「凸凹道を上手に歩いてく。」by ちぃさこ

こんにちは。北の大地で暮らす「ちぃさこ」です。
自然を感じることや、絵を描くこと、歌うことが大好きな表現屋です。
発達障害があり真っ直ぐな道を歩くのが苦手な凸凹さんです。
よろしくお願いします。

のこ太
ちぃさこさん、よろしくね!
のこ美ちゃん
表現屋さんらしい文面、とても読み入っちゃうわよ!

1. これまでの人生

*記憶が曖昧幼少期

私が生まれた時、ずいぶん小さかったそうです。体が弱く、肺分画症という病気で肺にメスを入れたそうです。血管が人より多く その血管の行き先がよくない場所だった。ということぐらいしか本人わかってないんですが、生死の境を行き来したそうです。今、肺分画症で調べたら、治療法があるようですが当時はまだ珍しい病気で、私の立派な血管は写真に取られ医学書に乗ったらしいです。

なので私のデビューは医学書です(笑)

のこ蔵さん
医学書がデビューとは、知的ですな!
のこ助さん
(のこ蔵さん、ちょっと違うと思うぞ…)

ぐったりした赤子の私をかかえていろんな病院に行ったことを31年生きてきた中でどれだけ聞かされたかわかりません。
感謝と共に重荷でもありました。

のこ助さん
感謝と重荷の共存か…
のこ太
ちぃさこさんの中で、大きな葛藤があったんだね。

*森の中の幼稚園

体が弱い私を強くしたい。という願いがあり私は山の中にある幼稚園に入ります。
裸足で走り回り、縄跳びの縄をさいた布で三つ編みの練習もかねて作り飛ぶ。
川遊びや秋は散歩しながら落葉キノコをとり、取れたら先生がお昼の時に味噌汁を作ってくれてお弁当に添えてくれる。
そんな幼稚園でした。

のこパパ
自然豊かな場所だなぁ
のこママ
空気がおいしそうね!

自由に絵を書かせてくれる幼稚園でした。えんぴつと消しゴムは使わず、黒いマッキーペンで絵を描きました。間違いなんてない。みたいなことだったのかもしれないけれど、私は黒色が苦手で。大きくなってから特に意識するようになったんですが、マッキーの独特な匂いでしっかりした黒で描くのが怖かったという記憶があります。だから今は特別なことがない限り、黒は使いません。

この幼稚園では、ホルベインの固形水彩絵具が支給されていました。
幼稚園児の私には使いこなせない品でしたが、その絵の具を私は今でも持っています。表現屋につながる大事な品のひとつです。

のこ美ちゃん
幼稚園の頃がちぃさこさんの表現屋としての原点だったのね!

*記憶が無い

私は発達障害です。20歳の時に診断されました。高校を卒業してからとても不安定でした。あるお医者さんでは、統合失調症と診断され、その薬を飲んでいたこともあり体重は70キロ代まで太ったことがあります。とにかくお腹がすいてたまらなかった。

2年連続で閉鎖病棟にある病院に入院するぐらい不安定で、2年目の入院でやっと発達障害だと診断されました。

幼稚園時代を書いているから次は小中高じゃない?となるのですが、実はかなり記憶が曖昧で、かけません。
大自然の幼稚園からの小学校がすごく窮屈だったことはわかります。いじめもあったそうです。
まだら登校や不登校、中学も1年の始めと2年の始めは頑張りましたが、不登校。
2年の半ばからはフリースクールに通っていたそうです。と、人事のような言い方なんですが(笑)

覚えてることもあるんですが、思い出したくないようでかなり記憶が曖昧で小学校から22歳ぐらいまでの記憶がないです。
あるんだけど、しまい混んでるようで、思い出そうと努力をしたこともありますが、パニック発作を起こしたりしてかなり良くない状態になるのでやめました。病名をつければなんかしらつくかもしれない。でもそれも「いらないな」って思うことにしています。さして困らないので。

唯一、分かることは、私はいつでもその都度一所懸命で。でも、凸凹故にうまく行かずにいたということ、そして診断までに盛大に二次障害をおこしてたんだと思います。
拒食症、自傷、鬱。それに加えて持ち前の行動力と突発性もありましたから。メンタル面が下の方にやんちゃでしたね。

