「Eventful life」by ちひろ

はじめまして、ちひろです。これまで波乱万丈な人生を生きてきて双極性障害Ⅱ型と診断を受けました。私の思い出せる限りの全てを書き綴りました。

のこ太
よろしくな!

1. 私の人生

誕生〜幼少期

1992年の春に愛知県の田舎にて誕生。家族は父・母・3つ上の兄・父方の祖母(小5から同居)。

小さな頃から元気で活発な子でした。2歳半の時に歩いて10分ほどのところにある電話ボックスに興味をもち3つの横断歩道を1人で歩いて渡ってそこまで行ったもののお金がないので繋がらず困っているところを警察の人に保護されました。私は喜んでパトカーに乗って無線を見て興奮していましたが自宅に着くと当時はマンションに住んでいたので大勢の人が探してくださっていたり母親が号泣していたりで大騒動になっていました。この頃からお騒がせ娘でした。自由奔放な一方でか弱く喘息を患って入院をしている時期もありました。

のこバブちゃん
破天荒バブな!

幼稚園に通うようになって母が働くようになり遅くまで幼稚園に残って日本昔ばなしを見て母の迎えを待っていました。母と離れ離れの時間が増えたのと年少の先生が怖いという理由で軽い登園拒否を起こしました。だけど徐々に友達ができるようになって楽しくなり年長の頃には先生が大好きでくっついて周り逆に幼稚園から家に帰りたくない状態にまでなりました。

のこ太
最終的に幼稚園に馴染めたんだな!良かった!
のこ美ちゃん
小さい頃は、大人が怖かったりすることあるわよね。

小学校時代

八五三 大好きなピカチュウ を持ち歩く

小学生に上がるとクラスに名字にさんづけをする大人びた女の子たちが登場、いわゆるご令嬢。最初は同じ生き物と思えませんでしたが明るく奔放だった私を徐々に気に入ってリーダーに選んでくれて最終的にはクラスみんな仲良しで全員にドロケイやこおり鬼という遊びを浸透させ一時期ブームにさせました。放課になるとこおり鬼やるよ!の一言でみんな集まって一緒に遊ぶといった平和で仲良しの理想のクラスになりました。そういった経験から人をまとめる事が好きになり学級委員、書記、議員、体育委員長、バスケ部部長などを率先して引き受けました。

その一方でお笑いが大好きで授業中に先生が質問をする場面でひたすら挙手をして正解とは程遠いけど面白い解答を考えたり登下校中に隣で一緒に歩いている子を笑わせられるかということを全力でやっていて将来は芸人になると思っていました。だから将来の夢は芸人と書いていました。芸人のおっかけをしたりもしました。また、男勝りで少女漫画に対抗があったり、スカートを履くのが嫌だったりして兄や男友達とポケモン、ドラクエ、FF、銃とか車系のゲームや将棋をひたすらやっていたりもしました。

のこ太
ムードメーカーだったんだな!
のこ美ちゃん
個性的な女の子でもあったのね。

中学校時代

中学生になると周りの女の子はおしゃれをするようになるのですが私は相変わらずうとくて運動が得意だったのと小さい頃から兄と野球をしていたのでソフトボール部に入りショートを守りなおさら男勝りを極めます。男友達に組長というあだ名をつけられるくらいサバサバして口も達者でした。お前は男だろと男友達にいじられるようになり男子の列に並ばせられたり、男子トイレに閉じ込められたりもしました。他の可愛らしい女の子はもちろんそんな事はされないのでそれもネタにしていました(笑)

