「ミュウツーになれなかったけど今楽しく生きてる」 by新屋敷はつか

はじめまして。私は新屋敷(しんやしき)はつかといいます。

のこ太くん
はつかさん初めまして!!よろしくね!!

閉鎖病棟に入院したこともありますが、紆余曲折を経て、現在クローズで正規の事務職で働いています。
私は双極性障害1型と診断されています。
この文中で出てくる、かつて私の入学したかった大学、カルフォルニア工科大学の校句に
「The truth shall make you free(真実は自由をもたらす)」
という言葉があります。
聖書の聖句らしく、CIAや日本の大学の校句でも同じ言葉が使われていたりします。
真実は自由をはたしてもたらすのか、というのは私は今となってはあるような無いような気持ちです。

自分が双極性障害1型という「真実」を知って、「自由」になったとも言えるし、「不自由」になったとも言える。
例えば、自由と不自由について下記があげられます。

■自由になったこと

  • ネットという場で双極性障害1型という真実を語ることで、まつらさんをはじめとする晴れのこの仲間に出会えて自由な会話をすることができるようになった。
  • 漠然とした自分の気分の不具合を双極性障害1型と診断され、適切な薬を処方されることで、良いコンディションで社会生活を送れるようになり社会復帰(大学や仕事面)できた。
    今でも具合が悪くなることはあるが、頓服を飲んだり、晴れのこの仲間から勧められた本を読んだりして対処したり、何もわからず不調を我慢していた中学時代よりは自由になった。

■不自由になったこと

  • 自分が双極性障害1型になるとは全く思っていなかったが、受け入れるしか道が無くなったこと。どうしても変えられない真実があるのが自分と知った。
  • 皆がよく知っている病気というわけでは無いので、自分が双極性障害1型だと話す場合、人を選ぶ
  • 自分ができる、やれる、と思ったことが実際に自分の能力が高くなったわけでは無く病気による躁状態だと知って、調子が良いと自分で感じている時でも自分を過信できなくなったこと。

今までの人生で病気のことを公に語ることはほぼ無かったのですが、私の体験を晴れのこで話していきたいと思います。

のこ蔵さん
外では語られてこなかったはつかさんの体験談が披露されますぞ!!

1. 私の人生

私はしばらく親のこうなって欲しいというレールに乗って生きてきましたが、やっと距離を置いた調度いい付き合い方ができている状態です。

のこ美ちゃん
いい感じなのかしら!!

1.1幼稚園時代:一番鋼のメンタル

幼稚園児たち
幼稚園が一番いじめが多かった気がしますが、このころはあまり他人に興味が無かったのが幸いして大きなダメージはありませんでした。

いじめは、例えば背が低いので皆で走るときは一番後ろを走れとか、アトピーの子と遊んだら次の日から「ぶつぶつと遊んだ」とハブにされたりです。

今の私の豆腐メンタル(豆腐のように弱い性格という意味)なら卒倒しそうですが、先述のように自分にしか興味が無かったのでダメージは少なかったです。
幼稚園が終わるところっと忘れて、家でひたすら人形遊びをしていました。

1.2.小学校時代:豆腐メンタル勃発

小学校教室

小学校4年まではいわゆる優等生で、成績はオール優、下手だが絵も描いて遊んで活発といった女の子でした。

そこから、親が進学校の中学に行かせようと塾に通わせ始めました。

親が進学校はこんなにすごいという話を聞かせると、そうなんだ!と素直にこれは自分の願望なのだと受け入れました。
入塾テストは学校のテストと違って難しかったのでビビりました。
2問くらいしか正解してなかったけど、なんとか入塾させてもらいました。

塾に通いだした小学校5年ごろから小学校の女子の派閥争いが厳しくなり、塾でも人間関係に悩みました。
小学校と塾で毎日午後10時まで勉強をしていました。

そして、母親とは心理的にわりとベッタリだったのですが、母に決定的な影響を受ける言葉を言われたのはこの頃です。
この頃、調度ニュースで小学生の自殺が大きく報道されていました。
そのニュースを見て母がこう言ったのです。

「この小学生の子はダメね。なんでもお母さんに話してれば死ななかったのに。」

私はこの言葉を聞いて、お母さんに何でも話せないと死ぬんだと衝撃を受け、何でも話すようになっていました。
この頃には学校等でいじめられたらかなり気にする豆腐メンタルが出来上がっていました。
勉強はなんとかできていたので、希望の中高一貫進学校に入ることができました。