いつも不安だったこと、心から信頼出来る友人もおらず、優しさに甘えすぎて関係が築けなかったこと。
ひとりぽっちで自分が何者かわからなかったことは深く覚えています。

ある程度の社交性はあるけれど、深く歩み寄ったり、何かに属したりすると途端にダメになる私でした。

のこ太
どこか孤独を感じていたんだね。

*20歳以降

発達障害と診断された頃。
その頃はまだ、アスペルガーと呼ばれていました。
ふわふわと気持ちが安定しない時期に付けられた「アスペルガー」という言葉。

1人宇宙人にでもされた気分ですごく嫌だった。
障害手帳手続きはきっと、母がしてくれたんだと思う。いつの間にか手元にあった。それを持って歩くように言われ、嫌でたまらなくてハンカチにくるんでカバンの奥底に入れていました。

発達障害と名前がついてから、何となく自分が何者なのかわかったような全然わからないような。

情報が足りなさ過ぎていつも気落ちしていました。
とにかく、普通じゃなかった。それだけは、私の中に明確にくっきりと後を残した。

のこ太
”アスペルガー”っていう語感はボクも苦手かも…
のこ美ちゃん
ネットスラングが変な風潮を作っちゃったもんね。

その後、NPO法人の何でも屋みたいなことをやってる施設で一年弱働く。
買い物代行、犬の散歩代行、家事援助、庭掃除手伝い、週に2回の頼まれた先のお弁当作り。

多種多様な障害がある人がいる中で、私が1番若かった。若いから知らないか。と言われると悔しくて、たくさんメモをとり、時には家復習をした。料理でも家事でも、買い物代行での荷物の詰め方まで。ここで基礎を教わった。

年配のおじいちゃんと相性が悪く、朝から泣かされ泣いて帰ろうとしたときに代表さんに玄関でばったり会い、おじいちゃんが叱られたりもしていた。これはどこいってもそうだが、八つ当たりしやすい性質らしく。八つ当たりされることは多かった。

そこでの濃ゆい1年も疲労がたまり辞めた。

ただそこの代表は好きだった。そんな代表が私の家の近くに広い家を借りてデイサービスを始める。私は「いつでも来ていいよ」の言葉をそのまま受け取り、好きな時にそこにいき手伝う。ボランティアというより近所の子みたいな役割になった。

そこで出会ったご年配の利用者さんの存在は私にはでかかった。素晴らしい人徳の人も、ボケたゆえにこじらせてしまい性格に難のある人、生活にゆとりのある人、困窮してる人。色々見てきた。

若かったのでいちいち胸を痛めたりした。今では全て糧になっている。

のこパパ
当時はツラくても、今糧にできるのが凄いな。
のこバァ
今思えば…というのは案外多いようじゃのう。

福祉の仕事をしたかった。その基盤があったから自信を貰い、ヘルパーの資格を取得しに行く。そこら辺の細かいことは、記憶が曖昧だが、その頃私は字にコンプレックスがあった。だから字を練習した。ひらがな。漢字。小学生が使う学習帳を買ってなんべんも練習した。

福祉の資格をとり、どうするかな。と思っていたら在宅ヘルパーの仕事の話が来て、それを受けた。
「できそう。」という気持ちと1人で人様の家に入るプレッシャーで前の日はいつも体調を崩していた。体を頑張らせるために1本500円の栄養ドリンクを飲んでた始末だ。

のこ助さん
1本500円の栄養ドリンク…ユン●ルかな
のこバブちゃん
バブ…(そこじゃないバブ)

でも、とある仕事の前の日、私は不安定に陥り仕事に行きたくなくて怖くてふらふらしていた。そして寝る前に作っていた湯たんぽのお湯をひっくり返してしまった。足は深い火傷をおった。仕事に行けなくなった。痛みの中どこかほっとした気持ちと情けなさでいっぱいになった。しばらくまとまった期間、火傷が治るまで休んだ。

休み明けに利用者宅に行って数回言ったとこで、ご年配の利用者さんの旦那さんにセクハラを受けた。お堅い人に見えていただけにショックはでかく、ベッタリとした。だけど偶然なんかじゃないそれにすっかりダメになり、その家を行くのはほかの人に代わってもらった。

そこからまた別の家を受け持ったが、もう身体も気持ちもパンク寸前でやめた。

仕事を辞めてから ボランティア先に顔を出していたが、ひょんなことからそこの代表に八つ当たりされてしまう。誰に言ってもそれは八つ当たりだった。でも私が利用者さんに、お節介を働いたのも事実だった。

