「人生、山あり谷だらけ」by megrepper

こんにちは
双極性障害II型を患っているmegrepperです。

双極性障害と診断されてから2年半ほど経ちますが、
振り返ってみると、私のメンタル不全は幼少期にさかのぼります。
小・中学生時代の不登校や家庭内不和、10代の終盤から20代前半に至るまでの引きこもり生活。
そして転職をきっかけに繰り返された躁状態とうつ状態・・。

今回はそんな山あり谷だらけの人生について振り返ってみたいと思います。
どうぞよろしくお願います。

のこ太
よろしくね❗️
のこバブ
幼少期から色々あったバブね…かなり根の深い問題みたいバブ

1. 僕の人生

いじめの標的になった小学校中学年の頃

小学校中学年になった頃から、私は中学受験をするための進学塾に通い始めました

とはいうものの、進学塾で習う高度な勉強はさっぱりで、一緒に塾に通う友達と遊ぶためだけに通っていたように思います。幸い、塾に通っていたせいか学校で習う勉強にはほとんど苦労せずについていくことができていました。

しかし、元々おっとりとした性格のせいか、学校の体育で体を動かすことは大の苦手でした。また、私は生まれつき弱視気味であり、斜視や乱視も持っていたため、ボールを追いかけることや、体の平衡感覚を保つことが困難であり、体育の授業で行われる跳び箱や鉄棒、球技といったあらゆる科目が出来た試しがありませんでした。

のこ婆
人間だれしも得意不得意はあるものよね

そんなこともあってか、この頃から私は学校内でからかいや中傷の対象となり、たびたび学校を休むようになっていきました。最初は、運動ができないことをバカにされるくらいで済んでいたのですが、だんだんその中身はエスカレートしていき、段々「いじめ」と呼べるようなものに変化していきました。具体的には

  • 私が触ったものは「菌が付く」と言われるなど、いわゆるバイキン扱い
  • 班活動の時間にわざと全員から机を離される
  • 私が給食当番で配ったおかずを「汚い」とクラスのほぼ全員から残される
  • 体操服や筆箱などの学用品を隠される
  • トイレに閉じ込められて掃除用具や水を上からかけられる
  • 斜視を「どこ見ているの?」とからかわれる
  • 無視や陰口など(あからさまに「死ね」と言ってくる人もいた)・・・etc

などの仕打ちを受けるようになりました。

のこ助
オイオイこれは酷すぎるだろ‼とても子供のすることじゃないぜ⁉

家庭が崩壊した小学校高学年の頃

学校では相変わらずいじめの標的になっていた私でしたが、小学校5年生になる頃には家庭内でも問題が勃発します。それは父方の祖母が脳梗塞で倒れ、家族に介護という問題が押しかかると同時に、母親が介護をしている間に父親の不倫が発覚したことです。

父親の不倫が発覚してから、母親は介護の疲れと憤りもあったのか、大量のアルコールを飲むようになり、毎晩父親と大喧嘩。また当時の父親もアルコールが入ると人が変わったように母親に暴力を振るうようになり、私は眠れない日々を過ごすことになります。

のこママ
嫁に自分の親の介護させておいて自分は不倫⁉それは怒って当然よ💢
のこパパ
…………………(こ、怖い💧)

喧嘩が酷い時は父親が食器棚をグシャグシャに割ったり、母親の首を締めて浴槽に沈めるなどの激しい暴力もあり、近所の家に助けを求めたこともありました。

上の投稿にもあるように、私のメンタルもここからどんどん壊れていったように思います。

ある時は学校を休んで、弁護士会が行っている「子ども電話相談室」に電話をかけて助けを求めたこともありますし、それがきっかけで児童相談所に通報が行き、何度か親子で呼びだされたこともありました。またある時は、母親が2日ほど家から出て行ってしまったことがあり、翌日学校に提出する集金袋が用意できなかったことがきっかけで、担任の先生に家庭の内情がバレてしまい、先生が何度か家庭訪問をしてくれたこともありました。

のこ爺
外に助けを求めていなかったらもっと大変なことになっていたかもしれんのぅ…

引きこもりの不登校児になった中学生の頃

小学生の頃に両親の面前DVといじめを経験した私でしたが、中学校入学を期に隣町への引越しが決まり、新しい生活をスタートさせます。中学校に入学したら周りのみんなも少し大人になるんだし、塾に通っていたから勉強もなんとかなるよね。と思っていた私でしたが、その期待は見事に裏切られることになりました。

