「双極性障害Ⅱ型~looking back~」byくる

初めまして。くると申します。
私は双極性障害Ⅱ型 ラピッドサイクラーです。
私の人生を見て何か共感し助けになれば嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。

のこ太
よろしくね!!

1. わたしの人生

私は現在双極性障害です。
発端となった原因は別にありますが、私がこの双極性障害になった原点がここにあると今でも思っています。

子供のころ。
父が会社を経営して安定した暮らしをしていた。
最初で最後の幸せな家庭。

だが、私は父に性的虐待されていた。
しかし、その時はその行為がなんだかわかっていない。
それをそれが性的虐待と理解したのは、高校生の時付き合っていた彼氏と初めて行為をした瞬間だった。

自分が今してる行為の瞬間、自分の父にされていた事を瞬時に思い出した。
おぞましい記憶。

当時父は会社を倒産させ逃げていたので真実を知る由もなかった。
その高校生の時のわたし。
誰にも相談できず、ただ、自分が穢れているとしか思えなかった。

死にたかった。
母は姉は知っていたのだろうか。
分からない。
頭が混乱して毎日を過ごしていた。

それ以降私は男性とのお付き合いをすることが怖くてできなかった。
そして、それ以降子供を作るという考えも捨てた。
こんな世の中に産むのは残酷だとしか思えなかったから。
そう、私は穢れているのだから。

だから、ここがわたしの病気の原点
深い深い奥底にある忌まわしい記憶。

小学生のころのわたし。
父の会社は倒産した。
父は逃げ、わたしたち家族を残して。
母は離婚した。
幸い、母方の祖母が助けてくれた。

しかしその頃からだった。
母がおかしくなり始めたのは。
男を連れ込み、お金を使いだした。

たびたび生活を支えてくれていた祖母。
そして尋常じゃない母を精神科に連れて行った。
即、入院。
小学生だった私は祖母から病気だから少し入院するんだよ。
とだけ告げられていた。

祖母から後で聞いたが、母の病名は当時精神分裂病。その後躁鬱病。
暴れて怖かったのを覚えている。入退院を繰り返していた。
しかし普通の時の母もいる時がある。私は混乱しながらも生活は生活保護のお世話になり姉妹で暮らしてきた。祖母の助けを得ながら。

そして中学生になったわたし。
地獄だった。
ずっといじめにあっていた。
私は祖母の家の近くに引っ越した。
転校生のためだろうか。
クラス替えがあろうと変わらずいじめられる。
誰も助けてはくれない。
今のようにSNSなんてないから誰にも相談できない。
無視殴る蹴る当たり前。先生は一応注意のみ。

私は死にたかった。
でも臆病者のわたし死ねない苦しみ。
いま思い出しても涙が出ます。

ツラかった。

高校生の時のわたし。
あの悪夢の記憶を思いだす前。
高校生活が一番楽しかった。
私は叔父の勧めもあり工業高校の建築家に行った。
当時、女性が工業高校に行くのは珍しいことで、中学生のころのいじめた人たちは誰一人来ていない。
勉強はとても楽しく、建築家になりたい夢はここからだった。
友人にも恵まれ楽しい高校生活だった。あの忌まわしい記憶が思い出される前は。

母は相変わらず、暴れたり、温厚になったりして混乱した生活を送っていた。
そんなある時、衝撃的な出来事があった。
大好きな祖母は首をつって自殺をしてしまった。
あんなに助けてくれた優しい祖母。置いていかれたような喪失感。
高校生のわたしには受け入れられない事実。
わたしも死のうか。
どうせ私は穢れている。
何度も思った。

しかしわたしはしねないおくびょうもの。
何十年たって大人になって双極性障害になって何度希死念慮があっても
わたしはしねないおくびょうもの。

社会人のわたし。
入社した会社にも恵まれた。
始めてのお給料。
こんなお金持ったことない。嬉しかった。

しかしだんだんなぜか私はお金を湯水のように使った。
足りなくなった。
銀行のカードローンをめいっぱい使った。ついにはサラ金まで手をつけた。

母の面倒を見るためでもあったが、ストレス解消になった。
買い物をしているときが一番楽しかった。幸福感を得られた。
しかし当然いまの給料では返せない状況におちいった。
毎日催促の電話。怖くて怖くて。
私は会社を転々とし、仕事を掛け持ちをし返済に明け暮れていた。
しかし最後には自己破産の手続きを自分でした。