のこバァ
皆に愛されてる姿が目に浮かぶのぅ。ホッホッホ。

いじられるのは好きなのですが、なんだかんだ自分は繊細だと気付き始めるのはこの頃からです。授業中にお腹が痛くなって我慢した事がきっかけで次の日から授業中にお腹が痛くなったらどうしようという不安や後ろの人が気になって授業に集中できませんでした。それから学校に行くのがしんどくなって母に相談して初めて心療内科に連れて行ってもらいました。診断は大腸過敏症候群でした。先生にも話して席を1番後ろにしてもらったことでいつでも席を立てる安心感で気にせずにいられました。でも席が何かの時に真ん中になったりするとその状態になるので高校3年までいつも席の不安が頭にありました。
友達には相変わらず恵まれていて男女ともに多かったです。小学生からずっと仲良かった子たちがおしゃれの代表みたいな子達でおしゃれしたらモテるよと言われおしゃれの仕方を学んではプリクラを撮るのが流行り、その頃からおしゃれをするのが好きになりました。部活と遊びに全力を注ぎすぎた私の成績はまぁ大変。でも私には作戦がありました。中1の担任の先生が中3の時も再び担任になり、その方がバスケ部を全国優勝に導くほどの人で運動が得意だったし小学生の頃にバスケ経験があった私は初めその先生から勧誘を受け体験はしたものの休日返上&全国から強者が集まるそのチームについて行くのはさすがにと思ってソフトボール部にしたのですが担任はその後も私を学級委員にして何かあると私に頼みに来るみたいな人だったので気に入られ作戦と塾で上手いこと内申点を10ほどあげることに成功してなんとか家からチャリで7分の志望校に合格しました。

のこ助さん
先生に気に入られるとかすごいな!俺なんか叱られてばっかだぜ!

高校時代

高校デビューしたいなと思った私は少女漫画でモテる女の子研究をしました。大人しくてクールな感じの子でいこう!と思い始めそんな感じを装いました。それでちょっと男子から女の子扱いされました。これは好感触!と思ったけどその後すぐに女の子と話してあまりの楽しさにマシンガントークが炸裂してしまい本来の自分が出てきてしまいました。それで面白がった男子から芸人目指せと言われ仲良くなった女の子達からも勧められました。
部活はここでもソフトボールでショートの座は奪われました。足の速さを買われ一年でライトでレギュラーに入れてもらえました。そして左打ちを練習してセーフティバント&スライディングでひたすら内安打を目指すのとライトゴロを処理する要員になりました。その時に私よりうまいショートの子が面白すぎて2人で漫才をしていたら先輩に気に入ってもらえました。そんな感じで楽しく部活でもクラスでも過ごしていましたがあまりのハードさに子供の頃患っていた喘息が再発して部活を辞めざる終えなくなりました。
辞めた後は友達と遊んだり勉強や兄が家に外国の友達を連れてくるようになり海外や音楽や映画にはまるようになりました。この頃まで物事を深く考えた事がなくうまく楽しく過ごしてきた感じでしたが高校3年で人生が一変しました。

3年生になると私は生まれて初めて彼氏ができました。その彼氏は小学校からの同級生でずっと友達だったけど高校1年から私が片思いしていた相手で有頂天になりました。

のこ美ちゃん
キャー!彼氏ですって!(嬉)

ただその頃進学校だったのでみんな学校で勉強したあとさらに図書館でも勉強して家でも勉強して寝ない毎日が始まりピリピリした雰囲気になっていました。それと並行して学校祭の準備も始まりその時に仲の良かったグループの子達が仕切り役で積極的でした。その子たちの理想通りのものが作れないクラスの子達に高圧的な態度で作ったものを破壊してクラスからグループは浮いてしまいました。私はグループの子達がやっていることについていけなく、ついていかない私にも態度は悪くなりいじりがいじめと感じるようになって友達が怖くなりました。別のグループにも入れずにいたのでクラスとグループどっちにいるのかわからない中途半端な立ち位置にいて孤独感から精神不安定になっていきました。高校生だった私はクラスが全てだと思い込んでいたのです。生まれて初めてご飯が食べられない状態になり、工作用に持っていたノコギリや車を見る度に『死にたい』と思うようになったのです。もう正直死ぬことしか頭にない状態でした。そしてついにある朝、靴が履けず両親に泣きながら学校に行きたくないと言いました。両親ももらい泣きしながら話を聞いてくれて1週間お休みしようとなり休むことにしました。