真っ先につまづいたのが勉強面です。

中学校になると教科ごとの範囲も広がり、特に数学・理科といった科目においては論理的思考力を求められるようになるほか、新しく「英語」という科目が加わってきます。それに課題や提出物、宿題の量も小学校とは比べ物にならないほど多くなってきます。私は特に、理数系の科目の複雑さと英文法の理解がまったくできなかったほか、期日までに提出物を出すということに大きな困難を覚えるようになりました。

のこ蔵
中学の勉強で挫折した人は多いですな❗️かく言う自分も…💧

ちなみに、小学生の頃から続いていた家庭内の問題はどうなったかというと父方の祖母が他界後、今度は祖父が認知症になり深夜徘徊などをするようになったため、実家のある福岡県から千葉県の私の家で引き取ることになりました。小学生の頃のような激しい夫婦喧嘩は徐々に減っていったものの、母親の飲酒は続いており、時折「寝ゲロ」の介抱をしなければなりませんでした。

また、この頃になると学校での人間関係にも亀裂が入り始めます。

2年生に進級するにあたってクラス替えがあったこと、学校を休みがちで「浮いた存在」になっていたことが災いしてか、再びいじめのターゲットにされてしまいました。いじめの内容は小学校よりはマシなものの、無視や陰口、私の触ったものに触れないようにするバイキン扱いなどをされ、ますます学校へ行く意欲は急降下していきました。

そんなある日のこと、私の不登校を決定づけるような事件が起こります。

その日は朝から登校し、英語の授業を受けていたのですが、私が授業中に指名され問題の回答を答えるという状況になったのですが、当然授業にはまったくついて行けていない身。答えを渋っていると、教科担任の先生からこんな発言が飛んできました。

「まったく・・。こんな簡単な問題も答えられないのか」「お前みたいな学校を休みがちな生徒はクラスの迷惑なんだよ。邪魔。」

正直ショックでした。学校を休みがちになったのはこちらにも多少非があるのは自覚していたものの、それはさておき、たかが問題一問答えられなかったからといって「クラスの迷惑」なんて言わなくても・・。そんな教科担任の発言を聞いたクラスメイトの中からは、私のことをクスクス笑う声も聞こえてきました。

のこ美
ひどいわ❗️先生が一番生徒の事情を理解してあげるべきなのに

この日から私は学校に行くのを完全にやめました。

その後、なんとか高校に入学することはできましたが、将来への不安は増すばかりでした。

進学先はDQN高校。成績は普通になった

中学2年生の後半から不登校を始めた私、当然内申点などは無きに等しい状態でした。

そんな生徒が進学する先は非常に限られてきます。私の進学した高校も当時は偏差値38というDQN高校でした。偏差値だけで高校の雰囲気を決めつけるのはナンセンスかもしれませんが、頭の良し悪しと校風に関係がないかと言われると、私は大いに関係あると思っています。

高校に入学したばかりの頃は不良生徒に目をつけられたり、入学から3ヶ月も経たないうちにストレスで体重が7キロ落ちたりしましたが、偏差値の低い高校であったため中学時代のように勉強に困るということはなくなり、むしろ私以上に勉強のできない生徒が大半だったため、それなりの成績をキープすることができるようになりました。また、成績が上がったことでいじめられることもなくなり、クラスでの居場所を確保することができるようになりました。

のこ助
すげーな❗️俺通知表で4とか5なんて見たこともないぜ

高校生活も終盤に差し掛かった頃に事件発生→精神科デビューへ

進路も無事決まり、あとは高校卒業までの通学を残すのみとなったある日、事件が起こりました。

その日私は学食を利用しようと、配膳カウンターの前で並んでいたのですが、後ろからやってきた不良生徒が私に抱きつくような形で割り込んできて、無理やり注文を取ろうとし始めました。そして、肩に回された相手の腕を私が何気なく払った瞬間のことです。

不良生徒がいきなりキレて、私を投げ飛ばす!そして拳を振り上げて、殴りかかろうとしてくる!