のこ蔵さん
希望通りの進学?!とても優秀ですぞ!!僕も頑張らねば・・・

1.3.中学入学:豆腐メンタルの第一次崩壊

中学生写真
無事お受験で中高一貫進学校に入りました。
入学して新しい友達もできて一か月程度経ったころ、突然皆に嫌われている気がして悲しくなり朝礼中に涙が止まらなくなりました。

最初は周りの友達も心配していましたが、皆、中一だしめんどくさくなってきて相手にしてくれなくなりました。
その頃私の上履きが消える事件があり、別の友達が奇妙な場所に置いてあるのを発見してくれました。
その件は「はつかの上履きが何者かに隠された」と事件になりました。

特に当時の担任のやり方は今はどうかと思います。皆の居る教室で私を呼んで話を何回も聞くので、周りがざわつきます。
最初の、私から離れていった友達達がやったのではという話になり、私もどう対応していいかわからず、その友達達とも揉めました。揉めたって言ってもただ私はなんか言われてうろたえてただけですがw
その上履きを隠した?のは誰かは結局わかりませんでした。

結局、私は、自分が元気で何も気にしない態度でいなければ何も解決しないんだと思いました。
私はどんなに気分が悪かろうが、学校でピエロを決め込むことにしました。
元気になりなんの悩みもないフリをして、クラスのお調子者として皆と仲良くしました。

その時期は家では、トイレに引きこもって頭を抱えていたような記憶があります。
その頃調度新聞で、小学生のうつ病が増えているという記事を見つけ、症状が酷似しているのに気づきました。
それを母親に見せましたが、「小学生はうつ病にならない」と問題にされませんでした。

しかし、どうしても不眠になったり気分の浮き沈みがやばかったので、中3の頃心療内科に行き、何かわからない薬をもらいました。
だけど、やっぱ自分がうつ病やメンタルの病気と信じたくなくて飲むのを辞めました。

のこママ
悩みを独りで抱え込んでいたのね・・・。相談する相手がいない中よく頑張って来たわ!!

1.4高校生の頃

高校生写真
小学生の頃の成績優秀ぶりが見る影も無く底辺に落ちた私は、エスカレーターの中高一貫の高校の進学も危ぶまれました。
しかし、なんとか高校に進学できました。
中学に入学して全く勉強に集中できなくなったのは、メンタルのせいもあるかなと思います。

その豆腐メンタルは高校生になっても変わらずですが、クラスのお調子者立ち位置は健在でした。
高2、高3の受験期はクラスメイトにも恵まれ、比較的平和に過ごすことができました。

高1の頃に進路を決めるため三者面談がありました。
その時、母親は私を栄養士にするためそっち方面の大学に行かせようとしていて、私も流され気味でした。
栄養士は私の学力でもなんとかなりそうな大学があり、つぶしが効きそうだったのと、母が考える結婚に有利だったからでしょう。

すると高1の担任が、「それはお母さんの希望でしょう。はつかさんの希望が大事なんじゃないですか。」と言ってくれました。
それで母の「はつかは絶対栄養士!」の進路希望もひるみ、私の進路の運命が大分変わったと思います。

その助言のお陰で、私は特に将来的に有利では無いが、希望の大学の学部に進学することに決めました。

母親は悪気は無いのですが結構な天然なので、
母親「まあ、女だから将来はあまり関係ないからその学部でもいいよ」
と言われました。
その時わたしもも、「母さん、なんてこと言うんだ!?」と突っ込んだと思います笑。

そんなこんなで、大学に入学します。

のこ蔵さん
大学進学・・・。今年こそ合格してみせますぞ!!

1.5大学入学:激躁到来

大学時 激躁
大学に入学し、かねてから興味のあった演劇部に入部しました。
大学に入学してもメンタルの浮き沈みに悩んでいて、鬱かな?と思いながらたまに病院に行ったりしていました。

その頃、

学業の両立+アパートの住人の騒音で寝れない+演劇部でセリフの多い宗教家の難しい役に没頭してしまう+失恋

を経て、激躁が到来してしまいます。

激躁でどんなことをしたか

  • ゲーム屋で、欲しいゲームをJRの回数券で交換してくれないか店と交渉する
  • 買い物依存(ただし、金銭的な理性が働きほぼ100均で購入)
  • 大学、友達に電話をしまくる
  • 振り込め詐欺で振り込んでしまいそうになる(結局振り込まなかった)
  • 迷惑メールの怪しいサイトと本気で交渉する
  • 母親が追いかけてくるので助けて欲しいと色んな人に話す

上記のようなことをしていました。

のこ助さん
JRの回数券でゲームを交換しようとするのはパンチ効いてるぜ!!