のこ太
辛かっただろうに・・・。

しかし、休んだものの学校に行く日が近づくと恐怖心でいっぱいになりしんどく、さらに家が学校からチャリで7分の距離なので友達や先生がお見舞いにやってきました。2年の頃の担任まで3年の担任と一緒にやってきました。そう、あり得なかったんです。これまで無遅刻無欠席で底なしのように明るかった私をその先生はよく知っていたからです。自分自身もこんな風になるなんてと信じられずにいました。そして友達も頻繁にやってきました。同じグループだった子たちは自分たちが原因だなんて思わず色紙を書いてきました。学校で待ってるね。と言われました。しかし一週間後私は学校に行けませんでした。それから先生たちが家庭訪問をする日々が始まりました。不登校の私に将来なんてないと思い込み、家で荒れていました。彼氏には学校に行っていないことを秘密にしていましたが、バレてあっさり振られました。何もかも失ったと思い込み毎日何のために生きているのかを考えたり、生きていてもいいのかと思ったり。夜中に家族が寝静まったと思って脱走しては兄に諭され連れ戻されたり、包丁を握りしめて泣きながらも何もしない私にそれじゃ死ねないわよと冷静に話しかける母親。ロープの紐がわりにタオルで死ねないか試みるも苦しくて生きるしかないのかと諦めてみたり。そんなこんなしてる間に学校の先生達が補修を個別でしてくれたり保健室の先生が話を聞いてくれたり別の友達が迎えにきてくれたりしてなんとか立ち直り卒業、ついでに大学も受けてみなよと先生に言われ受けてみたら奇跡的に大学も合格することができました。

のこ蔵さん
よかった!立ち直れたんですな!
のこバブちゃん
たくさんの人に支えられて、人望があるバブ!

不登校時に元気のなかった私を旅行に連れだす両親

大学時代

晴れてようやく地獄の日々から解放された私は苦しんだ分1日1日を一生懸命生きよう、そしてこの経験を生かすことをしよう!と思うようになりました。

大学は一変してお嬢様が通う女子大でした。なので男勝りの私はもう宇宙人を見るような衝撃の連続でした。まず男の人と手を触れたことがない温室育ちの女の子、親が社長で30万のコートを着た女の子、ホスト狂いの女の子などなど、、、。そして女の子が好きな子もいて結構その子達にモテました。初めてのバイトはビアガーデンでした。そこのバイトは皆んな本当に仲が良くて楽しい思い出しかありません。

誕生日に街中でケーキを顔面に投げつけられる

成人式実行委員 代表スピーチを行った

芸人からモデルを目指そうと思って大学のコンテストに応募して決勝まで残りそこでスカウトしてもらいました。その後も名古屋の大会にも出場しました。

のこ太
すごいぞ!

のこママ
あら、キレイね!

しかし、国際系の勉強をしていたので英語の他にドイツ語を学びドイツへ留学に行ったことで価値観や文化の違いにまたしても衝撃を受け海外に目覚めました。何より好きな人ができてその人と会話したいという気持ちで勉強していましたが遊ばれて終わりました(笑)その頃はスペイン男性というものをよく知りませんでした。でも彼のおかげで勉強の意欲は維持でき、その後半年で100万貯めるためにバイトを3個掛け持ちしました。スペインバルと居酒屋とカラオケのフロントで働きました。そしてなんとか間に合いオーストラリア・ケアンズに渡り2年ほど滞在しました。

大好きな街 オーストラリア・ケアンズ

多国籍の友達ができる

シェフから料理を教わる

グレートバリアリーフという海に沿ったのんびりとした観光地でスローライフを送るには最高の場所で本当に自分にあった場所だったのと現地で彼氏ができたので永住権を取るために働いていました。路上で働く人に魅力を感じたことやおじいちゃんがマッサージで開業してたこともあり興味がありタイ人のマッサージ師に習い路上でマッサージをしたりバリスタをしたり観光ガイドをしたりして充実していました。あと彼氏がイタリア人シェフだったのでさまざまなパスタを作りました(笑)

のこ助さん
オンリーワンの経験だな!!
のこ蔵さん
ワタスも海外留学したいですぞ!
のこ美ちゃん
キャー!イタリア人の彼氏ですって!!(嬉)

