「双極性障害でも、私は私!!」byケロヨン

はぁ~~い!!
ケロヨンでーす(´▽`)/

のこ太
はぁ〜い!!のこ太でぇーす!!

2017年1月27日、私は躁うつ病双極性障害1型)と診断されました。
診断された時は、激躁状態!!
診断から1週間後には、医療保護入院になり、閉鎖病棟保護室で、手足を拘束されて、入院生活を送ることとなりました(汗)

ケロヨンの人生の楽しい時も苦しい時も含めて、これから私自身を振り返ってみます。
長くなりますが、はじめましての方も、お世話になっている方も、よかったらお付き合いくださいね。

それでは、行ってみましょう!!(^^)/

~~ケロヨンワールドの、始まりはじまりぃぃっ~~

パチパチパチパチ(*´ω`*)←自分で拍手するヤツ(笑)

のこ助さん
楽しみだぜー!!!
のこ美ちゃん
ぱちぱちぱちー
のこバブちゃん
(手がないのにどうやって拍手しているバブかね・・・?)

1. わたしの人生

(1)幼少期~人見知りから一転、見事に開花!!保育園エンジョイ系園児~

新潟県で、二人姉妹の妹として生まれる。

人づきあいが上手で人生を謳歌している父、明るく真面目で少し心配性な母、生真面目で活発で実年齢よりもだいぶ若く見える姉のもとで、元気にすくすくと育った。

3歳の時、初めて保育園に行った。保育園の玄関で、母の足にしがみつき、泣きわめいて離れない。
しかし、一転、すぐに保育園の楽しさを知る。人見知りがなくなり、どんどん自分を出して楽しめるようになり、一気に保育園が大好きになる。

ダンスが大好きで、運動会の踊りとお遊戯会が大好き!

幼少期の将来の夢は、アイスクリーム屋さんとケーキ屋さん。

のこジィ
甘いものはええのぉ、のこバァさんや、お茶と最中を持って来ておくれ。
のこバァ
のこジィさん、さっきも食べたじゃないですか、こりゃボケてきたかねぇ
のこパパ
最中は食べちゃったからもう無いさ!!つまり、最中もーなかったって感じだね!!はっはっはー!!
のこバブちゃん
(平和バブねぇ・・・笑)

(2)小学生時代~かくれんぼと手芸が大好き!学級委員の活発少女~

近所の公立小学校に入学する。

「友達になろうよ~!!」と、自分から友達にどんどん声をかけていくタイプ。友達がいなくて困ったことはほとんどない。休み時間は、友達と中庭の遊具やかくれんぼで元気に遊ぶ、典型的な元気小学生。放課後、友達を自宅に誘って、家の中でかくれんぼをした時に、屋根裏に隠れるという快挙を成し遂げる!

大好きな母との一枚。

勉強はよくできたけれども、体育は苦手。4人で走る運動会の徒競走は、最高で3位。ほぼビリ。夏休みの宿題は、配られたその日に終わらせて、8月はめいいっぱい遊んで過ごすタイプ。

バーベキューに行ったときの一枚。食いしん坊!
4年生の時、友達と「いかに早く給食を食べるか競争」にハマる。早食いの癖がつく。

4年生の時、クラスメイトの推薦で学級委員になって、自信をつける。その後、5・6年は立候補で学級委員になる。
手芸(特に、ビーズやミサンガ作り)が大好きで、小学校のクラブ活動は、3年間手芸クラブ。部長も務める。典型的な文化系女子の誕生。
ピアノ、水泳、習字、そろばんなど、様々な習い事をする。どれも長続きしない中、習字だけは1年生から6年生まで続いた。6年生の卒業のタイミングで、習字を辞める。

4年生の時にゲームボーイを買ってもらいハマり、どんどん目を悪くして、5年生の時にはメガネデビューを果たす。

5年生の終わり頃から安室ちゃんにハマり、初めてCDを買う。安室ちゃんの「Body Feels Exit」「Chase The Chance 」の2枚同時にお買い上げ。その後、安室ちゃんのCDは欠かさずに買う。一つのことにのめり込む性格は、この頃から形成される。