私が激躁になると、物事の怪しい怪しくないの区別がつきにくくなり、そこにスマホがあると非常にまずいです。
迷惑メールでも連絡がくると信じて受けてしまって、激躁を悪化させていくようです笑。
とにかく何でも信じて本気で対応します。

奇行が増え始めてきたのに異変を感じた両親がやってきて、私は人生初の閉鎖病棟にぶち込まれます。

最初は他の患者がいる病棟に居ました。
ただ、下記のような行動をしたので、保護室に連れていかれました。

  • 私の折った折り鶴が無くなったので、誰かにとられたと騒ぎ(そんなの誰も取らない笑/後で自分で発見する)
  • 病棟の皆にも、自分の部屋で見ているテレビを楽しませてあげようとして音量を最大でテレビを見た(サービス精神のつもりだったが、ただの迷惑)
  • 退屈なので積み木をしようと、ごみ箱からゼリーのカップを集めていた(ちゃんと集めた後洗って使ってた)
  • ナースステーションのドアをノックして、ナースたちに「社長失格」の本の表紙の十字架を何回も見せつける(十字架で強くなった&ハッタリを見せつけた気分だったと思われる、しかも社長失格は内容は全く興味なくて全然読んでない笑)
のこ美ちゃん
いかにも躁状態って感じね!!本人は真面目に悪気がないのよねー。

保護室は落ち着いた広い部屋でぱっと見は癒されましたが、すぐにトイレと布団しか無いのに気づきドン引きしました。

持ち物を一つだけ持って入っていいと言われたので、迷わずボールペンを選びました。
しかし、描く紙が無いのでトイレットペーパーに沢山絵を描いてました。

そしたら、看護師さんにトイレットペーパーの無駄遣いを怒られ、トイレットペーパーから落とし紙という紙に変更されました。
そして、
看護師「それにも絵を描くなら、絵を描いた紙で尻を拭くように」
と言われたので、この病院、大分ひどいなと思いました笑

そして、この唯一の筆記用具である、ボールペンは希死念慮のある人は持ち込めないみたいです。
私は自傷行為はしないので、OKでした。

そして他にも何もすることが無いので、演劇の役のセリフや歌を歌いまくっていました。

早くここから出してほしいので、まだトイレットペーパー使い放題の時に、床にトイレットペーパーで「HELP 110」と書いてみました。
今思えば、無人島で飛行機から発見されるわけでもないし、天井から誰もHELPとか見ないだろと思います。
でも、その時は「保護室から出れればなんでもする!」という気概がありました。

しかし、主治医が診察に保護室に来た時、ドアの風で吹っ飛ばしてしまい、HELPは消えました。
主治医は謎のトイレットペーパー文字を吹っ飛ばしてしまったので「ああ!」とあわててました。

のこ太くん
落ち着いた冷静な時に考えたらなんでそんなことしたんだろうなってことをたくさんしちゃうよね笑 僕もしたなぁ笑

あと、まだ、どうしてもどうしても保護室から脱出したかったので、引っ越しをもくろみました。

保護室には配膳用の窓があるのですが、人はくぐれません。
そこで、そこから布団を廊下に2回くらい脱出させました。

それを、まつらさんに最近話したら、「なんで脱出に布団が必要なの?w」と言われて、「確かに!」と笑いました。
その頃私は何故か、布団が一緒じゃないと脱出できないと思ってたんですね。

のこ太くん
躁あるあるの謎な思考回路だよね笑

あと、保護室は横並びに4つくらいあって、他の患者が叫んで配膳口をドンドン叩いている声が聞こえました。
私も名乗れば保護室から出してくれるかなと思い

「私は新屋敷はつか!〇〇大学1年生〇〇学部!ここから出してください!」
とか個人情報を叫んでたら、他の保護室の子が聞いてて、看護師さんがその子の手紙をもってきてくれました。

「はつかちゃん、私は〇〇だよ、よろしくね」

と書いてあります。
それに非常に感動しました。仮にその子の名前はみっちゃんとします。
精神障がい者は入院中、スマホの利用は治療上制限されることがありますが、手紙は自由みたいですね。

私がトイレットペーパーで返事を書くと、みっちゃんは「紙もって無いの!?」と笑って、次の手紙で自分の持っている紙もくれました。
みっちゃんはボーダー(境界性人格障害)で時々鉄製の配膳口を殴って叫んでいる声が聞こえますが、それはそれは愉快で面白い子でした。

