「My Apocalypse…」by 贋世捨人

初めまして。贋世捨人(がんよすてびと)と申します。
同名の書籍とは関係ありませんので悪しからず。
僕自身は、どこかの山奥でひっそりと暮らしている鬱病歴10年のしがないアラサー男です。これを書いてる時分では、後1ヶ月ちょっとで平成が終わります。野球ファンではないのですが、一目置かざるを得ない男・イチローが現役引退の記者会見を開いている最中でございます。平成生まれの僕も感慨深いなぁ、なんて思ったり。そんなこんなで平成の30年間が、ほぼほぼ自分の人生なので振り返りながら、膿み出しも兼ねて僕が歩んで来た道を綴らせて頂きます。気軽に、笑い話のネタに、と少し覗いて行って頂けると幸いです。

のこ太
贋世捨人さん!よろしくね!
のこ助さん
グッと引き込まれる自己紹介だな!

1. 僕の人生

 1.1.幼少期

僕が産まれたのは、バブルが傾き始めた(?)平成2(1990)年です。

胎盤剥離で15分、処置が遅れていたら僕は勿論、母もこの世から、消え去る羽目になっていた危険な状態でした。

間一髪のところで一命を取り留めた僕でしたが、父は担当医からショックな宣告をされたそうです。

「奇跡的に一命は取り留めましたが、お子さんには9割の確率で脳に後遺症が出る可能性があります。」

父は1週間、眠れぬ日々を過ごし、「まぁ、俺が一緒に生きて行ってやれば良いか。」と腹を括ったそうです。

しかし、両親の心配を他所に僕は、至って何の問題も無くスクスクと育ちます。

8歳年上の姉と6歳年上の兄、両親に祖父母、親戚に近所の大人達等々、皆んなに可愛がられて、自由にスクスクと元気に育ったのです。

のこママ
母子ともに無事で何よりだわ!

しかし、保育園や近所の子供達と仲良くするのがちょっと苦手で一人遊びが大好き。根っからの内向性と苦手な他人に対して道化を演じて取り入る二面性を身に付けたのは、この頃だったと思います。

まぁ、サービス精神旺盛で人が喜ぶ顔を見るのが好きだったのもありますが、それ以上に子供なりに媚びて周りに溶け込もうと努力してたのでしょうね。

 1.2. 小学生時代

小学校に上がる頃には、近所の同級生達とも馴染んで剽軽者(ひょうきんもの)キャラが少し定着していました。

家では、専ら大好きな粘土遊びか怪獣映画を観て過ごしていました。

学校では剽軽なキャラクターといつも恐竜や動物、海洋生物に昆虫と生き物の図鑑を読み漁る学者気質の性格も相俟って、割と教師や同級生からも人気のある子でした。

そんな時分、兄の影響で当時、社会現象だった新世紀エヴァンゲリオンの映画を観に行きます。

これが衝撃的過ぎて、すぐさまエヴァが大好き(無論、話の意味は理解してなかったですが…)になり、所謂、オタクになり始めます。

のこ太
“エヴァ”ってアニメ、すごく人気なんだよね!パパ!
のこパパ
難しい話だけど、面白いぞ!

時を同じくして、この頃から後の禍根の根源であるイジメが始まります。

剽軽でそこそこ人気者のくせにオタク属性で基本的にビビりな臆病者。イジメっ子達からすれば、気に入らない上にイジメ易い格好の的でしかなかったのでしょうね。

のこ蔵さん
標的にされてしまったんデスな・・・

故に小学2〜6年生までのイメージは苛烈なイジメで塗りたくられています。

学校を離れても近所のガキ大将達にイジメられて踏んだり蹴ったりでした。

この頃のトラウマは、今も夢に出る事があったり、後々にも影響して行きます。

また僕が小学校に上がって間も無く、兄が交通事故の後遺症を切っ掛けに元々、患っていたと思われる精神疾患が酷くなり、家庭内の雰囲気も変わって行きました。

のこ美ちゃん
イジメや家族の事、きっとしんどかったよね。

 1.3.中学校時代

小学校時代の様々な人間関係含め人生で最初の大きな変化があったのが、中学生の時でした。

中学に上がった僕が先ず始めたのは…

ズバリ、復讐です。

のこ助さん
(復讐とは何やら物騒だな・・・)