小学校時代の将来の夢は、お花屋さん、小学校の先生。

のこ太
ケロヨンさんらしさがだんだんと作られていったんだねー。
のこ美ちゃん
安室ちゃんいいわよね、私も好きだわ♡

(3)中学生時代~生徒会活動に勤しんだ真面目系女子~

近所の公立中学校に入学する。

中学に入ったらもう学級委員はしなくていいやと思っていたのに、担任にどうしてもと頼まれたのを断り切れずに、仕方なく1年生でまた学級委員になる。その後、2・3年でも学級委員をやることになる。学級委員になったのがきっかけで、1年生の時に生徒会の先輩に誘われて、生徒会活動を始める。

部活は、美術部に入部。入部理由は、運動が苦手で運動部に入りたくなかったから。書道部があったら入りたかっかけれども、なかったので、最も書道に近そうな美術部を選ぶ。美術部はそっちのけで生徒会にのめり込んだため、絵を描くのは今でも得意ではない。

中学入学とともに習い事は一切やらないようにしたが、何だか物足りなくて、中1の2学期に習字を再開する。中3の時に、新潟県の習字のコンクールで、上位3名に選ばれる。後に、書道を始める大きなきっかけとなる。

中1の終わり頃、安室ちゃんが産休に入ったきっかけで、ドリカムのファンになる。CDを少しずつ集め始める。

成績は、学年2位!! 体育以外はオール5!!! 毎回1位を死守する子がいて、どうあがいても1位にはなれず。勉強しなくてもできるタイプでは決してなく、毎日コツコツ勉強して、何とか学年上位をキープしていた。猛勉強の末、第一志望の高校に合格。

のこ蔵さん
第一志望合格ですと・・・?!?!すごすぎますぞ!!わたすも大学合格・・・諦めませんぞー!!

卒業式での一枚。市内で有名な荒れている中学校だったけれども、最後にはヤンキーのクラスメイトも含め、みんなでパシャリ(笑)

中学生時代の将来の夢は、花屋さん、海女さん、中学校の先生。

のこ太
なんで海女さんが突然出て来たんだろう笑
のこ助さん
のこ太!!海にはな!!ロマンが詰まってるんだぜ!!
のこバブちゃん
(のこ助さんさっきワンピース読んでたから完全に影響されてるなー・・・笑)

(4)高校生時代~コンタクトで高校デビューを決めた、青春謳歌ガール~

何を血迷ったことか、県内トップの進学校に入学する。

高校では勉強には全くついていけず、数学・化学は常に赤点。クラス最下位も取り、勉強のよくできた中学生時代までの天狗の鼻は、簡単にへし折られる。
男子は学ラン、女子の制服はなくて私服、という変わった高校であった。

念願の書道部に入部。書道に没頭かと思いきや、書道部のみんなで、顧問の先生の結婚祝いに映画を撮ったり、みんなでアカペラをやったり、ケーキを買って誕生会をやったり!書道そっちのけでイベントを楽しんだ!

高校生の頃は、誰にでもいい顔をする八方美人。高校に入ると、色々なタイプの個性的な濃いキャラの人が集まっていたが、誰とでも仲良くできる自分でいたかった。2年生の2学期頃に、そんな八方美人の自分でいることが辛くなってきた。気持ちがとても落ち込んだ。やがて、「好きな人や、気の合う人とだけ付き合えばいい」と思えるようになり、気が楽になった。気分の落ち込みも解消して、徐々に気持ちが晴れていった。

そして、3年生の時に、今でも繋がる素敵な仲間たちに出会う。3年生の運動会は、それはそれはとても青春だった。その流れで、3年の時、初めての彼ぴっぴができる(すぐに別れたけどね)。

のこ美ちゃん
あら♡

大学は、迷わずに教育学部を志す。書道の勉強がしたいと思い、書道部員から、書道学科受験モードに切り替える。新潟に残るか、東京に出て行くかで大きく悩む。東京での可能性に惹かれ、東京に出ていくことを決意する。

猛勉強の末、第一志望の東京の大学に合格。

高校生時代の将来の夢は、中学校の国語の先生、高校の書道の先生。もうお気づきだろうが、私は夢がコロコロ変わるタイプ(笑)

のこ太
(僕は海女さんが気になって頭から離れないなぁー笑)

(5)大学生時代~神出鬼没の、歌うハイテンションお姉さんな、書道パフォーマー~

東京の四年制大学の、教育学部の書道学科に進学する。

憧れの東京!!! 一人暮らし、勉強、恋愛、サークル、アルバイト、全てが楽しい!!!

