「【日日是感謝】で生きる」by 叶歌

初めまして。叶歌(かなか)と申します。
双極性障害Ⅱ型(双極症)、パニック障害(パニック症)を持ちながら書道家・声の役者として活動しています。
今は病院に通っておらず、メンタルヘルスの勉強をしながら時には専門家に相談したりしてセルフケアをして病気と共に生きています。
趣味はオラクルカードリーディング、スマホゲーム、猫とハムスターの動画視聴、アニメ視聴など。結構多趣味です。

のこ太
僕はのこ太だよ!よろしくね!

あまり写真がないので、書を交えながら書いていきます。

のこ美ちゃん
叶歌さんのLSPには素敵な書がたくさんあるわよ☆

思ったより長くなってしまったので、まったりしながら読んでいただければと思います。

1. 私の人生

*幼少期*

二人姉妹の長女に生まれる。3歳の頃妹が生まれ、物心付いた頃から妹の世話を手伝っていました。
小さい頃から大人しく、親のいう事を良く聞き、買い物に行っても走り回ったり迷子になったりしない子でした。

虫が大嫌いで、幼稚園の年長の頃それで同じクラスの男の子にいじめられていた記憶があります。
また、食べるのがものすごく遅くて、いつもお昼ごはんの時間はお昼休み皆が遊んでいる時まで、同じく食べるのが遅い友達と二人でいつまでも食べていました。

カトリック系の幼稚園に行っていたのですが、そこで習い事の教室をやってたので、私もピアノを習っていました。

でも、あまり上達せず卒園と同時に辞めてしまいました。この頃から楽器系は不得意だったようです。

*小学校時代*


小学校にあがってすぐ、家の近くに書道教室があるというので習い事で習字を始めました。
中年の男の先生が教えていて、教室にいくと壁の方に漫画がたくさん並んでいて、生徒でいっぱいの時の待ち時間にそれを読んだりしていました。
最初は中々上手くならずに泣きながら通っていましたが、毎月もらえる会報の様なものに載っていた段位の欄で昇級の印がついていると嬉しくて、なんとか続けられました。

のこ太
頑張ったことが認められるってとっても嬉しいよね!

小学3年生の頃、クラスの男子にいじめられていました。
担任の先生は女の先生でしたがすぐ泣く人で、注意してもなめられていて一緒にいじめられていました。今の時代だったら大問題ですね。
最初は典型的なものだったし、勉強が遅れるのが嫌だったのでなんとか我慢して毎日登校はしていました。でも次第にエスカレートしていって硬式野球ボールを当てられた際に背中にあざが出来てしまったので、親に助けを求めたところ、親が激怒し、相手の親と張本人を朝、学校に行く前に家に来させ、背中のあざを見せて謝らせました。今だったら自分自身で倍返ししてると思います(笑)

のこ蔵さん
倍返し…怖いですぞ…(震)
のこ助さん
のこ蔵さん、”今だったら”の話だから大丈夫だぞ!笑

4年生になってからは担任が変わったのでいじめはなくなりました。
大人しく消極的なのは変わりませんが、この頃から我慢強く負けず嫌いだったと思います。
昔からアニメが好きでたくさん観ていましたが、6年生の頃「アニメ好き」でアニメのキャラクターが描かれたバッグなど持っていたり、休み時間に落書きをしていると言うだけでもからかわれたりしていました。今ではおかしな話ですね。

のこ美ちゃん
おかしな話ね!

小学5年からクラブ活動が出来ることになったので、友達と一緒になんとなく卓球クラブに入りました。
それなりに楽しかった記憶があります。

*中学校時代*


1年の頃は友達が出来て勉強もまぁまぁ出来ていました。
2年になってから友達とクラスが離れてしまい疎遠になって、ぼっちに近かったと思います。
学校に行きたくないと思っていましたが、ノートを見せてもらえる友達も居ない、勉強が遅れるのは嫌だとまたもや何とか我慢して登校していました。

のこ美ちゃん
叶歌さん、頑張り屋さんね!