大学卒業するために日本帰国した際に逆カルチャーショックに陥りました。向こうに適応しすぎて日本に適応できなかったのです。私はこれを浦島太郎状態と呼んでいます。街中で誰も会話しない状態や家の高さ、人の価値観に凄く違和感があったり2年間の変化についていけない、友達がどこかへいってしまった(ような気がしていた)、でも誰もそれを理解してくれる人も周りにいなくて孤独感をまたしても強めて再び鬱状態になりました。経験を積んでパワーアップしたはずが経験によって辛い状況を作り出してしまった、私がチャレンジした意味ってなかったのかな?そんな風にまた思い込んでいきました。また鬱状態になった私はご飯が砂の味に思えてきたので病院に行くとうつ病と診断されました。できもしないのに首を吊ろうと試した結果、カーテンレールとドアノブを破壊しただけに終わり、父親が探してきた自立支援のセンターでカウンセリングを受けるようになりました。そこで出会った仲間によって救われました。同じ苦しみをもった仲間がいるという事が孤独感を減らすきっかけになり、さらに念願の心理の勉強もすることができました。その頃流行った人狼ゲームのおかげで人の心理を分析する能力を養うこともできました。疑う能力は相変わらず身についていませんが。だいぶ元気になったのでオーストラリアに戻る事になりましたが価値観の違いによって別れることになりました。

のこジィ
海外経験者にとって、日本はあまりに堅苦しいからのぅ。ガラパゴスなんじゃよな・・・。

日本帰国後

日本帰国後にさてどうしたものかと考えて、閃いたのは自分でビジネスをするスキルを身につけて再び海外へ行くという事でした。そこからまたマッサージのレベルを上げるために店舗で働くことにしてお金も貯める必要があったので夜にラウンジでも働くことにしました。

掛け持ち時代(セラピスト&ラウンジ)

セットを全て揃え始める

このラウンジは私の中の夜の仕事の印象を変え、自分に働く楽しさと意味、そして経営について学ばせて頂いた場所になりました。ご来店されるお客様は大手企業の若手から重役の方、中小企業の社長、芸能人などで普段聞けないお話を聴くことが楽しかったです。人の話を聴いて癒す、自分が話して楽しませる、芸人やカウンセラーになりたかった私はやりたい事ができている充実感を感じるようになりました。続けていると段々と私を指名してくださるお客様も現れてゴルフやお酒、美味しいお店、マナー、昔の名曲、世の中のことなどを教えてくださったり、お昼のマッサージのお店にも来てくださるようになったりしてこの頃の私は働くことが楽しくて自信に満ち溢れていました。人に必要とされている事が何より嬉しかったです。高熱が出たとき以外毎日働き続けていても苦にならずむしろ働きに行きますと言って「お願いだから1日くらい休んで」と言われるくらい働きました。それくらいお店のスタッフもお客さんも大好きでした。最終的にはお店の女の子の中で1番の売り上げを上げることもでき、実力を認めてもらい知り合いのツテでお店のママにならないかという話を頂きました。自分のお店を持つ事が夢だったので感激しました。しかし、その条件には一つ問題がありました。そのスポンサーの方の老後を看取るというものだったのです。お店を持つという夢を叶える代わりに旅行にいったり楽しい事がしたいと。私は正直悩みましたが相手の方に恋愛感情はなかったのと束縛されたくないと思いお断りすることにしました。正直このお仕事をしていた時にいろんな出会いがあり誘惑がたくさんありました。結婚してるのにしてないと嘘を言って近づいてくる人、結婚していても気にせずアタックしてくる人、すぐ人を信用する私にとってなかなか危険な場所でもありました。でもそんな中で真面目で嘘が全く言えない正直な方もいました。今時珍しいなと思ってそういう人柄が好きでいつのまにか私の方が大好きになっていました。その方は私のダブルスコアの年齢なのであと20年早く出逢えてたらすぐにでも結婚するのにっと口癖のように言っていました。そんなこんなで普通に生きてたらなかなかできない経験をここでは積めたのかなと思います。大好きな場所でしたがトラブルがあり、なおかつ睡眠時間が2〜3時間で疲労し続け、住所ばれしてストーカー被害に合うようになってしまったので精神的に限界を感じて辞めることにしました。この一連の話を病院とカウンセラーの先生に話すと掛け持ちしている間は躁状態だった可能性が高くその反動で鬱状態になっているのだろうと言われました。

のこパパ
様々な経験ができた、素晴らしい期間だったんだな!はっはっは!
のこママ
でも、ストーカー被害に合うのは怖いわ。大変だったでしょうに・・・。
のこバァ
睡眠時間も2~3時間とは、頑張ってたんだねぇ。