カラオケでオールして騒いだり!

雪の中、新潟の成人式に参加したり!

沖縄に旅行に行ったり!

書道学科や書道サークルでの作品展に励んだり!

アカペラサークルで踊って歌いまくったり!

ベトナム・カンボジアの学生ツアーに2回参加して、アンコールワットのサンライズを拝んだり!

教育実習に3回行ったり!

書道学科の卒業制作展で、徹夜続きで大作の創作をしたり!
(この頃から、徹夜して作品を書いたり、徹夜して教育実習の指導案を書いたりなど、タフな活動をしていた。躁転しやすい体質が形成されていたんだろうな…。)

また、小学校の教員免許取得の勉強をしていく中で、小学校教育の面白さに目覚めた! 路線変更をして、小学校の教員を志す。

大学4年生の時に受験した教員採用試験は不合格。凹みに凹み落ち込んだが、その後、東京の小学校の非常勤講師(アルバイトの先生)としての就職が決まる!

そして、大学生時代に、念願のドリカムファンクラブに入会する! 1年生の時に初めて行ったドリカムワンダーランドは、一生忘れない!!

充実で大満足の大学生活は、たくさんの仲間に囲まれて終わりを告げる!

のこママ
素敵な学生時代を過ごしたのねぇ〜のこママも大学時代が懐かしくなったわよ〜。

(6)社会人①~ほやほやの小学校教師!!充実の非常勤講師時代~

東京の区内の小学校の、算数の授業だけ教える、算数少人数の非常勤講師(アルバイトの先生)になった。
初めての教師生活!
緊張でドキドキのスタート!!!
最初はうまくいかないものの、だんだんとコツをつかみ始めてきた。授業がどんどん楽しくなってくる。

この年に、猛勉強の末、教員採用試験に合格。
この一年間は、平和に教師生活のスタートができ、少しずつ自信がついてきてきていた。

ここまでは、順風満帆だった…

(7)社会人②~学級崩壊!!大きな挫折。暗黒の小学校教員時代 その1~

晴れて、東京の郊外の小学校の正規教員になった。そこで、3年生の担任になった。

毎日、朝7時から夜9時半まで、終わっても自宅に仕事を持ち帰って、必死になって働いた。土日もほぼ出勤した。

でも、やればやるほど空回り。焦れば焦るほど空回り。授業も何もかも上手くいかないし、だんだん子どもたちも私から離れていく…。

「全部私が悪いんだ。」

「もっと私に力があれば!」

「もっともっと、やらなければ!!」

起きている時間は、ずっと仕事のことを考えた。

考えすぎて、学級崩壊をさせてしまった自分が情けなさ過ぎて、涙も出なくなっていた。

「とにかく、もっと、もっと、やらなければ……!!!」

1学期は何とか持ちこたえて、夏休みに突入できた。

しかし、夏休みに入ったばかりに、事件は起こった。

突然、校長室に呼び出された。
そこで、6人の先生方(上司)の前で、こう言われた。

「2学期に入ってからの2週間、クラスが持たなかったら、担任を降ろしたい。」

「…はい、分かりました。」

と、答えるしかなかった。

ああ、今のままではダメなんだ。頑張りが足りないんだ。

ますます自分を追い込んだ。

一週間後に、緊張の糸が切れた。夏休み中に、衝動的に実感へ逃げ帰った。
実家に帰ってきて、母と姉の顔を見たときに、やっと涙が出てきてくれた……。

そんな状態のままで、24歳の誕生日を迎えた。

心療内科へ行くと、適応障害と診断された。
その後、3か月間休職することとなる。

……

焦燥感。
休職中は、とにかく焦っていた。

「教師として、失格。」
「こんなに頑張ったのに、どうして私は休職になってしまったのだろう。」
「今、学校では2学期が始まった頃だ!」
「きっと、運動会の練習が始まった頃だ!」
「どうして私は実家にいるのだろうか?」