この頃、人生の転機が訪れました。
大好きな漫画がアニメになったので観ていると、アニメが始まる前の作品紹介コーナーでそのアニメの主人公の声をあてていた声優さんがゲストに来ていました。
キャラクターの説明から作品の説明までその声優さんと司会のお姉さんがお話していて、その時初めて声優という職業があることを知りました。
今でもその作品は私の一番のお気に入りで、辛くなった時何度も何度も観返しています。

のこ太
お気に入りの作品ってつらくなったときに見たくなるよね!

ぼっちで学校生活が楽しくなく、やりたいこともそれまで特に無くて生きるか死ぬか考えていた頃だったので、とても救われた気持ちになりました。
でも、小学校の頃にアニメ好きでからかわれていたこともあってか、自信を持てずに周りに言えず、卒業文集でもそれを書く事が出来ませんでした。

部活は小学校の時やっていたので卓球部、でも友達も居なかったし運動がそこまで得意ではなかったので1年で辞め、2年からは書道部に入りたかったのですが、なかったので美術部に入りました。
でもほとんど部活には出ていませんでした。

小学校からやっていた習字は引き続き通っていました。1年の終わり頃には段位の上の特待生になり、とても喜んだのを覚えています。

3年生になって、成績が(特に数学と英語)物凄く悪く、進学が危ういと言われたので家庭教師を付けてもらうことになり、1年間必死に勉強しました。
でも焦ったりしてなくてすごく落ち着いていた気がします。

のこ蔵さん
進学…勉強…うっ、頭が…
のこ助さん
(受験の話はのこ蔵さんの何かを刺激するようだ)

*高校時代*

家庭教師をつけて勉強した甲斐があってか、無事志望校に合格。高校の合格発表が自分の誕生日だったのが驚きでした。

晴れて高校デビューです。
といっても、家の目の前が高校だったので何も変わらず。ギリギリまで寝ていました。

なにを思ったのか、憧れがあったのか覚えてませんが、テニス部に入部。が、きつくて1年経たず退部。
その後書道部に入部。
2年になって芸術学科で美術・音楽・書道が選べたので迷わず書道を選択。

県高校競書展というイベントが開催されるというので出してみたら、
毛筆で1年:審査員奨励賞、2年:審査員奨励賞、特選(硬筆)、3年:県知事賞、県教育長賞(硬筆)と3年連続で賞をいただき、まさかの3年連続全校集会で表彰されるという経験をしました。

のこ太
いろんな賞をもらっててすごい!
のこバァ
“好きこそものの上手なれ”じゃのう。

それまで、人前に出て目立つ、ということがまったく無かったのでものすごく恥ずかしかったのと、2年の時あまりの緊張に全校集会の前に倒れてしまい、表彰式に出られなかったので悔しかったのを覚えています。

でも、その時に「注目を浴びる」ことが気持ちいいことなんだとわかり、一層声優への憧れが強くなりました。

2年でクラス替えがあり、そこで同じクラスになった2人の女の子と友達に。
二人共、今で言うオタクで趣味も合い一緒に行動するように。
話をしていくうちに夢の話になり、1人はアニメーターに、1人は漫画家になりたいと話す。
私も「声優になりたい」と初めて他人に打ち明けられてとても嬉しかったです。
漫画家の子が原作書いて、アニメーターの子がアニメ絵を描いて、私が声を当てて・・・いつか作品を一緒に創りたいね、なんて話をしていました。

その友達とは今でも交流があります。

のこパパ
大切な繋がりだね!

2年の夏ごろ、一緒の専門学校に行かないかと言う話が出て、いよいよ本格的に話を進めなければいけない時になって、初めて親に声優になりたいことを打ち明けました。
親は当然反対。まぁ、当たり前ですね。なれるかどうかもわからない。なれたとしても安定した収入を得ることは難しい。そんな不安定な職業についてほしくないと思うのは親として当然のことだと今では思います。
私は必死に説得しました。3年になったらアルバイトしてお金を貯めて進学すること、願書は自分で申し込むこと、夢に対する思いを全部ぶつけました。
そしたらしぶしぶ許してはくれましたが、親はずっと「なれるわけない」と思っていたらしいです(笑)

3年の夏休みに体験入学に友達2人と行って、願書を貰って、進学が決まりました。

のこママ
夢に向かった一歩、とても力強いものだったとおもうわ!