どうしてもヤワなイメージが付き纏うオタク属性に反旗を翻し、男らしさの様なものに傾倒して行きます。

柔道部に入部し、毎日、罵声を浴びせられ、ボコボコにされながらもイジメっ子達への復讐心をエネルギーに心身を鍛え、戦う技術を身に付けて行きます。(※僕が言えた事ではないのですが、武道も格闘技も己と向き合い心身を鍛える為の競技です。喧嘩の為に覚え様となんてしないで下さいね。)

「喧嘩に強くなって、奴等に必ず復讐してやるっ…!!」

何とも不純で子供らしい発想ですね(笑)まぁでも、本気だったので僅か数ヶ月でヤンチャだった先輩達からも一目置かれる存在になりました。いや、なってしまったのです。

そして、クラス内の覇権を握ると復讐劇は本格化します。

そうこうして、2年生になる頃には3年生も恐れる狂犬に成り果てていました。

散々、僕を言葉や暴力で虐げて来た連中が、恐れをなしてヘコヘコと媚びを売って来ます。

しかし、何故でしょうか。

とても虚しかったのです。

宿願だった復讐は果たされたのに心には、いつも虚しさがありました。

武道と言うものの極意が分かって来たからでしょうか?

それとも小学校の頃から段々、夢中になっていた三国志の影響でしょうか?

只々、下らないと言う思いとそこまでやって来てしまった事で出来た校内のヒエラルキーを恐怖政治で守るだけの虚しい生活でした。

しかし、変わり始める切っ掛けがありました。

元々、柔道部の顧問で生徒指導係兼養護学級の担任をしていた先生が、僕のクラス担任になったのです。

「あの鬼顧問が担任だとぅ…!?」

と内心、震え上がってたのですが、因果応報ですね(笑)

僕の居たクラスは、問題児の巣窟で1年生から2年生に進級する際、クラス担任も教科担当も全員変更と言う混沌振りだったので、荒事に慣れたその先生が特任されたワケです。

しかし、部活外でも関わる事が多くなった(クラス担任以外に国語と美術の担当もその先生になりました…)事に因り、その先生の心構えや教育に対する熱意、人間としての姿勢等、多くを学びました。

そして、いつしかその先生を“お師匠”と呼び慕う様になります。

お師匠はお師匠で、僕の事を一生徒と言うより、弟子として色々と便利に重宝していたのも今となっては笑い話なのですが…(笑)

のこバブちゃん
ばぶ!(熱い師弟関係ばぶ!)

そんなこんなでちょっと自分の中で何かが変わって来た頃にもう一つとても大きな出来事が起きます。

端的に言うと彼女が出来るのですが、この子のお陰でどんどん僕の人生は変わって行きます。

青春ですね〜。

のこ美ちゃん
うふっ、青春ね♡

 1.4.高校時代

何のかんのでバタバタしている内に中学も卒業を迎え、いよいよ人生初の受験を突破して高校に進学します。

この際、僕の内申点が低過ぎてお師匠と一悶着した気がするのですが、何とか志望校に彼女と仲良く進学します。

高校時代は中学生活と打って変わって、静かで穏やかに過ごせる様、猫を被ってました(笑)

幸い彼女だけでなく、中学で一番の親友も同じ高校に入ってくれたのは大きかったです。

「俺は〇〇中の裏番だった男だぞ?」と言う謎のプライドを周囲にチラ見せしつつも、彼女と親友さえ居てくれれば、他の人間はどうでも良かったので妙な立ち位置で過ごしてました。

クラスでもクラス外でもどこのグループにも属さず、かと言って波風を立たせる事も無く、我道を貫きます。

全ては愛する人との明るい未来の為に、と。

のこ助さん
硬派だなぁ!かっこいいぜ!

そして、高校時代に出会った最も大きな存在は、3年間を通して担任だった先生です。

その先生は、高校を卒業した後、本当に自分の意思と努力で将来と言う道を作る為の術を教えてくれました。

お陰で何とか無事に高校を卒業する頃には、大学進学の切符を手に出来たのです。

のこ蔵さん
大学・・・うっ、頭が・・・
のこ助さん
(安定のリアクション…)

 1.5.大学時代

大学での4年間は僕の人生が一番、大きく変化した時期です。

先ず、慣れ親しんだ地元を離れ、初めての土地で一人暮らしを始めます。

当然、周りの環境の全てが変わります。

今までは母が黙ってやってくれていた炊事や洗濯を筆頭に生活の9割を自分で熟さなければなりません。

しかし、生活費は奨学金で賄っていましたし、学費は全て両親が払ってくれていたので貧乏学生でしたが、金銭的にはそんなに苦労しませんでした。

そんなこんなで新天地での生活が始まって2ヶ月位、経った頃です。僕に最初の変調が現れます。

何の気なしにぼろアパートの自室で洗い物をしていた時の事でした。

寝巻きの裾を捲り上げた脚を何かが登って来るのです。

「ん?」と目をやった先には…

お察しの方は、もうお気付きですね(笑)

そう、皆んな大嫌いなあの昆虫が登って来てたのです。

のこ太
ま、まさか・・・
のこ助さん
じ・・・Gかな・・・?