休職している間も、学校のことが頭から離れなかった。

「何にも考えないで、頭の中を空っぽにするといいよ!」
とアドバイスをもらった。

そんなことできるはずがなかった。
その後、復職するか辞めるかを迷いに迷った。

「このままの状態で復帰したら、ますます悪くなって、追い込まれて、自ら命を絶ってしまう!

そう思って、10月末で退職することを選んだ。

のこ太
学生時代とは変わっていろんな壁にぶつかってしまったんだね。その中でもたくさん頑張って頑張って、それでもうまくいかなくて・・・大変だったね。
のこ美ちゃん
ケロヨンさんは頑張り屋さんだと私は思うわよ。

(8)社会人③~超絶多忙でも、充実感たっぷりのダブルワーク時代~

その後、実家に戻って転職活動する。
すぐに、東京の幼児教室の正社員の仕事が決まり、東京にとんぼ返りをする。

しかし、2か月でクビになる。
理由は、私があまりにも使えないから。。。

クビになったことは、親には言えなかった。

クビを告げられたその日のうちに、教員採用試験の勉強会の時にお世話になった、アドバイザーさんに相談した。

そうしたら、こう言われた。

「今月、私は、前の会社から独立して、教育系の会社を起こしたんだ。今は、パートさんを募集中だから、うちで働きなよ!

!!!!!

クビになったその日に、次の就職先が決まるというミラクルが起こる!!!

でも、パートだけでは食べていけない。
だから、いろいろと迷ったが、一年前にしていた小学校の非常勤講師(アルバイトの先生)の仕事を、もう一度始めることにした。

会社員のパートと、小学校の非常勤講師。
2つの仕事を掛け持ちした。

「正規教員は無理だったけれど、非常勤講師なら、きっと大丈夫!」

そう自分に言い聞かせた。結局、一年も経たないうちに、また小学校の教師に戻った。

教育系の会社のパートの、送別会での一枚。
充実の笑顔。

小学校の非常勤講師とのダブルワークを4年間続けた。
ダブルワークは忙しかったが、会社の上司と同僚に恵まれて、続けることができた。

「社会人経験を積んで、今ならまた、小学校の正規教員にチャレンジできるのではないか?」
という思いが捨てきれなかった。

パート最後の年に、東京都の小学校の教員採用試験を再受験する。

結果、一発合格。

のこ蔵さん
い・・・一発合格?!?!インクレディブルですな!!
のこバブちゃん
(のこ蔵さんは合格とか受験とかそういったときにやかましくなるバブね笑)

(9)社会人④~汗と涙と、「枯れた涙」の小学校教員時代 その2~

二回目の、東京都の小学校の正規教諭になる。
リスタート一年目は、ピッカピカの1年生の担任になった。

「24歳の時と同じ失敗を繰り返したら、きっと私は自ら命を絶ってしまう」

そんな思いもあった。

何としてでも、とりあえず一年間は乗り越えたい!!
必死に働いた。

思いのほか、前よりも肩の力を抜いてできた。

気がついたら、3学期の終業式だった。
一年間の思いが溢れて、最後の最後で子どもたちの前で大号泣

こんな、学級だよりも書いた↓

リスタート二年目は、そのまま持ち上がって2年生を担任した。
三年目は、また1年生の担任になった。

三年目の秋に、突然結婚することが決まった!!!

そこから、謎の体調不良が始まる。
毎日、何となく、気分が晴れない。

何だかおかしいけれど、とにかく仕事には行かなくちゃ!!
でも、おかしい、頭が、頭が働かない……

何とか持ちこたえて2月になったけれど、

2月下旬のある日、
職員室の自分の机に三時間座ったまま固まってしまい、考えることも何もできなくなってしまった。

とにかく、自分がおかしい!!!