*専門学校時代*

晴れて専門学生になり、県外だったので初めてのひとり暮らしを始めました。
不安もありましたが、夢に一歩近づける喜びの方が大きく、とてもわくわくしていました。

一緒に進学した友達とは学科が違ったので会うことはほとんどありませんでしたが、それぞれに新しい友達を作り、勉強に励んでいました。
自分自身も入学式の時から友達が出来、とても楽しい毎日でした。

1学期半ばになると友達も増え、一緒にご飯に行ったり、勉強したことの復習や好きな作品・声優さんの話で盛り上がりました。
そのうちの数人は今でも交流があり、とても大事な心友です。

芝居のことやそのほか声優にとって必要な知識を学んでいくうちに、まるで内に閉じ込めていた感情があふれ出るようにどんどん明るくなっていきました。
そして2年の卒業前に2年間の集大成を披露する卒業公演の舞台で、ヒロインに抜擢されたのです。
作品の中で重要な位置にいる役どころだったので、その責任感と初めての大役でとても緊張していたのを覚えています。

のこ太
充実していたんだね!

それから、同じ頃に初めての彼氏が出来ました。
私が友達に好きな人が出来たと相談したのがクラス中に知れ渡ったらしく、皆が取り持ってくれて付き合うまでに至りました。
めちゃくちゃ恥ずかしかったです(笑)

のこ美ちゃん
きゃー!聞いてるこっちが赤くなっちゃう///

卒業間近になり、進路を決めなければいけない時期になって、上京することも考えていましたが資金がなく、一旦地元に帰ることになりました。
彼氏は上京し、活動することになっていたので遠距離恋愛が始まりました。

*契約社員時代*

専門学校を卒業後、叔父の紹介で地元のテレビ局に契約社員として入社しました。
裏方の仕事でしたが、職場の人は皆優しく、アットホームな職場でした。
送・歓迎会の時にはお昼に皆で職場近くの焼肉屋さんに行ってご飯を食べたり、残業や急な出勤の時には出前を取ってくれたりファーストフードを買ってきて皆で食べたりもしました。

最初は実家から1時間かけて通っていたのですが、朝起きるのと電車通勤が辛く職場近くに引越しひとり暮らしを始めました。
急な編成変更やミスがなければ大体定時にあがれていたので、帰りに駅近の商業施設に行って買い物をしていたりもしました。
私服出勤だったのでたくさん服を買いましたね。その時に買ったワンピースは今もお気に入りでたまに着ています。

そして仕事中に書類が入った箱を運んでいる時にぎっくり腰に。
大した事ないと湿布を貼るだけでした。あとあと大変な事になるとも知らずに・・・・。

のこ太
ぎっくり腰…痛そう…
のこパパ
僕たちはぎっくり腰にならないからな!ハッハッハ!
のこバブちゃん
バブゥ…(パパはお気楽だなぁ…)

仕事もすっかり慣れてきた頃、声優のお仕事の話が来ました。
同人作品でしたが、とても人気のジャンルだった事もありお受けしました。歌の話もあったのですが、自信がなかったのでお断りしました。
でも今では受けておいた方がよかったなと後悔しています。

この頃からブログを始める。自撮りもするようになりました。

そして同じ頃、東京に居た彼氏とあまり連絡が取れなくなっていて、久しぶりに連絡をしたら「好きな人が出来たから別れてほしい」と言われてしまいました。
初めての彼氏だったのでどうしていいかわからず、何も言えず疎遠になっていきました。とてもショックで、せっかく声の仕事が来たのに喜べなくて毎日泣いて過ごしました。
専門学校からの一番の友達が同じ市内に住んでいたので毎週会って慰めてもらっていました。

あまりのショックから仕事が終わると家に帰って、テレビをつけっぱなしにしながら泣いていました。次第に自分はもう要らない人間なんだと蔑むようになり、いつしか自傷行為をするようになりました。
その時のことは実はあまり覚えていません。

のこ美ちゃん
失恋のショックは計り知れないわ!

