「自分を知って、学んで進む。一歩ずつ。」by ヤギ

はじめまして!「ヤギ」と申します。(名前はヤギなのに見た目はクマみたいですね)

のこ太
俺はツチノコだよ!よろしくな!

現在33歳、雪国山形県に住んでいます。26歳の時にうつ病と診断されました。反復性うつ病性障害です。友達からのあだ名は「コミュ力の高い豆腐メンタル」です(笑)

サッカーの応援が大好きで、山形のJリーグチームのサポーターをしています。その他、音楽、アイドルやアニメ、ドライブ、ロゴデザイン、動画制作など好きなものはたくさんあります!嫌いなのは・・・セロリくらいですかね(笑)

手広くアレコレやってきた器用貧乏的な人間なので色々語りますが、少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです!

1. 僕の人生

 1.1.幼少期

1985年9月、山形県北部の豪雪地帯に一家の長男として生を受けました。

一家の長男であることや、近所に同年代の子どもが少なかったこともあり、家族だけでなく地域の方々にも可愛がってもらえたようです。人見知りしない性格だったようで、今も人見知りしない性格なのは、きっとこの頃に得たモノだと思います。

 1.2.小学時代~「長男だから」という言葉と責任感~

1クラス17人という少数学級でした。同級生との交流の密度は濃く、みんな仲良かったですね。頼りがいのある存在だったからなのか、クラス委員や児童会長など、何かとリーダー的なポストを任せられることが多かったですね。何かと負けず嫌いでした。成績もよかったと思います。

何かと中心にいることが増え、責任感を強く持つようにも育てられました。田舎だったので「長男=跡継ぎ」という風潮が根強く残っていました。いつも「お前は長男なんだからしっかりしないと」と言われ続けてきました。

この頃は何とも思っていませんでしたが、20年経って、父親が他界した頃(後述)に「長男だから」という言葉の刷り込みが僕の邪魔するようになりました。

 1.3.中学時代~文武両道・たくさんのわらじを履く優等生キャラ~

そのまま地元の中学へ。相変わらず成績も良い方だったと思います。中学でも、クラス委員や生徒会役員、サッカー部の部長等々、リーダー職に就くことが多かったです。部活はサッカーと陸上(砲丸投げ)をしていました。学校に陸上部がなくて、大会前にいろんな部活から集められるパターンでしたね。

初めたばかりの砲丸投げで、初めて出場した陸上大会で、大会新記録を作って優勝しました(笑) それがきっかけで県強化指定選手に選ばれ、その後の生活は、朝7時から陸上練習→そのまま授業→放課後は部活→塾や習い事。といったルーチンでした。結構ハードなスケジュールでしたが、全部負けたくなくて、遮二無二なって動いていました。勉強も負けたくないし、スポーツも負けたくない、生徒会活動も全部やる!!「文武両道の精神」っていうヤツです。何足もわらじを履く「THE☆優等生」キャラでした。

のこ蔵さん
すごい!スーパー中学生だね!

 1.4.高専時代~なんでも自分でやる!というスタイル~

中学校卒業後は、工業高等専門学校へ進学しました。進学と同時に親元を離れ、学寮での生活がスタート!15歳~20歳までの共同生活でした。僕自身がもともとリーダー気質&体育会系な性質だったので、先輩、後輩ともにうまく付き合えていたと思います。高専時代も学寮の自治会や、下級生を指導するポジション等、リーダー職を任されていました。

この頃からバンド活動も始めました。ずっと、ドラムをやりたかったんです。小さいころから憧れていました。それがきっかけで、ライブやイベントの企画・運営に関わる機会も増えました。自作CDなんかも作っていました。自分たちでなんでもやる!そんなスタイルを貫いていました。

卒業後は、同校の専攻課程へ進学しました。アパートでの一人暮らしも始まりました。AMは講義、PMは研究、夜はアルバイトといった生活でした。土日はバンドの練習やライブ等に走り回っていました。今思い返すと、ここでもアレコレ忙しない生活をしていましたね。バンド活動はメンバーの転勤などもあり、21歳頃に一区切りしました。

さらに地元Jリーグチームの応援に力を入れ出したのもこの頃からです。学寮生活から一人暮らしになって、好きに走り回れるようになったので。やりたいことは全部やる!そんな生活でした。

のこ美ちゃん
リア充ね!とっても素敵!!