のこ太
ファ⁉️

幸い、その様子を見ていた教師たちが不良生徒を羽交い締めにしたため、私は殴られずに済んだものの、その後からが大変でした。私を投げ飛ばした生徒は自宅謹慎処分となったわけですが、それを聞きつけた不良仲間が私の居る教室に何度か抗議にやってくるようになったのです。

のこ太
わけわからな過ぎて変な声出ちゃったよ💧同じ人間とは思えないね(僕ツチノコだけど)

いずれも授業中であったため、教科担任の先生が制止に入ってくれたこともあり所謂不良からの「呼び出し」をされることはなく事態は鎮静化していきましたが、この頃から私は学校に通うのが怖くなりました。鬱々とした気持ちが晴れないなかインターネットを調べていたところ、市内に精神科のクリニックが開業しているのを見つけ、私はそこに通うことにしました。

そこで最初についた診断は抑うつ状態でした。

こうして私は高校卒業後も引き続きメンタルクリニックのお世話になることにしました。

のこバブ
初診は抑うつだったバブか。最初から双極症と診断される人はなかなかいないバブね。

一度目の大学進学、絶不調期へ突入

DQN高校入学し3年間を過ごした私でしたが、受験勉強を経験することなく学校推薦で大学に入学します。全日制高校で体を慣らしていたこともあり、今度こそは豊かなキャンパスライフを過ごすぞ!と意気込んでいました。

しかし、その期待は大学時代のアルバイトをきっかけにもろくも崩れ去ることになります。

学校にもそこそこ慣れていた頃に、サークルの先輩からの紹介でアルバイトを始めました。アルバイト先は家電量販店のPC・音響機器コーナーでした。PCの知識もそれなりにあるし、きっとうまくやっていけるだろうと思っていたのですが、現実はそれとは程遠いものでした。いざ仕事を始めてみると、対人緊張が強いせいか量販店の店員としてはまったく使い物になりませんでした。

通院していたメンタルクリニックの主治医からは、人前で過度の緊張をしてしまう、他人に視線を向けられるのが異常に怖いという私の訴えを受けて、抑うつ状態に加えて社会不安障害の診断が下りました。

のこママ
それまでの対人関係のトラウマが影響したのかしら…辛いわね

診断が下った後も、病気の症状はどんどん悪くなり「不特定多数の人が自分の悪口を言ったり、冷たい視線を向けたりしている」という被害妄想のような状態が出現するようになりました。さらには「希死念慮」も出現するようになり、当時処方されていた薬をかき集めて全て飲んでしまう過量服薬(オーバードーズ)を繰り返すようになり、倒れているところを家族に発見されては、救急車のお世話になることが増えていきました。

こうした騒動が続いたことから主治医から入院を勧められ、私は短期間の任意入院を余儀なくされました。

引きこもり生活から寛解期へ

こうして学生生活がままならなくなった私は、やむなく大学を中退し、療養に専念することになりました。始めは中学時代と同じく引きこもりのような生活をしていましたが、しばらくすると徐々に体調も回復。通院を自ら中断。再度別の業種で1年間ほどアルバイトを経験したのち、別の大学に進学することになりました。

26歳で大学を卒業した私は、(大学はまったくコンピューターサイエンスと関係のない文系学部でした)中学生の頃からLinuxを使ったサーバー構築を趣味にしていたことから、ろくに就職活動もせずIT企業を志望、呆気無く採用されました。

のこパパ
おぉ❗️学生時代の経験が活きたな❗️

詳しいことは端折りますが、私が大学卒業後入社した会社は仕事内容は楽だったものの、残業代を払わないなどのブラックな一面があったことから1年ほどで転職し、別のIT企業に勤め始めました。しかし転職を成功させたことがまた別の悲劇の始まりとなってしまいました。

部署異動をきっかけに再びうつ状態→双極性障害へ

2社目に勤めた企業で私は、サーバーエンジニアという職に就いていたのですが、入社後から関わっていたプロジェクトが1年半ほどで終了することになり、社内の情報システム部門へと異動になりました。しかし、異動先で任された仕事は、私がそれまでに経験したことのないハイレベルなものだったことから、次第に気分が沈むようになり、再びうつ状態がやってくるようになりました。