友達が心療内科のことを教えてくれて、藁にもすがる思いで行きました。
が、医師はろくにこちらを見もせず話もろくに聞かず、強い口調で「うつじゃない」と言われてしまいました。
とてもショックで医者不信に陥り、病院へは行けなくなりました。
また、それが原因かは分かりませんがその頃から人がたくさんいる所やざわざわと騒がしい所が苦手になってしまい、病院の待合室など名前や番号を呼ばれる所ではその声が聞こえないので(ざわざわしていて肝心なものが聞こえなくなる)「名前(番号)を呼ばれるのを聞き逃しちゃ駄目だ」と気を張り巡らさなければいけない状態になっていました。
それについては今はあまり症状が出ないので何かの病気なのかは分かりません。

のこ助さん
医者不信かぁ…
のこ蔵さん
相性問題は難しいですな….

そして、段々眠れなくなり、朝方までオンラインゲームをして仕事に行く、朝具合が悪くなって半日休む、寝れても起きれず遅刻する、と言うのが増えていき、食欲もあまりありませんでした。
それでも、責めたりせず、身体を心配してくれたその時の上司と同僚には本当に感謝しています。

そろそろ4年が経って、契約が満期になると言う頃、ネットで交流のあった人に、「東京でラジオやらないか」というお誘いを受け、満期になるのをきっかけに上京してまた夢に進もうと思い、退職をしました。
顔も知らない人の誘いに簡単に乗るなんてとても危ない事だなと今では思いますが、受けて良かったと思います。
その人には今後とてもお世話になることになります。

*上京~東京での生活~*

退職後、半月ほどで荷物をまとめ、上京しました。
既に上京していた専門学校時代の友達が迎えに来てくれたので寂しくはありませんでしたが、何も知らない土地ではやっぱり不安でしたね。

早々にアルバイト先も決まり、寂しさを感じる暇もなくラジオの打ち合わせや収録。
とてもバタバタしていました。

ネットで配信するタイプのラジオでしたが、自分のコーナーを持たせてもらえたり、ゲストで有名なアーティストさんが来て下さって中々聞けない現場の話や活動の話を聞くことが出来てとても勉強になったラジオでした。
1年経った頃、ラジオに誘ってくださった方が主催でアニソンライブを開催するという話を聞き、ライブデビューしました。
ファンも居ない、アイドルをやっているわけでもなかったのでとても不安でしたが、友達も一緒に出演してくれて、楽しい時間になりました!

そのあと、ラジオの企画から派生して動画配信番組も始めて、私もアシスタントを務めましたがダイレクトにコメントが来るのと慣れないことが続き、喋れない・笑えないという自体になり、アシスタントを降りる事になりました。同時に、喋れないのでラジオもお休み。そのままラジオは終了してしまいました。
この頃、慣れない土地で頑張りすぎた事で症状が再発してしまったのではと思います。

活動を一時お休み状態になった私は、上京後中々出来なかった書道の通信講座を始めました。
せっかくの東京なので、教室に通うことも考えましたが経済的に叶いませんでした。

その後、上京したらやりたい事の一つだった「秋葉原で働く」夢を叶えるため、アルバイトを探しました。
まぁ、いわゆる、メイドさんになりたかったんです。
でも、受けても受けても落ちる毎日。
ある時、とあるコスプレ喫茶の募集を見つけました。
私は、このお店に落ちたら諦めようと思い応募しましたが、なんと採用されて秋葉で働ける事に。
ライブステージもあったので、ライブをしたりコスプレをしたり・・・ここで働く事でたくさんの出会いと、更に明るく積極的な性格になっていきました。

のこ太
アキバと言えば!な、お仕事だね!
のこ蔵さん
わたす、アキバにはちとうるさいですぞ(キラーン)

ただ、秋葉のお店はあまり長く続かない事が多く、このお店も私が働き始めて2年ほどで閉めることに。
たくさんのお客様とスタッフに惜しまれつつ、閉店しました。

程なくしてライブがまたやりたいと思いネットサーフィンをしていると、都内で活動しているアイドルサークルで活動している人のブログにたどり着きました。
とても可愛くてアイドルって感じの子。
ライブはやりたいけど、アイドルって柄じゃないしなぁ・・・と思い悩んでいましたが、声の仕事もあるというのを見て気付いたら運営に連絡をしていました。
まずはライブの見学をさせてもらい、その後面接と言う感じでした。