ある日は、4部屋並んでいる保護室の皆で、配膳口越しにお互い話しかけて盛り上がっていました。
すると、看護師さんに「私語はやめてください!」と、バン!バン!バン!と全員の配膳口を閉められたこともあります。

そのうち保護室から他の患者の居る病棟に戻され、今度はおとなしくしていたら退院させてくれました。

そんな私の最初の診断名ですが、当時は双極性障害1型ではなく、統合失調症と診断されていました。

大学に復帰した私は、クラスの皆が心配してるだろうなと思ったのですが、もどってみると私が居なくても世界は何事も無く回っていました。
それは、「自分はそんなに期待されていない&もどったら浦島太郎状態で、私はどうやらおかしかったんだ」という、はじめて病識を持った体験でした。

のこ太くん
退院してからも思うことってたくさんあるよね。とにかく退院おめでとう!!

1.6社会人:第二次激躁到来

社会人パソコン

激躁の発端

大学から社会人まで、薬を飲んでいて安定していました。
紆余曲折を経てWEB制作会社で働いていた時、第2回目の入院をします。

主な原因は、気分屋の彼氏と付き合う&別れたことと、そのタイミングで結構無責任な占い師に薬を辞めろと言われ、薬を辞めたことです。

気分屋の彼氏は、お互いに振り回しあい最終的に私が振りました。
その振ったタイミングで「僕は昔虐待されていたから素直になれずに意地悪をいっぱい言ってごめん」とカミングアウトされました。

そのカミングアウトで、
はつか「やばい、振っちゃいけなかった!私しか彼を支えられる人は居ないのに!」
と何故か使命感を感じ復縁しようとしましたが、断られましたw

その後占い師A氏に、「はつかさんと元カレはとても相性がいい。」と言われ、「でも喧嘩ばかりでした」と言うと、「仕方ないよ、彼は海の人だから空気が読めない」と言われました。

今思えば、海ってなに?wといった感じですね。

のこバブちゃん
海人(うみんちゅ)バブかねー??笑

そして、知り合いづてに、占い師B氏があらわれ、
占い師B氏「はつかさんは、親がこうなって欲しいというレールを歩まされていた、もう薬は飲まなくていい」
と言われ、「そうだよね!」と思い薬を辞めてしまいます。

もうひとつ薬を辞めたかった理由があります。

大学生時代の入院中、ずっと入院している同世代の女の子が居ました。
仮によっちゃんとします。

はつか「なんで私たちこんな病気になっちゃったんだろうね、早く外に出たいね」
よっちゃん「ほんとだねえ、退院したら一緒に遊ぼうね」

と話していました。
その子は段々調子が悪くなってボケていくような症状でした。
彼女の入院中もそんな症状がありましたが、まだその時は私のことはしっかり覚えていました。

私が退院後、彼女に手紙を書くと、私のことを全然覚えていないらしく、意味不明の手紙が私の元に届きました。

私はその時、なぜか、彼女は統合失調症の薬の副作用のせいで記憶を失ったと思いました。
私たち患者は、いらない薬を飲まされて社会的に抹殺されそうになっているのではと思ったのです。

私はその話を、何の医学的知識も無い先ほどの占い師B氏ににペラペラしゃべりました。
その占い師B氏は「そうだよ、その薬は飲まなくていい」と無責任に全肯定します。

その同意で、私はやっぱり薬を飲む必要は無い、
私は「薬が無い状態で完全」と信じました。
そして薬を辞めて缶チューハイなど飲み、「薬を飲まなくなった!自由になった!」と喜んでいました。

のこ太くん
その占い師はスーパー危険だね・・・。薬ってすごく重要なものなのに・・・。

その後、しばらくして、その時通院していた主治医のもとに診察にいきました。

はつか「先生、私は薬を飲まなくてもよくなったんですよ!私には薬は必要ありません!」

主治医は私のテンションの上がっている様子を見て、
主治医「(こいつ、やばいわ)ちょっとはつかさん!しっかり薬を飲むようにして!」と言い、同時に薬の量も増やしました。

はつか「先生が言うならしょうがないから飲みますよ~」
と全く病識の無い私は薬を飲み始めました。

のこバブちゃん
あっさり飲み始めたバブね笑 素直バブ!!