福祉の仕事は情を入れすぎるとよくない。私は人に感情移入しやすいタチだから。合わないんだ。福祉の仕事は幼い頃からしたかったけど。ダメなんだ。それを痛感して泣きながら帰宅した。

のこ助さん
かなり無理してたんだな…
のこ蔵さん
たくさん重なったんですな…

*転換期

福祉の仕事は自分には適正に向いていない。
それが分かると次に何をしていいかわからなかった。

その頃私は、一人暮らしを始めていた。実家から近かった。
聴覚過敏がある私は、実家の近くの音が合わずに具合が悪くなっていたからだ。

1人の家で私がやったのは、絵を描くことだった。幼稚園の時に支給され、手持ち無沙汰になっていたホルベインの固形水彩。ある時、テレビで「あなたも簡単に水彩画がうまくなる!」みたいなテレビがあって、ちょっとしたコツで本当にキレイにみんな描くもんだから。すごい!となり、引っ張り出して描いてみるとまぁかける。ようは「使い方」がわからなかっただけだった。

そんな絵を描いてた時期に恩師に呼ばれて、山の開墾を手伝っていた時だった。

畑にするために石などを避ける作業だったんだが、話してる時に「もうこの先何しようかねぇ。」と話していたら 「なら、時間あるなら人前で話さないか?」と言われた。

「じゃあそこでポストカード作ったら売っていい?」とまだ現物もないくせに軽い気持ちで言ったら、「いいんじゃないか。」と言われた。
ずっとポストカードは作ってみたかったが、まさかこんな風にことが運ぶとは思わなかった。そこからしばらくポストカードにするためのイラストを描き、遠くの電気屋に足を運び、重たいプリンターを自分で持って帰り、印刷したり、やることが決まると動きは早かった。

地域の集会で「働く」をテーマにして自分のことを話し、ポストカードを売った。
そのポストカードを買った人から連絡が来て、今度はとある講演会のポスター起用をされることになる。その会場でも、ポストカードを売ることになる。
私の人生が「福祉の仕事をしたい」から少し変化してきたときだった。

この時26歳だった。

のこママ
転機が訪れたのね!
のこパパ
表現屋さんとしてのお仕事だね!

この頃、自分の障害特性も当事者会などの関わりの中で、「聴覚過敏が強いから音を防ごう」とか自分の苦手がわかってきてる時期だった。

音が苦手だから音楽が嫌いか。と言ったら答えはNOで、すごく好きだった。高校生から付き合っているパートナーの勧めで、ヘッドフォンやデジタル耳栓などの耳の保護具をつけて音楽を聞きに行ったらそのつながりの中で、仲良い人ができたりポストカードを置いてもらうことになったりと、本当に人生何が起きるかわからないな。って思ってた。

でも、だからメンタルが強くなったかといえば、まだこの頃は弱かった。

*雪山へ

26歳の冬、私はメンタルがガタ落ちだった。何をそんなに悲しくて死にたくなったか今となっては覚えていない。

オーバドーズをして、軽装で雪山に入った。星が見えるところで寝転がり意識が途切れるのを待った。いつだって消えたかった。今思うと、なんにもなかった私がいろんな変化に耐えきれずキャパオーバーのパニックのようなものだったんじゃないかという憶測はできる。

でも本気だったのも覚えてる。でもこの日は晴れていた。吹雪いていたらアウトだった。

無くなった意識で私は家に帰ったようで。

いつも実家に散歩に来る時間に私がいないのを心配して母が訪ねてきたのは次の日の夜だった。

軽装で服に葉っぱが沢山ついていて薬の殻が散乱する部屋で娘を見つけた時の母は「蒼白」という言葉がまるっと当てはまる状態だったと思う。

私は本能で意識を無くしても 「生きたい」と生を選んだ。心は死を選択しても本能が許してくれなかった。

のこ太
無事でなによりだよ…
のこ美ちゃん
ホント、無事で良かったわ!