行ってみると、とてもアットホームな雰囲気のライブハウスで、アイドルさんたちも皆あったかい雰囲気の人たちでした。
いい意味でアイドルっぽくなく、ここなら私も出来るかもしれない、とまずは研修生と言う形でメンバーに加えてもらう事になりました。
一定期間で決められたポイントを貯める事が出来れば正式にメンバーとして迎えてもらう事が条件で、ライブや動画収録などがんばった結果、正式メンバーに昇格。
アイドル活動を始める事になりました。

のこ美ちゃん
アイドル活動もしているのね!すごいわ!

仕事の方は、秋葉を卒業して別の所でバイトを始めました。
新しい職場は薬局。

そこでの出来事が、私の人生を狂わせました。

のこ太
(何やら不穏な空気が…)

思えば、入った時から様子がおかしかったように思います。
挨拶をしても返してくれない、分からないところを聞いても嫌そうに教える・・・など。気に障るようなことをした覚えはないのですが、それが心に引っかかり次第に仕事に行くことが怖くなりました。

それでも我慢して働いていましたが、1年半くらい経った頃、新しい薬剤師さんが来ました。女性でとても優しく、薬に関して色んなことを教えてくれました。
当時、登録販売者の資格を取ろうと勉強中だったので、気軽に聞ける人がいるのはとてもありがたかったです。

その人に辛い事を相談したところ、一度精神科に行ってみないかと言われ病院を紹介してもらいました。
病院へ行くのは怖いと思っていましたが、このまま辛い思いをするのは嫌だったので勇気を出して予約の電話を入れました。
受付の人の声がものすごく優しくてあったかくて、これで楽になれるという安心感もあり、電話をかけたあと泣いてしまったのを良く覚えています。

のこ助さん
以前の医者不信もあっただろうしな。良く頑張ったよ!

病院へいくと、とても静かで綺麗な院内。ウォーターサーバーがあったり、ソファがふかふかだったり・・・。
以前の心療内科のイメージとまったく違っていて、内科とかの病院と変わりありませんでした。
PCを操作しながらではあるけど、ちゃんとこちらを向いて話を聞いてくれる親近感の湧く先生。
うまく症状を喋る事が出来なかったので事前の用意したメモを見せると、色々聞いてくれました。
少しずつ辛い事を話していくと、それだけでとてもすっきりしてそれまでの息苦しさが和らぎました。
薬は少し怖かったのでそれを伝えると、まずは弱めの薬から始めましょうと言ってくれました。

伝えられた病名は「双極性障害Ⅱ型」うつ傾向の強い躁鬱病(双極症)。

躁の部分は自分も周りもあまり気付きにくいなど色々詳しく説明をしてくれて、薬物治療が始まりました。
言われてみれば思い当たるところはあったので、「あぁ、そうか」とすごく納得したのを覚えています。

休んだほうがいいと言われましたが、休むと生活できなくなるのでせめて環境を変えようと診断書を貰って店長に異動願いを出しました。
面談をして、診断書と一緒に辛かった気持ちも話しましたが理解はなく、脅されもしました。
今なら音声録音してそれをパワハラ案件で然るべき所へ申告する所ですね。

それを言われてどうしていいかわからなくなり、人前で初めて泣きました。人に何かを感情的に伝えたのも初めてでした。
もう我慢の限界だったんだと思います。
その甲斐あってか、なるべく早く異動できるようにと手配してくれました。
異動先の店舗はとても忙しかったのですがいい人ばかりだったのでこれで回復する!と思っていたのですが、そうもうまくはいかなかったです。

忙しさに疲れて症状悪化。

異動して2年くらい経った頃、ミスが増えだして怒られるとまたミスして・・・負のループに陥っていました。
そしてその年の9月ごろ、久しぶりに実家に帰省したんです。

久しぶりに帰って、その時いた猫と遊んで、美味しいものいっぱい食べて・・・とても癒されました。
実家は静かで緑も多い長閑な田舎です。
実家に居る頃はずっと県外に行きたかったのに、東京で疲れてしまったのかとても懐かしく「帰りたい」と思うようになっていました。
そして、「帰ろう」と決めました。