しかしその頃には、もはや薬を飲み始めても激躁を抑えるには間に合いませんでした。

カルフォルニア工科大学のミュウツーになりたい

私は先述の友人の話をはじめ、何故この世に不条理で悲しい病気の統合失調症が存在して、患者が閉鎖病棟に閉じ込められねばいけないのか、と苦悩していました。
ちなみに私は現在正しい病名がわかって双極性障害1型になっていますが、最初は統合失調症と言われていました。
ですので、自分も当事者の統合失調症について特に問題を感じていました。

そして、私が統合失調症になったのは、私に使命があるからだと感じていました。

「私はカルフォルニア工科大学に留学して、世界一の精神科医になり、統合失調症の根治事業をしなければならない」
という使命があると思い始めました。
何故カルフォルニア工科大学で無ければいけないかというと、グーグル検索をしたらそこが世界一頭のいい大学と書いてあったからです。(正しくは世界一はマサチューセッツらしいですね)

そして、私にとって天才と言えば、ゲームのポケットモンスターの伝説のポケモン、ミュウツーと思っていました。
「カルフォルニア工科大学に行けば、天才のミュウツーみたいな人がいっぱいいる、そこで私もミュウツーの一員になる」と留学を志していました。

ちなみに、私はポケモンのゲームはやったことがありますがそんなに詳しくは無いです。
しかも、やり込んで無かったのでミュウツーを手に入れたことはありません。
はつか、適当か!!

のこジィ
発想がすごいのぉ

ミュウツーがいわゆる孤独な天才なんだろうくらいにしか思っておらず、その時たまたま天才と例えるのにちょうどよかったのがミュウツーだったのです。

そんなミュウツーの楽園、カルフォルニア工科大学に留学すると決めた私。
何故か、主治医では無く「日本一の病院」に行って自分の統合失調症の処方薬を出してもらおうと考えました。
「日本一といえば東大病院だろう」と、安易な考えで東大病院に行き、いつもの処方薬を出してもらいました。
そして、「カルフォルニア工科大学に留学予定なので、アメリカで通院する為に処方薬の英訳をしてください。」
と東大病院の薬剤師に頼み、処方薬の英訳を作ってもらいました。
薬剤師はちゃんと英訳を作ってくれました。

その英訳を持ち、カルフォルニア工科大学にどうやって留学しようか友達に聞いたり調べていると、母親がやってきました。
心配した母親は主治医に事前に会いに行って話を聞いたそうで、「先生が、はつかは入院して休んだ方がいいと言ってるよ」と私に言ってきました。

私はミュウツーになって統合失調症の根治事業をする気満々でしたので、
「なんで!?私はカルフォルニア工科大学に留学しなきゃいけないのに!」

と、ブチ切れ、母を置いて主治医に直談判しにいきました。

主治医のもとに行って、診察室に入って私は言いました。

はつか「私はカルフォルニア工科大学に行って、精神科医になって、統合失調症の根治事業をしなきゃいけないんです!!なんで邪魔するんですか!?」

みたいなことを言ったと思います。実際は私がバーっと早口でまくしたてていたらしいのですが、よく覚えて無いです。

すると、主治医がニコニコしながら一言。

主治医「ははは、カルフォルニア工科大学は医学部無いから、留学しても精神科医にはなれないよ~。」

私はそれを聞いて、「え!?」と固まりました。

カルフォルニア工科大学に医学部無いの!?
ってか、この人なんでそんなこと知っているの!?
まさかこの先生、天才!?まさか、ミュウツー!?
私より詳しいこの人の言うこと、聞かなきゃいけないんじゃないの…!?

という感じで、フリーズしました。

そして、そのやり取りをしている間に、追いかけてきていた母がいつのまにか診察室に入って後ろで聞いていました。
私は必死だったので、全く気づきませんでした。

そこで、主治医が一言。

主治医「はつかさんは、休んだ方がいいから入院しよう。この病院に入院施設があるからここに行きなよ。」

とパンフレットを差し出し、すっかり大人しくなって先生の言うことを聞くようになった私は、母に連れられその病院に入院しました。

のこ太くん
客観的に見てしまうと本当によくわからない事言っているけれど、主観的に考えると本人は真剣なんだよねー。わかるなぁ。

1.7 2度目の入院

VIPフロアから状態の悪い患者さん用のフロアへ

社会人 入院

入院してからは、最初はただの静養の為、個室に居ました。
しかし、なかなか退院させてくれる気配が無いので私が荷造りをして勝手に退院しようとすると、問答無用で状態の悪い人の沢山いる階に移動させられました。