のこパパ
むむむ…やはり仕事のプレッシャーやストレスは精神に悪影響を与えるな。

再度メンタルクリニックへの通院を始めたのもこの頃です。

また、2016年5月にはうつ状態に加え、これまでに経験したことのない「躁状態」がやってきました。具体的には、「毎月のクレジットカード請求が15万円を超える」「毎月の引き落としにも関わらず、さらに高額な買い物を続けてしまう」「友人の結婚式でカメラマンを頼まれるも、1日にして2000枚以上の写真を撮ってくる」「次々に人と話したくなる」などの症状が出ては消え、決まってその後はうつ状態に転じてしまうというものでした。

のこ美
私もつい買いすぎちゃうけどこれは異常ね💧
のこバブ
主治医がすぐに対応してくれて良かったバブね❗️

私の話を聞いた主治医は、即座に診断と投薬内容を変更しました。

双極性障害の診断後も会社勤めは続けていたのですが、躁状態の後にやってくる重いうつ状態で体調は悪化するばかりで、次第に出社もままならくなってきたため、2016年11月末で仕事を辞めざるを得ない状況になりました。

そして現在

会社を退職してからは双極性障害と向き合っていく決心をしたものの、なかなかうまくいかず。2018年までの2年間は以下のように試行錯誤をする毎日・・。

  • 失業給付を貰いながらハローワークで就職活動をしてみたり(1年間)
  • 就労移行支援事業所に通おうとするも挫折してしまったり(半年間)
  • 再び障害者枠で仕事を探すも、なかなか採用に至らなかったり(半年間)
  • 就労継続支援A型作業所で働き始めたり(〜現在)

今だに躁転に関しては一年に数回、うつ転は年の3分の1くらいあるようです。

 

しかし、様々な社会活動にトライアンドエラーを繰り返すうちに分かってきたことが一つだけあります。

それは「精神疾患になったら、絶対に焦ってはいけないんだ」ということ。

精神疾患で薬物療法をしている状態というのは、骨折でいえばギプスをつけている状態のようなもので、いきなり走ったり激しい運動ー精神疾患でいえば就労や健常者と同じような社会生活をすることはそもそもできないんだということを理解し始めました。

特に私の場合は10代の頃からメンタル不全に悩んできた身です。回復するまでには相当の時間がかかります。

今後はそれを肝に命じて、「ゆっくりマイペースで」生きていきたいと思っています。

のこ婆
人生七転び八起き。諦めなければきっといつか道は開けるわ

2. どんな精神障害を抱えていますか?

 2.1. いつから精神障害を抱えているのか?

双極性障害II型と診断されたのは2016年頃ですが、通院開始は2004年(18歳の頃)からです。20代前半〜30歳までの寛解期もあります。

 2.2. どのような症状?

現在は双極性障害の症状が主で、長いうつ状態の期間と、1年に数回程度の軽躁状態があります。

3. 精神障害でこれまで大変だった事

自分自身の「心の調子」を掴むのが難しいこと。またうつ状態の時は孤独感や焦燥感、激しい希死念慮に駆られるため、自分を見失いそうになってしまうこと。

また「心と身体」両方のストレスに弱くなってしまったこと。

4. 今現在どんな治療を行なっている?

気分安定薬と抗精神病薬を中心にした薬物療法を受けています。

5. わたしの日々の過ごし方

現在は療養期間と割り切り、気ままに過ごしています。最近ではブログやSNSに目覚めて頻繁に更新しています。病気をオープンにしたTwitterアカウントを運営していて、2018年9月現在で1400人を超えるフォロワーさんがいます。

6. 今の目標

  • 朝型の生活を取り戻すこと
  • 服薬を欠かさず行うこと
  • 福祉就労で徐々に労働習慣をつけること

7. わたしにとって回復に役立ったと思う活動

とにかく「躁」の時も「うつ」の時も、無理矢理にでも寝ることです。私は寝ると頭がスッキリするのか、希死念慮や過活動が収まることが多いです。

8. こんな活動しています!

Twitterのハッシュタグで繋がる精神疾患当事者コミュニテ「Milkカフェ」の運営スタッフをしています。

また、のこのこバーやリアルのこのこバーにも不定期で参加しています。

9.繋がろう!!

この記事の感想を聞かせてください
  • いいね (7)
  • すごい (5)
  • 参考になった (2)
  • 共感 (1)
  • 会ってみたい (1)