元より、自然豊か過ぎる山里育ちの僕は、虫の類など意に介しません。

しかし、その実、あの虫だけはあまり馴染みが無かったのです。

と言うのも僕の地元は本土でも稀有な寒冷地でして、あの虫を見る事は、ほぼありません。床暖房設備を入れたりしないと人家で越冬出来ない寒さなのであの虫が基本的に居ないのです。(それでも近年の著しい温暖化で繁華街などでは目撃する様になりました…)

それでも県外に旅行に行った時に片手で数える位は、目撃してたので何となくは分かっていたのですが、何故、あの虫がそれ程までに人々に嫌われているのか分かっていなかったのです。

しかし、ファーストインプレッションの衝撃から、思い知らされました。

あんな化け物が、平然と人間のテリトリーに住み着く恐怖は、僕を徐々に壊して行きます。

今でも正直、触れはしないのですが、直視くらいは出来る様になりました。しかし、たかが昆虫です。根本的に自分でも何がそんなに怖いのか分からないのです。

しかし、当時は夜になって寝ようとしても、ほんのちょっとした些細な物音が気になって眠れなくなってしまいました。

慣れない一人暮らしの疲れと自分でも理由がよく分からない不眠症状、更に実家から解き放たれた生活は、偏った食事と毎晩の多量飲酒を招き、僕は壊れて行きます。元が怠惰な性分なんですね。

そんな生活の中、更なる悲劇に見舞われます。

それぞれの進学先が違った為、遠距離恋愛になっていた最愛の彼女にフラれたのです。

その彼女も実に5年弱もの期間を僕と過ごしてくれました。僕は彼女の青春を丸々、貰っていたのです。

僕は僕で彼女を不幸にしない為に、そして、彼女との将来の為にと色んな事を我慢しましたし、努力もしました。

でも、結局は僕の愚かさで彼女を失いました。

こうして、中学の頃から淡々と積み上げて来た人生設計が水泡に帰した僕は、色々がどうでもよくなってしまいます。

不幸とは重なるものなのか更に精神衛生に宜しくない出来事が続きます。

大好きな洋楽のアーティストが、立て続けに3人も亡くなります。

そして、僕が2〜3歳の頃から実家で飼っていた愛猫が他界します。

様々な喪失感から、更に酒に溺れ、虚ろな目で大学生活を過ごしました。

のこ美ちゃん
喪失体験の連続ね・・・
のこ太
すごくダメージが大きいやつだ・・・

でも、職業に関する夢は諦めませんでした。

元より、学者志望で大学に進んだので研究にやるせなさをぶつけ始めます。

しかし、どんなにレポートやら論文やらを書こうが、教授や講師の先生方は、評価に値しないと判を下しました。

結局、学者の道を進むには読む側(先生方)が、何をどう感じて書いた側(学生等)に何を見出すか、が重要なところでもあるので当然、質の高い論文などを書かなければいけません。

しかし、どうでしょう。この常に酔っ払ってる様なヤケクソ学生にそんな質の高い論文が書けるワケも無いのは明白です。もうそれこそ“下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる”の精神と不眠から来る覚醒も手伝って粗末な乱文を量産します。

結果は言わずもがなです。色んな先生に「数を書くんじゃなくて一つのテーマをもっともっと掘り下げて考えろ。」とお叱りを貰うのですが、それをやる気力が無いのです。簡単なテーマで駄作を量産するのは慣れてさえいれば、そんなに労力を必要としません。しかし、一つの良作を作るのはそのうん倍も労力が必要です。

今になって思えば、学者への夢が捨て切れなかったのではなく、ただ夢に縋り付いていただけでした。結果が出ないと分かっていても骨を折り続けたのは、そうしていないと自分の精神が保てなかったからかもしれません。

当然、次第に全てに対する気力が無くなって行きます。

すると、また更に酒に逃げて、講義の出席も疎かになり始め、論文の類も書かなくなり、次第に「死にたい。」と口にする様になります。

前文で少し触れましたが、僕は3人姉弟です。

そして、兄は僕が小学校に上がって間もない頃から、神経症(強迫性と不安性、更に鬱などを合併しています)でしたし、姉も僕が高校の頃に統合失調症を発症して闘病中でした。