破産して途方に暮れていたわたし。
そのころからスマホが普及し始めて。今のようなSNSで前夫とであった。
私は故郷を母の面倒も全部捨てその前夫の仕事場にある地方へいった。
前夫の仕事は移動動物園の営業の仕事。私も入社させてもらい仕事をした。
たくさんの動物に囲まれて過ごすことは幸せだった。
生活費などやっと安心して暮らせた。

その矢先ある出来事があった。
たまたま動物園オープン前、公園の外のトイレ掃除をしているとき。
早く使わせろと言ってきた人たちがいた。
「私は床がかなり濡れていますのでお待ちください。」
と言ったら蹴られた。

わたしは意味が分からなかった。待ってくださいといっただけなのに。。
私は怖くてトイレに逃げた。そうしたら一つ一つトイレを蹴ってくる。
中学生のころのいじめの苦痛を思い出した。
しかしその後前夫が助けにきてくれた。

私はそこから人に会うことができなく部屋にとじこもった。
眠れなくあまりにひどい状況から心療内科に行った。
PTSDこれがわたしの最初の病名。

その後も動物園にいたが辞めることになり、前夫は仕事を転々とした。
私もどんどん面接を受け仕事しては辞めを繰り返して来た。
動物病院、花屋、ソムリエ、薬剤の取り分け、設計の仕事など全部数日で辞めてきた。今思えば本当に迷惑をかけ本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

そしていつの間にか私は自傷行為を始める。
前夫から色々聞いたがわたしの記憶があいまいだ。
暴れたり、奇行があったり、、しかし落ち着いてる時もあったり、高揚してたり。
今これを書いていて、母と同じ症状だったなと思う。

そこで精神科に連れていかれた。
診断名はうつ病。しかし本当に記憶がぼつぼつとしている。
十年鬱病で治療した。しかし治らない。
その後ある会社夫婦住み込みで引っ越して行くことになった。
私はそこで気分が良くなってパートぐらいやろうと思っていたら、料理長をやることになった。
余りの忙しさに、私の病状がみるみる悪化していった。
たびたび自傷行為をしながら自分を保っていた。

そんな時私はいきなり前夫に離婚したいといった。
今でも理由がわからない。
実はきっと双極性障害の躁状態のためだったのかもしれない。

その後一人暮らしをしていたわたし。わたしは引き続き鬱病で治療を受けていた。
しかし、東日本大震災の時、行っていたメンタルクリニックが壊れてしまった。
そこでほかの病院を紹介された。
そしてそこの病院で、あなたは双極性障害と告げられた。

そうか私はずっと双極性障害だったのだ。
母と同じ病気だったのか。絶望的な気持ちだった。

今はもう20年近く母や姉とは疎遠だ。父は生きているのかさえわからない。

双極性障害の治療を始めて7年が過ぎた。
そして私は現在も中々病状が安定せず、自傷も繰り返している。
自分は穢れていると思いながら。

穢れている私は死ぬことさえゆるされない。
神様からの罰だといつも思っている。
しかし、最近のSNSのおかげで同じように苦しむ人たちと出会った。
会ったといっても文字の向こう。でもその文字に助けられる。

そして今度は、文字を超えて距離を超えて顔を声を合わせることができる。
一人暮らしでほぼ誰とも話さない私には本当に嬉しかった。

私はラピッドサイクラーで日々つらいが、もうこの病気を受け入れて生きていこうと思う。

いまのわたし。
振り返ると今は穏やかな方なのかな。。。と。。

のこ太
壮絶だから聴き入っちゃったよー。
のこバブちゃん
そうバブねー。こういう赤裸々な体験談が同じような人にきっと勇気を与えるバブ。

2. どんな精神障害を抱えていますか?

双極性障害Ⅱ型

 2.1. いつから精神障害を抱えているのか?

PTSD、うつ病 双極性障害と合わせて13年です。
双極性障害だけで言うと7年です。

 2.2. どのような症状?

3. 精神障害でこれまで大変だった事

現在進行形で自傷行為。

4. 今現在どんな治療を行なっている?

お薬を服用して治療しています。

5. わたしの日々の過ごし方

調子が良いとき家で写真を撮っています。

6. 今の目標

就職です。

7. わたしにとって回復に役立ったと思う活動

特に表立った活動はしていませんでした。

8. こんな活動しています!

ネコとのびのび生活しています。

9.繋がろう!!

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