「いばるちゃんローリングサンダー」byいばる

こんにちは。
いばるです。初級浮浪者です。双極性感情障害Ⅱ型+ADHD+何か、っぽい人です。

のこ太
こんにちはー。よろしくー!

1. いばるの人生

Rolling thunder

Wikipedia © OpenStreetMap contributors

1977年、愛媛県松山市で生まれました。よく四国の右上?って言われるのでMAP貼っといたよ。

両親と兄、そして自分、という家族構成でした。オヤジは飲む打つ買う、DVに借金な人だったので、ボクが6歳ぐらいで離別しています。

養育費が不払いで、貧しかったみたいです。オカンは死ぬまで「おカネがない」って呪詛を吐き続けました。家賃を滞納して大家に土下座してました。いつも社会保障費の督促状が届いていました。中古の軽自動車とファミコンはありました。ドラクエも買って貰えました。

(ファミコン発売は1983年。当時の大卒初任給は133200円(年次統計)、愛媛県の最低賃金は377円。ファミコンのメーカー希望小売価格は1万4800円。ソフトは4000~6000円でした。)

オカンは夜のお仕事だったので、母子すれ違いの生活。いつも恋人とのトラブルで泣き腫らし、常に疲れ果てているようでした。心底楽しんでいる姿を見た記憶がありません。子供を空腹にさせないよう、苦心していたようです。「店のお客さん」とかいうおじさんの出資で、旅行や贅沢な食事に連れて行かれました。数年おきに代わる新恋人との接し方がいつも分かりませんでした。

(ちなみにオカンは、1945年に満州で出生、って相続放棄の手続の時に知りました。戦争って遠くない昔やな…)

のこ太
苦しい中でも、頑張ってるお母さんだったんだな・・・。幼少期のいばるさんも、きっと気苦労が多かったんだろうな。

幼稚園児の頃すでに、行方不明になって一人遊びしたり、気が付くと周りの子たちに取り残されていたり、事案が発生してました。就学しても窓の外を眺めていたり、突然コンサートを始めたり、抜け出してとっ捕まったり、何かとやらかしました。学力的にヤバいことになりましたが、ただのバカでわがままな子どもってことで、深刻化しませんでした。

就学前から兄に不定期でいじめられ、中学がピークで、兄が就職するまで続きました。オカンに救済を求めても取り合ってもらえず、兄とは何かと扱いに差を付けられていたので、激しく憎むようになりました。また、「あんたのため」ってことで非難や抑圧が地獄化したので、ひたすら反抗するようになりました。安心して眠りに就ける家がなくなりました。ある時、余りにも兄の攻撃が酷いと訴えたら、オカンは辞書で「半信半疑」を引いて、「いざとなったら刺してもいい」と言われました。

のこ助さん
刺してもいい!?凄まじい家庭だったんだな・・・

中学は学区が分かれ、仲良しグループと分裂し、同じ中学になれた一人も、入学早々に不登校になり、自ら火を放って亡くなりました。不良が多く、やたら絡まれて回避が厄介でした。小学校2年生で九九を憶えられず詰んでいたので、定期的な評価は痛みを伴いました。いまも九九分からないです。でも学位は2つあります。小4くらいから本を読み始めたのは救いだったかも知れません。

のこ美ちゃん
中学生が焼身自殺!?なんて悲惨な・・・!

そして、中学卒業までの間、窃盗を繰り返すようになりました。もっぱら小説やマンガが対象でした。少なからず友だちもいましたが、孤独に、犯行を重ねていました。スリルを楽しんでない。非行に走る子供の気持ちは分からないです。楽しくもないのに、長時間ゲームに浸って茫然自失していました。

高校は山間にある小規模な分校で、専科だったので、そこそこ気楽でした。3年間持ち上がりだった担任の教師にたらふくメシを奢ってもらい、何かと構ってもらってました。たまにオカンに小遣いをせびり、友だちとグダって、ゲームして、本読んで、本業に専念できませんでした。地元の「一六タルト」の工場で働くつもりでした。担任に感化され、大学受験しました。わがままでしたが基本的に主体性はなかったです。後に大学で行き詰まり退学を相談したときに、「進学のために動いたオレのことも考えてくれ」と諭されて、残念でした。