それから半年経った3月に仕事を辞め、1ヶ月東京で遊び5月に実家に帰りました。

帰る前、せっかく書道の講座を続けていたので師範の検定試験だけ受けようと思いました。
症状が悪化して出来ない時もありましたが、それでもずっと続けてきたから、最後に受けておこうと。

結果は・・・合格。
びっくりしました。
今までやってきた事が報われた・・・がんばってよかった、という安堵感と認められた感じがして嬉しくて泣きました。
そして、師範の免許をもらいました。

のこ太
これまで積み重ねてきたものが結ばれた瞬間だね!

*帰郷~現在*

そして療養が始まりました。療養と言うかもうひたすら引きこもっていたように思います。今までの反動で何も出来なくなっていました。
家族には疾患のことは話していませんでしたが、相当疲れていたのを解ってくれたのか何も言われませんでした。
きっと色々言われていたらゆっくり休めなかったと思います。
家族に感謝です。

途中、病院へ行ってみようかと評判のいいところを探して行ってみましたが、医師と合わず行くのをやめました。
また医者不信になり、信用できなくなったので自分で勉強して寛解までもっていってやろうと思い、メンタルヘルスマネジメントの勉強を始め、セルフケアをすることを始めました。

実家に帰った事でそれまで東京でして居た活動が出来なくなったので、グループも卒業しようと思い運営に話をしましたが、有難い事に続けさせてもらう事に。
そして療養という名目で活動をお休みさせてもらう事にしました。
寛大な運営に感謝ですね。

その後、やっぱり何かしたいと思うようになり、真っ先に書道が浮かびました。
教室を開こうかとも考えたんですが、まだ外出もままならない状態では教える事もできないし、ゆっくり休めないと思ったのでそれはおばあちゃんになってからやろう、と新たな目標にしました。

そして決めた事は、ネットショップを開くこと。
書道の作品を創ってネットショップで販売するなら家に居ても出来る。
それとフリーランスとしてクラウドソーシングで仕事を請け負って活動をしていくことになりました。

有難いことに、現在は代筆から飲食店のロゴ作成まで幅広く依頼が来るようになりました。

個人的にはカレンダーやアクリルキーホルダー等のグッズを制作し、販売させていただいてます。
徐々に私の作品、字を好きだと言ってくださる方が増えてきてとても嬉しいです。

休止していたアイドル活動も復帰出来、今では年に数回、東京へ遠征に行くことが出来ています。
こちらも嬉しいことに、東京に行くといつもファンやメンバーが「おかえり」と言ってくれます。

私の居場所はここなんだといつも嬉しくなります。

のこ助さん
「おかえり」ってパワーもらえる言葉だよな。
のこ美ちゃん
ホッとするよね!
のこ太
叶歌さんのこれからの活動が楽しみだね!

2. どんな精神・発達障害を抱えていますか?

最初はうつ病から始まり、現在は双極性障害Ⅱ型、パニック障害(パニック症)を抱えています。

 2.1. いつから精神・発達障害を抱えているのか?

最初に疑ったのはうつ病で、10年以上前だったと思います。

今の双極性障害・パニック障害は2014年に診断されましたが、症状は2013年ごろからありました。

 2.2. どのような症状?

双極性障害(双極症)
*躁状態の時*
テンションが高く喋りたがりになる。睡眠時間が短くても元気(普段は8時間くらい寝る)。何でもやりたいという気持ちになる。アイデアがどんどん出てくる。仕事で疲れていても帰りに全力ダッシュして帰ったりする。人に対して攻撃的になり、暴言を吐いたりする。あれこれと物事に手を付けて中途半端に終わる。頭の中でごちゃごちゃしていて考えている事がまとまらない。酷い時はたくさん買い物したりする。