その場にいた副校長(教頭)に相談したら、こう言われた。

「ケロ先生は、うつ病かもしれないですよ。」

そうかもしれないな……。。。

自分で自分の状態を認めてしまったら、悪化するのは早かった。

翌日、根性で子どもたちの前に立ったが、
子どもたちの目の前で過呼吸になりかけた。

私が保健室に運ばれた。
校長の指示で、そのままメンタルクリニックに直行した。

抑うつ状態」の診断だった。

3月末で寿退社の予定だったのに、
2月末に、1か月の休職が決まってしまった。

2回目の休職。

涙は枯れ果てたが、
この時にはもう、
やっと休めるという、安堵感の方が強くなっていた。

のこ太
結婚というライフイベントはいいことだけど、いいことでもストレスって大きいっていうよねー。仕事にプラスして、その他いろんな関係性の中で体調も変わっていくと思うから難しいよね・・・。

(10)結婚 ~のち、激躁。 さらに、一気に奈落の底へ~

最後の挨拶もまともにできなかった心残りを持って、
私は、小学校の正規教員の二度目の退職をした。

そして、
夫のいる千葉の田舎に移り住んだ。

ストレッサーの仕事がなくなり、
時間に余裕ができて、
穏やかな時間が流れた。

東京のメンタルクリニックに5月まで通院していたが、突然、主治医が異動になってしまう。
何を思ったことか、そのタイミングで通院を勝手に止めてしまう。

でも、
半年間かけて、
少しづつではあるが、
自分が戻ってきたという感覚があった。

 

11月上旬、元勤務校から、
音楽会のお知らせが届いた。

回復してきた今なら、もしかしたら、子どもたちとお世話になった先生方に、
会いに行けるかもしれない!

そう思えた。

そして、
11月下旬、
私は、9ヵ月ぶりに、勤務校に行った。

音楽会を聞きに行き、終了後に、
子どもたちの前で笑顔で挨拶してくることができた!!

ずっと心残りだったことが、一気に晴れ渡った瞬間だった!!!

はーーーーーいっっっっ!!!
激躁、スイッチ、入りました~~~~~っ!!!!!

パチパチパチパチ(*´ω`*)

のこバブちゃん
バブーーーーー!!!!!

ということで、
ここから一気に加速度を上げて躁転していきまする!!!

 

12月、何を思ったことか、突然アルバイトを2つ始めます!!
(しかも、以前働いていた教育系の会社のアルバイトと、千葉の小学校の非常勤講師 笑 ←またかよ!)

そして、元勤務校のお世話になった先生方一人ひとりに、
長い長い感謝の手紙を、
連日徹夜で書き続けます!!

その数、約20人分!!!

のこバブちゃん
連日徹夜で20人に感謝の手紙・・・感情が爆発しているバブね。

激躁のときに撮った写真です(笑)

のこ助さん
こいつぁ上がってるぜぇ笑

さらに、1月に入ると、
アルバイト2つで週5勤務、
土日は二日とも、2時間かけて千葉の田舎から東京へ、毎週遊びに行くという、休み一切なしの多忙スケジュールをバリバリこなすスーパーウーマンに!!!

そんな私を見て、元勤務校のお世話になったある先生が、通院を薦めてきました

夫に話したら、夫も大賛成

うーーーん、
私も、「自分が何だかおかしいんだよな」と、薄々感づき始めていたんだよね。

ということで、2017年1月27日。

以前通っていた東京のメンタルクリニックに再受診したら、
躁うつ病双極性障害1型)と診断されました。
(やっと、冒頭の挨拶につながった!!)