そこでも私は手帳とボールペンを持たせてもらっていたのですが、ここでも
看護師「他の患者さんは手帳とボールペンは持たせてもらってないから、人には見せずに部屋でこっそり使ってね」
と言われました。
手帳をもたせてもらって、かつて大学時代入院した保護室はトイレットペーパーしか書くものが無かったのに、すごい進化だなと思いました。
手帳とボールペンは言われた通り部屋でこっそり使ってました。
まだ統合失調症の根治事業をする夢は健在だったので、その計画を手帳に書いてました。

そして、そのフロアは、真ん中に皆が集まって食事できるスペースがあるのですが、おじいちゃんおばあちゃん達も多いフロアでした。

おばあちゃんは、真ん中の共同スペースで食事後、突然机で歯磨きをしはじめました。

はつか「!?食事中に歯磨き!?」

と思ったら、あちこちの椅子でおじいちゃんおばあちゃん達が歯磨きをしはじめます。
自分の部屋に戻ったら忘れるので、食事とまとめてするのかもしれません。

そして極めつけが、歯磨き終わってくちゅくちゅペッをした後の水を吐く専用の容器を食卓に持ってきていて、私が食事してる目の前でそこに吐くんですよね。

はつか「うおお~、食欲無くす…」

と思いましたが、何日かしてると普通に正面に座ったままご飯するようになります。
慣れってすごいですね。

他にもいろいろと驚く出来事が起こりました。
部屋をおばあさんに突然のぞかれたり、さっきまで普通だったおじいさんが暴れだしたり。
ここはなんかこの世の地獄っぽいな…とうっすら思いました。

そして、そのフロアはドアで仕切られた箇所に、ERという集中治療室?みたいな超病状が悪い人の居るスペースがありました。

ある日、そのERのドアが開いていました。
そこから、泣き叫んでいる女の人の声が聞こえました。

私は気になって、「どうしたの!?私は新屋敷はつか!」と叫びました(毎回思うけど、何故入院するたびに個人情報を叫ぶんだ自分)

女の人「なんなのあんた!?私は男に犯されたのよ!!」

と、ERの女の人は衝撃的なことを叫んできたので、

はつか「!?」

とショックを受け絶句していると、男性看護師さんがドアが開いているのに気づいてあわてて閉めに来ました。
ドアを閉めると叫ぶ女の人の声は聞こえなくなりました。

私は男性看護師さんに言いました。

はつか「今叫んでいるERの女性、男性に犯されたんだって…」

男性看護師「えっ信じちゃだめだよ。今言ってたことは彼女の妄想だよ。」

はつか「なん…だと?妄想??」

のこバブちゃん
バブ・・・?!

完全に信じていましたが、その女性の妄想だったらしいです。
男性看護師は「聞いたことをなんでも簡単に信じちゃダメだよ」と釘を刺してナースステーションに帰っていきました

また、同じフロアに、まりこちゃん(仮名)という歳の近い女の子が居ました。
いつもニコニコしていて、あまり調子が悪い風には見えなかったのですが、早くここから出して!とキレていることもありました。

ある日まりこちゃんは言いました。

まりこ「私の主治医の滝沢先生(仮名)は、ハーバード大学卒だから、頭が良すぎて逆らえない」

私は信じて、女性看護師さんに、

はつか「滝沢先生、まりこちゃんによると、ハーバード大学卒らしいですね。」

と言いました。すると

女性看護師「滝沢先生が!?そんなわけないじゃん笑。ハーバード大学卒のお医者さんがこんな田舎の医者に収まっているわけないでしょ!何でも簡単に信じちゃダメよ」

はつか「なん…だと…!?」

のこ助さん
はつかさん純粋だな!!笑

はつかはこのフロアで、簡単に患者さんの言うことを信じちゃダメなのを学びました。

そして、このフロア、ERの反対側のドアを抜けると、この区画より調子の良い患者さんの入院するフロアがあります。
そのベンチでイケメンが座っていました。

はつか「うおお、調子が良い患者さんのフロアにはこんなイケメンが居るのかあ」
とガラス越しに眺めていました。

すると間もなく、そのフロアに移動になることが決まりました。

おもろい人がいっぱいのフロア編

看護師「はつかさんは状態が落ち着いてきたので移動してね」

と、例のイケメンが居る、一番状態の良い患者さんが集まるフロアに移動することになりました。

フロアに移動すると、そのイケメンが真ん中のテーブルで女性に囲まれています。

イケメン「はつかちゃんていうの?僕はヘアメイクをしているんだけど、アルコール依存症で入院してきたんだよ~」

話してみると思ったよりお姉な雰囲気で、お洒落で若く見えましたがアラフィフのお兄さんでした。
芸能関係の人って若く見えて、病棟でも女性に人気者になるんだな~と思いました。