*うつ状態*
寝ても寝ても眠い。休みの日はたくさん寝る(12時間以上)。何もする気が起きず、誰とも喋りたくなくなる。何にもないのに泣きたくなる。身体が鉛のように重くだるくなる。頭が重い。物事を前向きに捉えられない。趣味も興味を持てなくなる。字も書けない。笑えない。ぼーっとする。酷いときは希死念慮があったり、言葉を理解できなかったりします。

パニック障害は、突然息が吸えなくなり苦しくなる。動悸、目の前がチカチカする。などです。

3. 精神・発達障害でこれまで大変だった事

東京に居た頃、特にうつの時は外出するのも人と話すのも辛すぎ、それまで出来ていた事が段々出来なくなってミスを連発してしまい、自分が許せなくて感情がコントロールできなくなった事が大変でした。また、今までやりたくてやっていた活動も休みがちになってしまい、「なんでこんな事になってしまったのか」「自分は生きている意味はあるのか」と考えるばかりでした。
でも、東京にいなければ夢を叶えることは出来ない、やりたい事も出来なくなると必死にしがみついてました。

4. 今現在どんな治療を行なっている?

現在病院へは行っておらず、薬物治療はやっていません。
地元に帰った後一度病院へ行きましたが医者と合わずにいくのを辞めました。
医者不信になった時のことが私の中でトラウマになっているようで、地元の医者は皆信用出来ないのでそれからは行っていません。(あとお金と通う手段がない)

なので、メンタルヘルス・マネジメントⅢ種の勉強をしながら、それに基づいてセルフケアを出来る範囲でやっていて、不安な時や困った時はネットで相談できる機関で専門家に相談などしています。

のこ太
「学ぶ治療」だね!
のこパパ
熱心だなぁ!みんな、セルフケアの知識は身つけておいて損はないぞ!

5. わたしの日々の過ごし方

今はフルタイムでアルバイトをしているので、週5日は働いています。でも勤務は昼からなのでとても有難いです。
基本的に夜型人間で、以前は夜中3時ごろまで起きていてPCをしたり字を書いたり、キャスのようなリアルタイム配信をしたりしていました。
7、8時間くらい寝ないと身体が持たないのでいつも起きるのはギリギリでご飯も食べないで出勤というのが常でした。

でも最近、猫を飼い始めたので、猫の世話と遊ぶために以前より1時間ほど早く起きるようにしています。

まだ生後1ヶ月半の♀で「百々(もも)」と言います。
この子の世話をするようになって、以前より随分元気になったと家族が言っていました。アニマルセラピー的な感じでいくらか癒されているのだと思います。

休日も変わらず、9時半頃には起きて世話をしているので、猫のお陰で生活リズムが少しずつ良くなっていってるのではと思っています。
大体つきっきりで面倒見てます。前は休日になると具合が悪くなって一日何もせずに寝てばかりだったのですが、今は昼寝もしなくなったので良い傾向です。

また、年に2,3回くらい、3連休を取って東京に行ってライブ活動や声の収録に行っています。
でもやっぱり人がたくさんいる所に行くのは物凄く体力気力を消費するので住むのは無理なんだろうなと言う感じ。帰ってきたら物凄くぐったりしています。

夜寝る前に、twitterで知った「ホメ療法」で自分をたくさん褒めて就寝。

のこジィ
可愛い子猫ちゃんじゃ。抱っこしたいのう。
のこバァ
うちのジィさんは猫と甘いお菓子には目がないからのう。

6. 今の目標

1、活動を応援してくれている人に疾患の公表をすること。
理解してもらう云々は置いといて、活動が休み休みになってしまっていることの理由をしっかり話しておきたい。それによって、ファンの憶測による心配を少なくしたい。

2、日々のメンタルの状態をチェックして、感情のコントロールをしっかり出来るようになって、穏やかな気分で居られる時間を増やすこと。
「自分は今こうなんだ、だからこうして過ごそう」など客観的に状態を見て、自分が穏やかで居られるよう工夫・対処をする。そして出来たらしっかり褒める!
自分がいかにしんどくならないようにするか考える。

3、書道家・声の役者として生涯現役で活動する。
そして、書道教室を開いて子供達に書道を教える、個展を開く、書道パフォーマンスをする。次は硬筆で資格を取る。

ボイスドラマ、ゲームにたくさん参加する。
アニメに出て、エンドロールで自分の名前が流れるのを見る。

のこママ
叶歌さんの目標、私たちも応援するわ!
のこバブちゃん
バブゥ!(いつかそのアニメを観たいバブ!)