(「ローリングサンダー」”Rolling thunder” 1977 ©AIP)

 

カッコーの巣の上で

1995年 宮崎県、青島 ©Ibaru

希望した大学に払うお金がなくて、ひたすらオカンを責めました。どんなことをしてでも行かせてやる、と豪語されていたので、被ダメが大きかったです。知っていたのに、期待してしまいました。ある日突然「養育義務は18歳まで」と突き放されたので、煽られました。

(民法877条の解釈によると、親が子供に対して負う扶養義務はおおむね成人するまで(未成熟子)とされていますが、条文に年限の記載はありません。むしろ血族は互いに扶養する義務があるとされています。法解釈って怖い。)

学校内の大人の事情で、当初の志望校を受験できませんでした。面倒な事態に巻き込まれがちです。結果的に大学進学はできて、皮肉にも貧困ゆえに授業料は免除され、奨学金を切られるのを恐れて4年で卒業しました。授業料免除の申請の時に所得証明みたら、月収11万て書いてありました。

のこママ
若い頃からお金で苦労してたのね。大変だったと思うわ・・・

ようやく解放されて自立した暮らし、にはならず、すぐさま恋人に依存して、破綻しました。人間関係は壊す専門で、他者に支配的に向き合う以外の方法を知りませんでした。あるいは知っていて、できませんでした。大言壮語と、他者を慮らない衝動的な言動が際立っていました。

手続きを怠り、3年次で寮を追い出され、恋人にアパートを借りてもらい庇護されました。そもそも落ち着いて勉強できたこともなかったですが、この頃から学習が顕著に困難になりました。読書するのも著しい労力を伴うようになりました。とりあえず単位は取れて、最低限の課題は果せても、生活は堕落し切ってました。結局、就職活動もせず、順番が回ってきて押し出されました。

学生時代に唯一熱心だったのは、自動車で遠出することと、ヒッチハイクでした。当然、その都度いろんな人に負担を押し付けていました。ヒッチハイクで拾ってくれた老年女性とあらぬことで衝突し、号泣させたことありますね・・・

この頃、たぶん『コインロッカーベイビーズ』の影響だと思いますが、『片付けられない女たち』や河合隼雄さんの著書を読んで、自分も何らかの障害があるのかも知れないと思うようになりました。

(「カッコーの巣の上で」”One flew over the cuckoo’s nest” 1975 ©Warner)

のこ太
この当時から、自分の障害について自覚が芽生え始めたんだな。

On the Road

© 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省

土門拳の『筑豊のこどもたち』を見た影響か、卒業した年の6月から池島炭鉱(三井松島産業池島鉱業所)で働くようになりました。すぐに逃亡しました。ひたすら移動しました。詳細は省きます。人間関係が破綻し、ミスが多発し、意識が散逸し、悪夢から抜け出せなくなりました。

28歳の時に初めて心療内科に通院し、薬が処方されました。そうだよな、という気持ちでした。

ようやく治療が始まりましたが、すぐさまワーホリで自動的に断薬してしまいました。ベルリンでも寝込んでしばしば鬱屈していました。トルコ人に紛れて語学学校に通って、キューバ旅行もして、思い付きの行動で経験はするものの、繋がらない。お金を使い果たしたので、帰国しました。

のこバブちゃん
凄いバブ!行動力あるバブ!僕もキューバ行ってみたいバブ!