あと、メイクのイラストを描いてくれるんですが超絶上手かったです。
あと、私がメイクする時のアドバイスをしてくれました。

イケメン「はつかちゃんは、目が印象的だからマスカラでまつげを伸ばして、アイラインはひかない方がいいよ。アイライン引くとかえって目が小さく見えちゃう。
あと、ドンキのホットアイラッシュカーラーが安いのに素晴らしいから使ってみて。」

イケメンさんのアドバイスは素晴らしいと思って聞いていたのですが、退院後それをすべて試すと…

アイラインはやっぱ引いた方がどう見ても目が大きく見える。笑
ドンキにホットアイラッシュカーラーもあったのですが、カールしてる時めっちゃ熱いから、「もう無理、熱いやべえ」と思って、一回で使わなくなりました。

イケメンさんは、家がたまたま近所だったのですが、退院後たまたま近所のバーでバッタリ会いました。その時は
イケメン「僕またアルコール依存症で入院したんだよ~、今退院したばっかり」と言ってましたが、その後全ての連絡先が音信不通で消息不明になったので、生きてるか心配してました。

のこ太
アルコール依存症で退院したばっかりなのにバーにいたんだね・・・笑

ただ、イケメンさんの名前でヘアメイクの活動が彼の事務所のWEBサイトで上がってくるので、とりあえず生きてるのかな、よかったなと思っています。
あっ!!たぶん、これは彼の妄想じゃなくてほんとだと思います。

身に着けているものや雰囲気、ペディキュアのネイルの細かさ、絵の上手さと話し方が美容系の人っぽかったので…えっ?はつかまただまされてる?wそんなはずは…

あと、のぶ子さん(仮名)というおばさまも印象的でした。

どうしても食べたりなくて、自分の配膳の食事を食べた後、皆の残り物を食べていました。
病院の意向でダイエットをしていると患者仲間は聞いてたので、
はつか「看護師さん!またのぶ子さんが残り物食べてるよ!」と伝えていました。

また、のぶ子さんは古着を私にくれると言って持ってきてくれてたのですが、
はつか「う~ん、私はいらないよ、大丈夫」
と言っても、私から返された古着を受け取った後、永遠に私のベッドにもってくるのです。
部屋に戻ると、サンタさんのようにのぶ子さんの古着がきてる。
それを、返す、の繰り返しでした。

のこパパ
毎日サンタさんが来るなんて素敵じゃないかぁーはっはっはー!!
のこ美ちゃん
・・・。不思議な人がたくさんなのね。その不思議が症状から来るのか、本来の性格なのかは素人には判断できないわよねー。

ところで、私の病状は?というと、自分では最初から一貫して変わっていない気がしてたのですが、入院当初より落ち着いてきてたらしいです。
入院中の主治医は、たま~に見に来てくれたのですが、ニコニコしていたのしか覚えていません。
この先生、ニコニコしてるだけで、特に何もしないんだな、と思ってました。

そうこうしているうちに、私は退院しました。

父が退院の時迎えに来てくれたのですが、迎えにきてそうそう映画に連れていかれました。
しかもその映画が「見ていて息苦しいアメリカンなバイオレンス映画」だったので、
はつか「ちょっと!センシティブになってる人が退院して最初に見る映画じゃないでしょ!?もっと気を使って!www」
と思いました。

のこママ
その映画を見せたかったのかしらねぇ。随分とパンチが効いているパパじゃない!!楽しそうよ!!
のこパパ
くまのプーさんとかもっと平和なやつを僕ならオススメするけどなぁ、怖いのは苦手でねぇはっはっはー!!