7. わたしにとって回復に役立ったと思う活動

*地元に帰って1年何もせず休んだ事。
あのまま無理をし続けて東京に残っていたらきっと今私はここにいません。
帰る決断をした自分と協力してくれた当時の相方、帰ることを受け入れてくれた仲間と家族に感謝です。

*SNSで闘病垢を始めた事。
Twitterで闘病垢を始めたのは2018年の12月ですが、始めた後に「ホメ療法」を知って毎日褒め活をする事、それを通じて同じ双極性障害の方と繋がった事で交流させていただいたり、いいねを付けて褒めあったりして励まされた事は大きいと思います。

*メンタルヘルスについて勉強を始めた事。
医者不信になって病院へ行けなくなった時、半ばやけくそで「自分で治す!」とメンタルヘルスの勉強を始めました(多分その時躁状態だったと思います)
自分の疾患についてやストレス対処の方法など学んでいくうちに、精神疾患に対するイメージが和らぎました。私自身、固定観念があったのだと思います。

のこ太
「何もしないで休むこと」「つながりを持つこと」って大事なんだね!
のこ蔵さん
「学ぶこと」で考え方が緩和されることもあるんですな!

8. 逆にわたしにとって病状を悪化させたと思う活動

すぐに休養に入らず、「まだ大丈夫だろう」と自己判断して東京にしがみついていた事です。早くに療養に入っていればもっと早く症状は軽くなっていたと思います。
また、当時の彼氏は疾患に理解があると言っていたものの、「仕事をしないと生活できなくなる」と言い、具合が悪くても休ませて貰えなかったので早く話し合えばよかった・場合によっては縁を切ればよかったと思っています。

のこ助さん
「まだ大丈夫」はすでに危険信号だったりするもんな。

9. こんな活動しています!

精神疾患に関してはメンタルヘルス・マネジメントⅢ種の勉強、Twitterでホメ療法などをしてセルフメンタルケアをしています。
今後は積極的にのこのこバーや精神疾患当事者の集まりなどにも参加していきたいと思っています。

その他では創咲(創作)書道家として主に「ゆる文字」という書体を使って作品を創り、販売しています。
最新グッズでは2019年のカレンダーを創りました。

カレンダーの一部。

https://minne.com/items/12568286
よろしければご覧ください。

ゆる文字とは・・・心と身体を「緩」める文字の事。書く事で自分の中にある緊張などを緩めたり、見る事で心を穏やかにする。まるまるっとした優しい雰囲気の可愛らしい文字です。

自分自身を癒す目的で書き始めましたが、同じ疾患やその他、うつなどの精神疾患を持つ人、そうでなくても日々の中で疲れている人・・・見てくれる人を癒し笑顔にしたいという思いで書いています。
なかなか、元気にとはいきませんが、見ることでほわっとした気持ちになってくれたらなと思っています。

その他、声の役者としてこちらも「癒し」「笑顔」「元気」にをテーマに、朗読をしています。
今後、こちらも聞くことで少しでもほわっとした気持ちになってもらえるような朗読を集めたコンテンツを発信できたらなと思っています。

のこ太
ゆる文字!癒されるね!
のこパパ
「顔晴る」って言葉、素敵だなぁ。
のこママ
私もこの言葉大好きよ!

10. 繋がろう!!

ブログ:「日日是感謝」(http://voice39sho.hatenadiary.com/)
Twitterでやっているホメ療法を、詳しいエピソードと一緒に紹介しています。その他、猫の百々(モモ)の成長日記や書道の作品を掲載していたりします。
Twitterでは、ホメ療法を中心にゆるゆるとつぶやいています。

人見知りで、あまり積極的に自分から交流していくのは苦手ですが、ぜひお気軽にお話してください(◍ ´꒳` ◍)

全ての人、物、事へのご縁に感謝˚✩*

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