ですので家族(特に兄)は早くから、僕の鬱症状に家庭内でも議論し、警鐘を鳴らしていた様です。

しかし、僕は「俺がこの家の最後の砦だ!」と言う身勝手な思いや驕り、自分が病気である事への疑心もあり、それでもまだ夢に縋り付いて大学生活を辞める事が出来ませんでした。

そんなこんなで大学3年生になります。

ゼミが始まり、就活も徐々に始まって行きます。

学部によってキャンパスが異動になる事もあり、東京に進出です。

もうほぼ学者への道を諦めていた僕は、苦し紛れの就活を始めます。

そして、ある企業説明会の帰りの事でした。

電車の乗り換えで渋谷駅に着き、電車のドアが開きました。溢れる様な人の波に揉まれながら、ぞろぞろと歩いていると急に頭か心かプツンッと何か緊張の糸の様な物が切れた感覚に陥り、そのままパニック状態になってしまいます。

止まらない動悸、荒れる呼吸、自分が何の為にどこに居るのか、何故こんな事をしてるのかが、突如として分からなくなりました。

完全に混乱状態ですぐにでも叫び出したい気持ちでしたが、そうも行かず、ホームの壁にへたり込んで2時間位、動けなくなってしまいます。

何とかパニックが治ると、フラフラながらアパートの最寄り駅まで帰って来て、何故か行きつけの居酒屋で一人反省会。イケオジな大将に「スーツなんて着てどうしたの?w」と聞かれ、たわいない会話をするのが精一杯でした。

アパートの自室に帰ると兄に電話をし、泣きながら「もうダメみたいだ…」と相談したのを覚えています。

その日の1週間後位に最寄りのメンタルクリニックに通い始めます。

初めての担当医は、“抑鬱状態”と取り敢えずの医証を出してくれたので3ヶ月位かなぁ。大学の講義にも顔を出せず、学友が心配して来てくれたりな引き篭もり生活を送ります。

そして、学友に励まされたり、兄が仕事を休んで数ヶ月間も様子を見に来てくれたりしながら、月日は流れ、到頭、卒業も近付いて来ます。

その場しのぎに書いた粗末な卒論は通りましたが、基礎単位の取り逃がしがカバー出来ず、卒業は不可に。当時は留年する気力も体力も無く、経済的にも厳しかったので僕の大学4年間は、退学届の提出で幕を閉じます。同期の卒業式の日に一人、アパートで祝杯を挙げて後日、実家に帰ります。

 1.6.暴走期

2013年の3月にオメオメと帰って来た実家ですが、家族の総意は兄や姉の前例もあったので「取り敢えず、休んでろ。」でした。僕自身も何かが出来る筈も無く、2ヶ月程、特に何もしないで過ごします。

しかし、地元の腐れ仲間と戯れたりしていると、次第に気力が回復して来たので小遣い稼ぎの為に家業を手伝う事に。

幸い我が家は代々の農家で、父は脱サラして専業にシフトした口でしたが、今でも農業を営んでおります。

この頃、家業を手伝いながら、何か記録を残したいと思ってブログを開設します。そこで初めてネット社会に首を突っ込んだのですが、ブログを通じて多くの出会いがあり、死んでいた僕の人間らしい感情もどんどん取り戻されて行きます。

しかし、感情を取り戻して行くと生来、気が合わずお互いに妙な距離感で接していた父との軋轢が深まり、家業の手伝いも1年と保たずにニートに戻ります。

ここから、3〜4年間に亘る大暴走が始まります。

色々とあり過ぎて何をどうまとめれば良いのか分からないので省略しますが、結果だけ言うと僕はそれまでの人生で築いて来た大半のものを失い、様々なトラウマを抱え、脛に傷のある日陰者となります。(※犯罪を犯したワケではありませんが、心情的な意味で…です)

混沌とした精神状態が招いた数々の悲劇は機会がありましたら、直接、聞いてやって下さい(笑)場合に因っては淡々と語り始めるかもしれません…(笑)

のこジィ
何やら気になるのぉ
のこバァ
今度聞いてみるかの

 1.7.現在

実に23〜27歳までの間、暴走の限りを尽くした僕でしたが、28にもなると己を深く省み、とある種の悟りの様なものを得て、心の安寧を得ます。故に現在はかなり落ち着いた状態にあります。

目下のところ、平成の世も終わろうとし、自分も三十路が見えて来たので自己改革に取り組んでおります。病歴も数えて10年目、通院歴も7年目です。ポツポツとですが、様々な人生の機微に応じて家業の手伝いを再開したりと動き始めております。

のこ太
一緒にのこのこ進んでいこうね!