私の真実の病名が判明

そして、休職していたWEB制作会社の職場復帰をします。
復帰後、「カルフォルニア工科大学に医学部は無い」の衝撃発言で私の正気を呼び覚ました元の主治医に会いにいきました。

主治医「お~!よく落ち着いてるね!すごいすごい。いいことじゃない。」

はつか「ありがとうございます。あと、休職中の診断書を書いてほしいのですが。」

主治医「(サラサラ~っと書く)はい。」

はつか「(診断書の病名を見て驚く)…!?わたし、双極性障害1型なんですか?統合失調症じゃなかったんですか?」

主治医「双極性障害1型だと思うよ。でも、実は統合失調症とあんまり違いは無いよ。」

はつか「えっそんなに違わないの??えっえっ」

そんなこんなで、何年も統合失調症と診断名がついていましたが、双極性障害1型になりました。
確かに今考えると、私は幻聴や幻覚は無く、躁になった時と鬱の差が激しかったので、典型的な双極性障害1型っぽいかなと思います。
大学生の頃入院した時は、「躁」という言葉すら知らなかったので、思いもしませんでした。

その後元いたWEB制作会社はリストラ対象になり退職。
その後クローズで転職活動をして、現在事務で働いています。

のこ太
入院中のことがすごくわかりやすく書いてあって頭に光景が浮かんだよー。
のこ美ちゃん
状態が悪い時は変なこと言っちゃうけど、それはやっぱり症状がそうさせているんだなって思うわ。今のはつかさんはクローズで働いていたりして、変なこと言わないものね。はつかさんのせいじゃないのよ!!

2. どんな精神・発達障害を抱えていますか?

双極性障害1型です。

 2.1. いつから精神・発達障害を抱えているのか?

違和感を持っていたのは13歳から、正式に病名がついたのは大学一年生の頃

 2.2. どのような症状?

躁になると「不可解な、自分しか理由がわからない行動」をする&買い物をしまくる

3. 精神・発達障害でこれまで大変だった事

躁になった後、日常生活にもどってきたら、だいたい数人友達が離れていくのがつらかったです。
リストラも衝撃でした。
就職活動は苦手なので、できればもうしたくないです。

4. 今現在どんな治療を行なっている?

1か月に1回診察&眠前の薬をもらっている

5. わたしの日々の過ごし方

平日は事務の仕事
遊びは友達と会ったり
カラオケしたり
晴れのこのzoomに参加したり
たまに旅行したりなど

6. 今の目標

目標 カルフォルニア

躁の時思ってた、「世界から統合失調症の根治事業をする、ミュウツーになる」は現実的に難しいと正気になった今は思います。
留学費用や医学部に行く学費の工面も、若さも、勉強能力も英語能力も足りないものがたくさんあります。

そもそも、「自分がミュウツーという天才になり特殊能力を持ち、精神障がい者を救う、助ける、完全にこの世から病気を根治」という神のような上から目線では無く。
当事者として等身大の自分で、同じ病気を持つ方の勇気になることもできるのでは?と思います。

私が向精神薬が一生手放せない病気で社会生活を送っており根治というのは結構きれいごとで、自分の場合は全く病気が無くなるという状態は難しいです。
根治をしようと思うから、「自分は薬が無くても大丈夫、私は正常」と強がって薬を辞めようとして痛い目を見てきました。

なので、自分はもうこの病気は自分の脇に置いて、
「病気と共存しつつ、自己実現も、仲間のほんの少しの勇気にもなれるようにする」を目標とします。

ですので今は微力ながらも、等身大の自分の力で「晴れのこを通して精神障がい者の孤独を無くす」活動をサポートしていきます。

のこ太
はつかさんありがとう!!これからも晴れのこをよろしくね!!

7. わたしにとって回復に役立ったと思う活動

  • 社会とイベントでも仕事でも就活でも何でもいいから接点を持って自分の意見を喋ったり人の意見を聞いたりしていると生きる刺激になった。
  • 薬を欠かさず飲むこと、睡眠をとること。
    睡眠が上手くとれなかった時は、調子が悪い気がします。
  • twitterでまつらさんなど晴れのこ界隈の仲間と出会い、入院中のあるあるや病気のあるあるが話せて癒された。
  • 母親と仲が悪いわけでは無いが、心理的に近すぎないように距離を置く自分の心理的なキモになる部分は話さない。
  • 昼間寝すぎずに用事を作って外出すると調子が良い。私は寝すぎでダメになるタイプっぽいです。

8.逆にわたしにとって病状を悪化させたと思う活動

私の場合、占い師とか適当な友達とかに相談して、薬やめろとか聞いてまともに辞めると悪化したと思います。
民間療法も同じ。

素人判断では無く、資格のある医療従事者(精神科医など)に指示を仰ぐのがベストと思います。

9. こんな活動しています!

新屋敷はつかが
「双極性障害になったけどこうやって紆余曲折経て生きてるよ」
的なブログを書いてます。
記事数少ないので頑張って書きますw

新屋敷はつかブログ

10. 繋がろう!!

twitterアカウントはこれです!
よろしくおねがいします!

新屋敷はつかのtwitter

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