やっぱり私は病気なんだな…。。
ショックだったけれど、なんだかとても安心した。

家に帰ってきて、夜になっても、激躁ウーマンはルンルンで過ごしていると、
突然、私の携帯が鳴った。

実家の母が、風呂場で血だらけになって亡くなっていた
という連絡だった。

私が双極性障害と診断されたその日、母は、自殺したのだ。

母は、うつ病だった。

激躁ウーマンは、日内変動で一気に鬱転した。

その後、日内変動を激しく繰り返しながらも、母の棺に入れる書道の作品を激躁パワーで、徹夜で完成させる。

一週間後、入院。

のこ太
ここには語れないようないろんな思いがケロヨンさんにはあったんだろうね。このように体験談を書いてくれることを通じてケロヨンさんの心がまた1つ前に進めたら僕は嬉しいと思うよ。

(11)そして、現在

2017年2月から4月までの3か月間、入院になりました。
退院する2017年4月末には、躁は落ち着きましたが、

2017年の6月から12月の約半年間、長い長い鬱状態寝込みます。

12月上旬、
お薬を変えたら、一気に鬱は和らぎ、少しづつ動けるようになってきました。

2018年。

上がったり下がったりを繰り返しながら、日常生活を難なく送れるまでに回復してきました!
今でも小さい波がありますが、寛解(完治に近い状態)に近づいているように思います

(結婚式をしようと意気込んでいた時には、既に激躁状態!!入院してしまい結婚式はできませんでしたが、ドレスを着て写真だけ撮ることができました☆)

のこ美ちゃん
ケロヨンさん綺麗だわー♡ とってもとっても素敵ね♡

2. どのような精神障害を抱えていますか?

双極性障害1型

 2.1. いつから精神障害を抱えているのですか?

双極性障害の診断がついたのは2017年ですが、2008年8月に、適応障害と診断を受けました。
今思うと、この頃から、双極性障害の混合状態のような症状が出ていたように思います。

 2.2. どのような症状ですか?

(1)躁状態

いろいろなアイディアが次々と頭の中に湧き出てきます。頭がフル回転して、小さな変化などいろいろなことに気がつきます。次々と刺激に反応するために、一つのことを最後まで成し遂げることができずに、どれも中途半端になります。
また、湧き出たアイディアに対して、ああでもない、こうでもないと、ブツブツと独り言を言うようになります。
さらに、活動的になるにつれて夜更かしをし、睡眠時間が短くなり、寝なくても平気になります。
そして、音楽を聞いてノリノリになったり、歌いだしたり、何をしていても楽しい状態になります。多幸感MAXで、「私って最強!」状態です。

(2)鬱状態

起きているのが辛い。ただただ辛いです。
横になっているしかなく、一日の大半を布団の中で過ごします。何をするにも億劫で、家事もできなくなり、お風呂にも入れなくなります。
また、好きなことに興味を持てなくなり、何もやる気が起こりません。感情がなくなっている状態です。
そして、過眠になり、一日12時間から14時間睡眠になります。
さらに、鬱状態が特に酷い時には、キューっと脳が締め付けられるような頭痛があります。

(3)混合状態

とにかく、焦燥感が強いです。
「みんなは働いているのに、何で私は仕事を休んでいるんだ。」「とにかく、何かをしなければ。」と焦るだけで、何をすればいいか分からずに、ひたすら焦って同じことを考えて堂々巡りをします。動けるけれども、心はすさんでいる状態です。
また、多幸感MAXの激躁状態から、突然悲しい感情が湧き起こることがあります。幸せな気分から一転、一気に悲しみの感情に襲われたり、大声で泣き出したりします。

3. 精神障害でこれまで大変だったことは何ですか?

躁状態の時に、家族や友達に多々迷惑をかけてしまったことです。
また、鬱状態の時に、ただただ寝ているしかできなくて、家族のために何もできなかったことです。

4. 現在、どんな治療を行なっていますか?

(1)服薬

毎日、お薬(向精神薬)を飲んでいます。
4種類を服薬して、気分の安定と安眠の確保をしています。

(2)通院

2週間に1回、精神科に通院しています。主治医に体調報告をして、お薬を処方してもらいます。

5. 日々の過ごし方を教えてください。

家事…専業主婦なので、掃除・洗濯・ご飯作りなどの家事全般を行っています。
近所の散策…引っ越しをしたばかりなので、自宅近隣のスポットの開拓に努めています。
資格試験の勉強…まだ就労できていないので、今のうちに、取りたい資格の勉強を進めています。
趣味を謳歌…zoom、ツイキャス、Twitterなどは大好きで、日常的に行っています。また、一人カラオケ、一人カフェ(コメダ珈琲など)、麺活(お店にラーメンを食べに行く)などが好きで、よくしています。

6. 今の目標は何ですか?