ここ最近

好きな環境がなくなり元気もなくなり、人に会わないようになって再び廃人化していましたが、今回は前回よりも落ちてはいないのかなと自分的には思っています。家族、友達、前回落ちた時に出会った仲間、仕事仲間、お客さん、SNS上の仲間、そして晴れのこの皆さんとも繋がる事ができ、孤独感が以前より減ったからかなと思ってます。今はまだまだ認知の歪みがあり、体調の波もあるので、ゆっくり療養しながら自分のペースでゆるーく仕事をしています。マッサージ以外に靴磨き、web、コーチングに興味があり学び始めたので何か事業ができないか模索しています。将来的には自分らしく働ける方法が見つかるといいなと。

ここまで長々と書き綴ってきましたが最後まで読んで頂きありがとうございました。自分の人生を振り返りながら、いろいろな自分がいることを客観視することができました。そして、何もしていないと思い込んでいた自分に自信を持つきっかけを与えてもらえたように思います。これからも持病とは付き合い続けますし、病んだことで離れていった人もいて傷ついたし、偏見に苦しんだり自分自身を責めたりしてしんどいことの方が遥かに多いのですが、病んだことで痛みがわかる人間になり、人に優しくできるようになったこと、そして全てをさらけ出してより深い人間関係を築くことができるようになったこと、それは財産なのかなと思います。こんな波あり谷ありの私の人生経験が何かお役に立てればこれ以上ないほど嬉しいです。

のこ美ちゃん
ちひろさんの人生、とっても深みがあってすごいわ!何度も読み返しちゃう!
のこバブちゃん
勉強させてもらったバブ!

2. どんな精神・発達障害を抱えていますか?

 2.1. いつから精神・発達障害を抱えているのか?

大腸過敏症候群(13才)→自律神経失調症(18才)→うつ病(23才)→双極性障害II型(24才)

 2.2. どのような症状?

鬱状態

自分に自信がなくなる、寝込む、何もやる気がしない、人に会いたくなくなる、予定入れたくなくなる、生きたくなくなる、死にたくなる、人と比べる、思い込みが激しい、傷つきやすい、涙もろい、テレビを観なくなる、化粧が薄くなるorできなくなる

躁状態

自分に自信がみなぎってくる、なんでもできると思い込む、神が降りてきて天才なんだと思う、まつらさんの言うシンクロニシティが起こりやすい、思い立ったら即行動してしまう、気分が非常にいい、多弁、眠らなくてもいい、動き回る、何言われてもあんまり動揺しない、アイディアがどんどん浮かぶ、変わったことをしたがる、働きまくる、予定を入れまくる、化粧が濃くなる、髪色が派手になる

3. 精神・発達障害でこれまで大変だった事

波が激しいのでうまくいったことも途中で辞めてしまって続かない、鬱状態から立ち上がるまでに時間がかかってしまう

4. 今現在どんな治療を行なっている?

週一回のカウンセリング

月二回の通院・薬物治療

5. わたしの日々の過ごし方

最近は無理ない生活をしています。体調に波があるのでのんびり休みながら自分のペースで仕事をしたり人と会ったりしてこれから何をするか模索中です。

6. 今の目標

無理のない働き方を確立させる

生活できるくらいの収入と人を癒す仕事と癒してくれる同居人を見つける

7. わたしにとって回復に役立ったと思う活動

理解のある人や自分が元気な頃に交遊してた人と話をする→自分の良さを客観的に見てくれるから自信を取り戻せる

仕事をする、スキルを習得する→自分の価値を感じられる、自信になる

自分の人生を振り返る作業→自分がどんな人間か思い出せれる

カウンセリング、コーチング→認知の歪みを修正できる

8.逆にわたしにとって病状を悪化させたと思う活動

理解のない人と話をする→偏見で物を言われてそれを信じ込んで私はダメな人間だと思い続けてしまった

一人でいる→ネガティブな事をぐるぐる思い込む

焦って行動する→何か始めても自分追い詰めてぶり返す

9. こんな活動しています!

模索中です。何か始めたら報告します(^^)

10. 繋がろう!!

Twitter作り直しました。

 

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