診療所しかない離島に移住しました。たまに内地で専門医にかかり、島の診療所に伝え、内地から薬を取り寄せてもらいました。やはり人間関係も仕事も続かず、狭い島の内で、あるだけの仕事に就きました。6年も住んでいたのは、脱出する蓄財ができなかったからです。稼いでは浪費し、ある時は賞与全額がMMORPGで溶けました。(大規模多人数同時オンラインRPG)

人生の大きなライフイベントがあり、誰にも理解されず、理解しようともされず、むしろ非難を浴びて、内臓が抜け落ちるような経験がありました。移住後4年目くらいには、嬰児のように壊れていました。

(“On the Road” 「路上」©Jack Kerouac 新訳出版では「オン・ザ・ロード」)

のこ助さん
「内臓が抜け落ちるような」って、どんだけ苦しい体験だったんだろうな。察するに余りあるぜ。

あの素晴らしい愛をもう一度

人生で一番長く続いた仕事も、突然行けなくなりました。布団の中から会社に電話しました。そして間もなく、出生地の親族から電話がありました。オカンが余命を告げられたので、最期に会えと。

2013年 JR松山駅前 ©Ibaru

およそ10年会っていませんでした。久々に再会すると、兄と間違えていたようです。写真を撮るのが憚(はばか)られるほど痩せこけ、眼球が黄色く染まっていました。10日後に亡くなりました。10日間エンドレスで呪詛が唱えられ、脳に鉛球を詰め込まれたようでした。オカンが入院している病院で、眼瞼下垂症の手術を受けました。1泊入院で、解放された日がオカンの命日になりました。

汚染土壌とセイタカアワダチソウ ©Ibaru

フェリーの乗船券を紛失し、帰れなくなりました。桟橋の窓口で喚き散らして、面倒なことになりました。二度と島には戻らず、都内に居座りました。トラブルが続き、通院しつつ、就労支援を受けるなどするも、社会に弾かれました。すべての社会保障が途絶え、フクシマで除染作業に従事して、ずんだシェイク飲んで、銀山温泉に行きました。

フクシマから帰宅し、数日後にはネット配信しながらヒッチハイクで九州に向いました。名古屋から京都まで運んでくれた女性に、体臭が初級浮浪者だと言われ、ファブリーズされました。京都市内の町家でご馳走して貰えました。

その後、都内で派遣の仕事にひっかかり、2年間接客しましたが、2017年の大晦日に出社できなくなりました。

(『あの素晴らしい愛をもう一度』1971 ©北山修/加藤和彦)

希望の国のエクソダス

ネチネチ体育会系な職場で、婉曲にノルマが課せられており、夜間帯に食い込むシフトだったので、避けるべき仕事でした。認知機能が低下し、退場する機会を逸しました。この期間に産業カウンセラー資格を取得しています。業務で疲れ果て、養成講座ではしばしば居眠りしていました。睡眠学習ですね。

のこパパ
すごい!そんな状況でも産業カウンセラーの資格を取れたなんて!相当頑張ったんだね!

2度目のリタイア。前回よりも身体症状が強く現れました。退職前の半年は食欲が暴走して、寝ながら菓子パン食べるとかで体型が丸くなっていました。リタイアがいい機会となり、食事管理で体重が減少し、食欲が安定しました。睡眠も良くなり、散歩にも行けるようになりました。

ネットで障害に関する知識を摂取したり、散歩したりジムトレしたり、なるべく外に出て活動して、疲れて眠れるように励み、1年と2か月が経過しました。

主治医に入院を提案されましたが、カードの限度額いっぱいなので、検査だけ受けることになりました。イマココ。

(『希望の国のエクソダス』1998 ©村上龍 文藝春秋)

のこバァ
体調管理を厳しくしつつも、まだ課題がある状態なんだねぇ。晴れのこには色んな人がいるから、是非仲間を見つけてほしいねぇ。

2. どんな精神・発達障害を抱えていますか?

 2.1. いつから精神・発達障害を抱えているのか?

精神科の初診は2005年。直近の診断は「双極性障害Ⅱ型、ADHD」。発達障害が専門領域の医師によると、躁エピーソドらしく見えているものが、実はADHDの衝動性によるものではないか、と示唆されています。

初診時は「強迫性障害」、2007年頃「うつ病」、2013年に「双極性障害」と診断名が変わりました。ADHDは2014年の診断。ADHDっぽさは就学以前から、躁鬱っぽい事案は10代前半からあったかも知れません。

 2.2. どのような症状?