*新たな障害

この一件で、実家に一時的に帰宅して寝ている私は、寝ながら叫んだり寝言が酷く、とても寝ているとはいえない状態だった。
その様子を聞いた兄が「睡眠障害じゃないか。」と言った。
小さい頃から寝言が激しかった私だからその可能性はないものではなかった。

睡眠外来専門の病院が隣の市にあって父と母と行った。

ひな祭りの日に検査入院をして頭にいっぱい線をつけて眠ったり、いろんな検査をした結果、私は1晩のうちに1時間もみたない時間しか深く寝てる時間がなかった。夢を見ている状態というのは、ほぼ起きていることと変わらない状態だ。私の睡眠の大半の時間はそれだった。

そこからは、生活改善と既に飲んでて今後必要のない薬の減薬、断薬に務めた。睡眠外来にたどり着く前の病院が薬を沢山出すタイプの病院で、この頃たくさん合わない強い薬を飲んでいた。

やると決めたら。やる私。先生に「君は減量中のボクサーか。あまり頑張り過ぎないで。」と言われるぐらいストイックに取り組んだ。
苦手な鼻呼吸も、癖をつければできる。睡眠には口呼吸より鼻呼吸と言われて取り組んだため、今では鼻呼吸ができる。

のこ太
鼻呼吸って大事みたいだね!

減薬は、容易くはなかった。苦しくて眠れない夜に救ってくれたのは、たまたま出会ったネット配信で歌ってるとある歌うたいの配信だった。それと家族とパートナー、周りの協力があったからできた減薬、断薬だった。

断薬を10ヶ月ぐらいかけて終了して規則正しい生活と乱れていた食生活を治すと、私のガリガリだった身体は健康的に見やすい身体になってきた。

夜眠れることで、常に立っていたアンテナが10本だとすると、5本ぐらいになった。
物事に対して少し鈍く接するようになった気がする。

のこ美ちゃん
少し自分の中の積荷を降ろせたのね!

その間も絵を描き、音楽を自分も初め、なんなら演奏して歌う。
発達障害の仲間のつながりも、音楽のつながりも、どちらも大事にしながら生きる方向に歩んでた。

*結婚

高校の時から付き合ってる彼とは長い付き合いだが、私が発達障害があるように、途中で彼も、強迫性障害を発症している。働けなくなり動けなくなる彼を見てきている。

私が発達障害とわかった時 「別れてくれていい」と母は彼に言ったそうだ。でも彼はそれを選択しなかった。私が29の夏。このままずるずると付き合いが続くと思っていた時だ。

鬱病で苦しんでいた自分の人生を劇仕立てで音楽に乗せて語るというとある男性のイベントに縁あって行った。その男性にもパートナーがいて 「治るのを待っていたらおじいちゃん、おばあちゃんになってしまう。不完全でもいいから結婚して一緒に歩もう」と言ったという。私は涙が止まらなく、ずっとパートナーのことを考えていた。

そして、そのイベントの男性と奥さんに話を聞いて、奥さんに自分も頑張りたい。と言ったら 「世間は世間。人生は自分のものだから。」と応援してくれた。

私はその日の夜、彼に会い、「結婚をして不完全でもいいから歩もう」と告げた。彼は戸惑ったけど、私が揺るがなかったので数日後に結婚を決めた。

そこからがまぁ大変で。結婚を決めたのが7月の終わり。籍を入れるのが私の誕生日で10月。調べなきゃ行けないことだらけだった。

住む場所は彼の実家。彼と彼のお母さんと3人暮らし。

変化に弱い発達さんですから「結婚」という大きな変化に怖くなり、おかしくなり、1度私は北の国からで有名な富良野という土地に逃亡。知り合いの家で少し過ごします。逃げる時の衝動性と行動力は相も変わらず。

それでも結婚することができたから、なんだか凄かったです。

のこ蔵さん
富良野と言えば”やるなら今しかねぇ~♪”ですな!
のこ助さん
(のこ蔵さん、懐かしいけどちょっと違うと思うぞ…)

*おめでとうがない

私が体が弱いということは冒頭に書きましたが、私は結婚して一年ちょっと経った今でも両親におめでとう。と言われていません。

色んなことがあって書きれないのですが、嫁いで、また別の環境に触れて分かったのが、私と母との共依存関係でした。
極端に自信が無い自分。なにかあると全てが自分のせいだと責める自分。発達障害ゆえのものだと思っていましたが、家庭環境からきているものもありました。

私は実家でよく自分がカースト下位で迷惑をかけているのだから、理不尽な思いをしても少しぐらい多く金銭を出さなきゃ行けなくても、それが当たり前だと思っていました

でもこの家に来て、それが当たり前じゃなく、というか、カーストなんてものは家族にはない。と何度も彼に言われて、今自分の中のまた新たな認識改革の真っ只中です。

のこママ
ちぃさこさん、ご結婚おめでとう☆
のこ美ちゃん
少しずつ進んでいこうね!