2. どんな精神・発達障害を抱えていますか?

 2.1. いつから精神・発達障害を抱えているのか?

最初の主治医は、統合失調症疑いとしておりましたが、症状から見て鬱病だと睨んでいたところ、2番目の主治医は鬱病と診断しました。現在の3番目の主治医に因ると、鬱病に加えて発達障害の可能性が高いとの事です。ADHDの要素もありますし、ASDの特徴も多く含みます。特定は難しいとの事でした。

先述の通り、抑鬱症状と睡眠障害は2009年の半ばから、現在まで大小の波を持ちながら、格闘中です。

発達障害に関しては、2016年頃に現在の主治医に因って診断されました。症状例を見るからに物心ついた頃から、その様な傾向はあったと思われます。

 2.2. どのような症状?

主立っては、虚無感、絶望感、倦怠感、無気力、希死念慮、コントロール不能な睡眠リズム、軽度の自傷癖…等かと思います。発達障害の傾向に関しては、衝動的な行動や一つの事に集中し過ぎてしまう等、無意識下で様々にあると思います。

3. 精神・発達障害でこれまで大変だった事

端的に言うと幼少の頃から、常に生きづらさは感じていました。特に対人関係は、常に悩みの種であると言えます。生来のものは、その場その場の状況に応じて対処はして来ましたが、鬱病を患ってからは只々、健全に、普遍的に生きる事の難しさに直面しています。

4. 今現在どんな治療を行なっている?

月に一度の通院と薬物療法をメインに認知行動療法を独自に行なっています。

5. わたしの日々の過ごし方

基本的に睡眠リズムがコントロール不能な状態なので、その日に出来る事を体調や精神状態、周囲の状況等と相談しながら、出来る範囲でこなしております。

別段、何かしようと身構える事はありません。基本的には、流れに身を任せながら、徒然なるままにのんびりと過ごしています。

6. 今の目標

目下のところ、禁煙中でして。タバコを止めて浮いたお金で今までやりたかった事に挑戦して行きたいと思っております。

7. わたしにとって回復に役立ったと思う活動

やはり、理解ある他者に心の内を曝け出す事は大事だと思いますが、至極、個人的な事を申しますと、心の核になるものを見付けられた事が大きいと思います。

基本的に依存体質なのが原因だと思うのですが、心の核…言い換えれば、依り代になる物でも良いですし、事でも良いのです。

兎角、己の魂を延いては人生を捧げても良いと思える対象を見付ける事が、心の補完になり、精神の安定に大きく作用したと思っております。

あとは公的補助、控除をちゃんと受ける事でしょうか。

国民年金関連は勿論、お金に少しでもゆとりがあると精神的にもかなり楽ですし、普遍的な社会人の様には行きませんが、日々の暮らしにも多少の娯楽が増えます。

これはデメリットを加味しても、メリットが大きいと言わざるを得ません。

8. 逆にわたしにとって病状を悪化させたと思う活動

常にメンタル面がふにゃふにゃな状態に近いので周囲の様々な要因がストレスとなり、すぐに心が挫けてしまうのですが、やはり、飲酒を絡めた対人関係上の問題は事ある毎に問題を引き起こしていました。無論、自分の酒癖の悪さが一番の原因だと自覚しておりますが…

9. こんな活動しています!

特に主立った活動はしていないのですが、地域のピアサポートに参加したり、この様にライフスタイルページを書かせて頂いたりしております。僕自身の経験がまだ見ぬどなたかの手助けになれば幸いです。

のこパパ
ピアサポートかぁ!どういうのだろう?
のこ太
気になる方は贋世捨人さんにコンタクトしてみてね!

10. 繋がろう!!

Twitterにて、日常の事やほぼネガティブな発言しかしない要注意アカウントと完全に好きなものの事について比較的ポジティブな発言しかしないアカウントを使い分けております。

もし、興味がおありな方がいらっしゃいましたら、先ずは@shogyoumujou01までご連絡下さい。

また更新するか未定のブログをAmebaにて開設しておりますので気軽にお問い合わせ下さい。

この記事の感想を聞かせてください
  • いいね (1)
  • 共感 (0)
  • すごい (0)
  • 参考になった (0)
  • 会ってみたい (0)