睡眠の障害、頭痛、めまい、嘔吐、動悸、食欲と性欲の低下、易疲労、易怒、不安、高揚、興奮、浪費、過集中、記憶力低下、失念、行動予定困難、行動の不履行、などの経過があります。いまは一触即発の予感の中で均衡を保っています。

3. 精神・発達障害でこれまで大変だった事

お金。

人間関係は努力しなくても、寛容で教養があって理解のある人は一定数存在しているし、業務上のトラブルも、周囲の協力次第だと思います。しかし様々な結果として、お金が稼げなくなると、行動が制限され、不幸な事態を回避する保険が掛けらないので、スパイラルに陥ります。

「お金で買えない物は沢山あるが、お金があれば回避できる不幸が多いのも事実だ」村上龍

4. 今現在どんな治療を行なっている?

毎週かかりつけ医に通院、投薬、食事管理、認知行動療法。専門病院で知能・心理検査等。収支を徹底的に見える化(家計簿)、散歩、ジムトレ、映画、動画配信。

5. わたしの日々の過ごし方

幸い眠れるようになったので、早く寝るよう心がけています。程よく予定を入れて、外出の機会を確保し、抑揚ある生活を維持。なかなか気乗りしませんが散歩もします。週1~2ペースでジムトレ。ジムも自転車で片道20分なので、散歩ノルマに計上。そして、食事は控えめに。プロテインドリンクが主食で、野菜や魚も食べる。たまに外食して気分転換もします。とにかく、行動の決定と遂行までに酷く時間を費やすので、とりあえず1つ何か出来ればいいと思うようにしています。

主治医ともよく話題になりますが、PCやスマホ、特にSNSに前のめりにならないよう、自分を監視しています。普段の行動や思考様式に問題点がないか、気付けたらいいなくらいに思って過ごしています。主治医に提案された方法に従い、余裕のある時に用紙に記入して、毎週チェックしてもらっています。

あとは節約しながらテキトーに過ごしてます。「散らかす→片付ける→散らかす→1日が終わる」をループするのはデフォルトです。

障害者割引を駆使して交通機関やハコ物を利用しまくってます。

精神障碍者保健福祉手帳で受けられるサービス 全国版
障害者手帳で行こう!~全国版~

6. 今の目標

人にやさしく。体力や筋肉をつけること。お金を稼いで循環させること。

7. わたしにとって回復に役立ったと思う活動

睡眠・運動・食事、どれも欠かせないと思います。認知行動療法は、メタ認知の知識があると、より効果的だと気付きました。

8.逆にわたしにとって病状を悪化させたと思う活動

「フツー」に働くとダメみたいです。ストレスの閾値が低いんでしょうか。

時間がかかる通勤、夜間業務、他者による評価、職場特有の常識に従い不条理におもねること、単純作業、食後のデザート、長時間のPCやスマホ、特にSNS、タバコ。

睡眠・運動・食事のいずれかでも削られるような生活を続けること。

9. こんな活動しています!

ある日突然、画期的な薬が発明されてレナードの朝が永遠に続くようになるかも知れませんが、とても待っていられないですね。

現在の治療で認知行動療法に基づくアプローチは珍しくなくなりましたが、このセラピーは(今日の時点で、日本では)個人的な努力に委ねられていて、公共の支援も、障害への理解も不十分だと感じています。そもそも認知は、個人だけで機能するものではなく、共同体やシステムが変わらないと変えられない側面があります。よって、病理のメカニズムや、科学に立脚した心理学や認知システムを知ってもらえたらいいな、って思っています。

そして婚活中。エントリー条件は、人間であること。

Help! I need somebody. Help! not just anybady. Help! you know I need someone. Help!   “Help!” by John&Paul ©Sony/ATV

10. 繋がろう!!

Twitter=いばるちゃんΩ
HP=The BLACK DIAMOND’S
Youtube=いばるちゃんねる

この記事の感想を聞かせてください
  • 参考になった (4)
  • いいね (2)
  • 会ってみたい (2)
  • すごい (1)
  • 共感 (0)