2. どんな精神・発達障害を抱えていますか?

当時は、広汎性発達障害。今は自閉スペクトラム症と呼ばれているようです。
それと睡眠障害(レストレスレッグス症候群が強いタイプ。別名むずむず脚)

*いつから精神・発達障害を抱えているのか?

気がついたのは20才ころの診断。でも先天性なので色々こじらせていたんでしょうね。

睡眠障害も同じく。レストレスレッグス(別名 むずむず脚)の症状が酷く、これだけでも幼少期にわかっていたら眠れていたはずだし、また少し違った未来があったんでは?と思います

*どのような症状?

発達障害は、聴覚過敏、感覚過敏が強く、大きな音や突然の出来事に対応できなくなってしまい、私の場合は パニックよりも押し込めてフリーズする確率が高いです。

凸凹特性さんなので、普通といわれる多数の人ができることが出来なく、なんでそんなこと出来るの!?が出来たりします(笑)

睡眠障害は、入眠困難、中途覚醒などですが。
今はレストレスレッグス症候群の方の薬と相性良く。

1度身につけた生活リズムや鼻呼吸ですごく困るほどではありません。

3. 発達障害でこれまで大変だった事

沢山あるんだけど 「普通」を意識しすぎて「自分が普通じゃないんだー!」と悲しくなってしまうこと。そもそも普通なんてないのにね。それがわかる。
今でも低下すると、自分が普通じゃないと息苦しくなります。

それと聴覚過敏。体調が最高に悪くなるとささいな音でも自分に向かってきてる感覚になります。
音を痛く感じることなどは辛いことです。

4. 今現在どんな治療を行なっている?

月に一度程、睡眠障害の外来に遊びに…じゃないや。通院しています。
先生が面白くて看護師さん達も大好きなので、遊びに行く感覚です。
「きたよー!」と言いながら診察室に入りますから(笑)

たまにキャパオーバーになると療養入院して休ませてもらうんだけど、本当に自由にしてましたね。

のこバァ
なんだかほっこりするのう。
のこジィ
バァさんや、ワシのどら焼き、どこに隠したんじゃ?
のこバブちゃん
(のこジィもかなり自由バブ…)

5. わたしの日々の過ごし方

体に負担がかからない程度に、主婦してます。
雪がない時は近くの産直に行ったり近くの牧場で飼ってるヤギを見たりするのが好き。

絵を描き、委託先のカフェに持ってったり、ギター弾いたり、たまに人前でも歌ったり、興味のあることに対して動くくせに体弱いからよく寝込んでますが。

今、若い頃できなかったことの理屈がわかり、チャレンジしたらあの時何がわからなかったのか分かり、前に進めることが嬉しい。

6. 今の目標

自分のキャパシティを持って自分で客観視して倒れるまで頑張らないようにしたい。

あと、体調が悪いと自分を責めるのを軽減したいですね。ぼちぼち行きたいです。

のこ太
”ぼちぼち” って大事だね!

7. わたしにとって回復に役立ったと思う活動

良くも悪くも人と繋がることを辞めなかったことです。すぐ人をマルっと信用しちゃうから傷つくことも多く。
火傷しないと学べない自分が嫌でしたが、それが経験としてマルっと信じる前に少しブレーキが効くようになった。

そして何よりも睡眠。睡眠が深く取れる時間が長くなったことで私の体質は大きく変わりました。ないなりに体力がつきましたし。

食べること、寝ること、人と関わり、時に情報を得ること。

大切だなってしみじみ思います。

8. こんな活動しています!

北国で描いたり歌ったりしていますが、こちらの「ちぃさ子」は、今回仮名です。

活動名でやるには、いろんな人と繋がりすぎたのと、私が入院していたなんてつゆ知らず 「幸せそう」というひともいますから。

それはそれで、そのままでいたくて。

もしこれを読んで、ピンと来たらそやつです(笑)

そやつの活動を応援してやってください。頑張りすぎるなー!って。

のこ太
みんな!ピンときたら声かけてあげてね!

9. 繋がろう!!

仮名だから 繋がるもなんもないけど、

1日1回小さな幸せがみんな見つけられるように北国から願ってますよー!

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