いつの日にか、お母さんになれればいいと思っています。
なれなくても、人に教える活動をまたしてみたいです。仕事でなくても、ボランティアなどでも構いません。小学校の知識や書道の知識などを活かして、人に教える活動ができないかを模索しています。
あとは、寛解(完治に近い状態)に近づかせて、健康でいることです。

7. わたしにとって回復に役立ったと思う活動は何ですか?

ズバリ、SNS当時者会です。

・FACEBOOKの双極性障害の非公開のコミュニティ
病気について何も知識がなく、毎日寝ているしかなかった鬱状態の2017年の11月に、FACEBOOKの双極性障害の非公開のコミュニティに出会いました。このコミュニティを通じて、病気の知識がだいぶつきました。コミュニティでお薦めされていた本を読んでみたり、同じように闘病する方の投稿を見たりして、「自分だけじゃないんだ」という安心感と元気をもらうことができました。

・Twitterの病気アカウント「ケロヨン」を開設!
FACEBOOKの双極性障害のコミュニティのおかげで、知識が付いてきた2018年2月頃に、Twitterで病気アカウントを始めてみようと思いました。同じ双極性障害の方をたくさんフォローさせていただいて、直接交流することで、元気をもらっていました。Twitterを通じて、まつらさんや、松浦秀俊さんをはじめ、多くの当事者仲間に出会いました。

・当時者会
2018年の1月から、地域の「自助会」と、地域の「当事者研究会」の2つに参加しました。双極性障害に限らず、統合失調症などの他の疾患の、地域での当事者仲間ができました。
2018年の4月、6月、9月には、松浦秀俊さんの「リアル双極トーク」に参加しました。ここで、まつらさんをはじめ、今でも繋がる双極性障害の仲間ができました。
2018年5月から、zoomを用いたネットの当事者会の「のこのこバー」に参加をしています。のこのこバーで毎週仲間と顔を合わせて仲良くなることは、病気の回復に大いに役立ちました。
2018年6月には、FACEBOOKの双極性障害コミュニティのオフ会を、私が企画・運営をしました!
今後は、2018年12月にある「関西双極フレンズ」に参加予定です。関西での双極仲間に出会えるのを、今から楽しみにしています。

8.逆に、わたしにとって病状を悪化させたと思う活動は何ですか?

勝手に通院を辞めてしまったことです。

(あと、活動ではないのですが…) 診断がつかずに、無知でいることです。
何も分からないからこそ焦り、不安に思っていることを何度も何度も繰り返し考えていました。自分で自分を追い込む負のスパイラルを、自ら作り出していました。正しい診断がつき、双極性障害についての本などを読んで、客観的な正しい知識を得らていれば、悪化はせずにだいぶ改善していたように思います。

9. こんな活動をしています!

・「晴れのこ」の運営スタッフをしています。
「いいね!係」(広報?)として、皆さんの投稿に丁寧に目を通しています。また、いろいろなzoomに参加して、何かあればまつらさんに報告しています。

・FACEBOOKの双極性障害の非公開コミュニティの副管理人をしています。
日々の投稿に目を通して、何か問題があれば、管理者メンバーで話し合って対応しています。

10. 繋がろう!!

・まつらさんのYouTube動画に、ケロヨンが出演しています!
よかったら、是非ともご覧ください!

 

・ケロヨンのTwitter
ケロヨンの双極な日常の出来事を、
#双極woman
#双極ガール
のハッシュタグをつけて、つぶやいています。

また、
#ケロおはヨン (毎朝のツイート)や、
#麺活女子ケロ (ラーメン食べ歩きの記録)
などのハッシュタグもあります!

 

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