって集中治療室へ救急搬送されたこともあります。
・動悸、手足のしびれなど身体症状
→自分ではパニック障害を疑ったこともありますが、主治医曰く「鬱転の前触れ」だそうです。 症状はパニック障害そのものです。
・解離
→双極性障害Ⅱ型の診断に変わり、解離性障害の診断は一旦外れましたが症状が無くなったわけではありません。
思考がグルグルグラグラしてくると急に記憶が飛んでしまいます。私(主人格)を守ってくれる男性のような交代人格が現れるそうです。

「鬱状態」
・自責
→とにかく関係ないことまで自分のせいで悪いことが起きたと思い込みます。軽躁状態にしたことを責めたり、娘の育児ができない自分を責めて泣きます。
・悲観的になる
→朝起きただけで、朝が来た絶望感に涙します。食事がとれない自分にも涙し、食事の味がしないことにも涙します。
・布団から起き上がれない
→物理的に起き上がれないのです。私の鬱転時には、歩くどころか、座位を保つのも辛くなり、病院の待合室でベッドに横たわらせていただいたこともあります。
頭が重く、胸が苦しくなって、絶望感と自責でいっぱいになって、起き上がれないのです。一点を見つめ、ボーっとして、ただ訳もなく涙が出るだけで、何もやる気が起きません。
・過眠
→ベッドにいることも関連してるのかと思いますが、鬱転時の平均睡眠時間は14時間くらいです。

こういった鬱状態の時は、大好きな音楽にも興味を失ってしまい、長い長い暗いトンネルに入ってしまったような気分で、もがき、苦しむ気持ちになります。

 

3. 精神・発達障害でこれまで大変だった事

やはり発達障害は昔に比べて名前の知名度はあがったとはいえ、まだまだ偏見の強い障害です。SNS上でも「アスペ」というスラングで誹謗中傷を見ると本当に悲しく、不快な気持ちになります。
私が精神科に行き始めた11年前は、まだ田舎では児童精神医療が全く発達していなくて、中学生が精神科に行くというだけで両親が大バッシングを受けていて「育て方を失敗したからこうなった」と学年主任の教師に責められていたと聞いて、親には申し訳なく思っています。

のこ太
認知度はあがってきたけど
ほんとの意味での理解とはほど遠いのが現状だね…

がんばりたいと思っても、やる気があっても、能力と体調が追いつかず早期に諦める→自己嫌悪というのが長年続いていましたが、今はそれを受け入れ、長い人生を少しずつ焦らず歩んでいきたいと思っています。

あとは、20代前半で解離のせいで地元警察に顔と名前を覚えられたことですね・・・・・。

4. 今現在どんな治療を行なっている?

月に2回程度のメンタルクリニック通院と薬物療法で主に治療しています。
今後の展望としてカウンセリングや、アダルトチルドレンの自助グループなんかにも参加したいなぁと考えています。

5. わたしの日々の過ごし方

フルタイム就労をしていましたが、2018年12月の診断名変更により、フルタイム就労許可が下りなくなってしまいました。
2019年はパートをしながら、「秘書検定3級」と、介護の資格である「介護実務者研修」の取得を目標に勉強し、過ごしていきたいです。

趣味はカラオケで、体調の良い時はひとりでカラオケに行っています。昔の歌謡曲から最新曲まで何でも歌います。
ひとり映画鑑賞も好きで2018年は映画館で1年で5本鑑賞しました。

平日の夜と土日は娘との大事な時間。体調が良い日は娘とお風呂に入って娘の大好きな童謡やディズニーの歌を一緒に歌います。
土日は私の両親と行楽地へ行くことも多いです。

平日昼も体調がよければ、のこのこ公園を覗き、Zoomが開かれていれば積極的に参加しています。

のこ美
カラオケいいわね🎵
うたうと元気になるしね‼

6. 今の目標

ここにはまだ書けないくらい大きな目標があります。

そこにたどり着くまでに私自身、体調と生活基盤を整えてどっしりと構えて母として強く生きていきたいです。

広い意味では「こうあるべき」という自分の凝り固まった人生観を取っ払ってこれから生きていきたいと思います。
これからも人同士のご縁を大切にしながら様々な刺激をいただいて自分を形成していきたいです。

のこ婆
今までたくさん周囲のしがらみに苦しんできたんだから
これからは自分らしく自由に生きたらいいわ

7. わたしにとって回復に役立ったと思う活動

活動、ではありませんが「離婚」です。(笑)
私は離婚する前とした後の2018年5月を区切りに性格が180°違うと思います。
離婚する前は家庭に入っていて、就労もしていなかったので自分で好きにお金を使うこともできず、狭い世界で生きていましたが、2018年2月に東京で某イベントに参加してから人脈が大きく広がるようになり、関東圏が身近になって様々なイベントに参加するようになって物事を多面的な視点から見られるようになり「人は人、自分は自分」という思考ができるようになりました。

様々な分野にいらっしゃる方と仲良くさせてもらうのは刺激になり、囲まれた世界で生きてきた私には回復に役立っている活動と考えます。

のこママ
いいわね‼私も家事と旦那から解放されて自由になりたいわぁ💛
のこパパ
…………

8. こんな活動しています!

体調面の不安や、プライベートで抱えているものも多いので特に自分自身から何か発信することはないですが、毎週木曜日の「のこのこバー」には都合がつかない日以外は毎回フルで参加しています。
遠方からですが、金曜日の「ダーツ部」「リアルのこのこバー」にもたまに参加しております。

9.繋がろう!!

ツイッターは個人が特定されるような情報もたまに載せているので鍵が大体かかっていますが、気軽にフォロー申請をよろしくお願いします。 @ATs_libra

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