 1.5.社会人生活~充実していた新卒時代~

2008年から産業用設備メーカーのエンジニアとして社会人生活を開始しました。2年目には会社の一大プロジェクトの一員として仕事を任せられることになりました。諸先輩方のサポートもあり、忙しくて残業続きでしたけど、仕事を苦に感じたことはありませんでした。管理職の方々もしっかりと部下のコントロールを出来ていましたし、設計職という立場なので、仕事の流れはある程度自分で管理する自由もありました。

平日みっちり仕事をして、土日はみっちり遊ぶ!といった生活でした。土日はほとんど家にいることがなく、サッカーの応援で全国各地飛び回っていました。それが僕にとっての楽しみでもありました。応援を仕切る立場も経験しました。

ライフワークバランスはきっちり出来ていたと思います。この頃までは・・・

 1.6.父との別れ~長男としてのプレッシャー~

2009年冬、父親にガンが見つかりました。ステージ4、末期の肺がんでした。頭の中が真っ白になりました。ドラマで見るような告知の光景。まさか自分がその当事者になるとは思ってもいませんでした。現実を受け止めきれずにいました。家族との話で、いつもと変わらない生活をしていこう!ということになり、それを心がけていきました。

ここで小さい頃から言われてきた「長男だから」という刷り込みと、長年リーダーを任せられる立場を経験して積み重なった「責任感」が激しく主張をし出しました。

「親父が死んだら、僕が家族の面倒を見なければ!」

現実を受け入れられぬまま、父は他界していきました。葬儀の時も、父を失ったことより、これから先のことの不安を背負い込んでことと、長男としてしっかりしていなければ!という思いで、涙が一切出ませんでした。

のこ太
プレッシャーでいっぱいだったんだな・・・。辛かったろうに・・・。

 1.7.彼女との別れ、祖父の他界~連続する喪失体験、そしてうつ発症~

2012年1月、当時交際していた彼女に突然別れを告げられました。彼女は、父親の死の瞬間にも立ち会ってくれました。彼女の両親への挨拶も終えて、結婚も視野に入れていました。そんな中、突然の交際解消宣言。理由も教えてはくれませんでしたが、「結婚するのはあなたじゃない」と告げられ、その後音信不通となりました。頭の中は大パニックでした。さらに、祖父が他界しました。この頃には完全に感情のコントロールが出来なくなりました。

そして、2012年5月22日の朝、経験したことのない恐怖心、不安感、動悸が止まらずに心療内科を受診。うつ病と診断されました。

喪失体験が連続したことで、もう僕の感情が限界だったのかもしれません。

のこママ
不運が続いたのね・・・。私だったら耐えられないわ・・・。

 1.8.休職、復職、休職、復職のループ~休むことへの罪悪感~

診断内容を上司へ告げたところ「まず1ヶ月、休んでみようか。ゆっくりしていいよ。」との提案がありました。ホッとした反面、ずっと走り回ってた性質ゆえに「休むってどうやるんだろう・・・」と休み方がわからないままでいました。そして徐々に、「早く元気になって戻らなきゃ」「忙しいこの時期に何しているんだ・・・」と休むことへの罪悪感が生まれていきました。家族にも「余計な心配をかけてしまう」とか、「休んでることを知られたら怒られるんじゃないか・・・」という思い込みで、その時はうつ病と診断されたことをクローズにしていました。

2ヶ月ほど休職して、不安に感じる時間がある程度少なくなったあたりで1度復職しました。半ば無理やりだったのかもしれません。「なんとかしなければ!」そういう意地やプライドみたいなものが強かったのかなと思います。結局1ヶ月で再発して今度は3ヶ月休職することになりました。

2回目の復職も1ヶ月持たずに再発しました。その時に会社から精神科専門医を紹介されました。意を決して転院を決めると同時に、この時初めて母親にうつ病であることと、仕事を休んでいたことをオープンにしました。

のこママ
勇気を出したのね。偉いわ。

3ヶ月休んでは復職、1ヶ月仕事をしては再発・・・3年ほどそういった状態が続きました。「今までにないほど回復した!」と感じた時期もありましたが、それは一時的な過渡状態だったのかもしれません。

短期間で回復と休職を繰り返すたびに、次第に抑うつが酷くなり、希死念慮も現れ、生きていくことへの自信も失っていきました。気が付いたらロープを買ってきていた・・・なんてこともありました。(あるある by岡本)

 1.9.退職、転職、そして解雇

5度目の復職はいつもよりうまく行ったと思います。1年半近く仕事を継続できました。しかし、2016年12月のある朝、突然抑うつ症状が再発しました。原因はまったく不明でした。誘因となるようなエピソードがなかったし、仕事でもあれこれ任されるようになって、自信を取り戻して波に乗ってきた時でした。突然のことなのでパニックになりました。もう一人暮らしは継続できないと判断して、仕事を辞めて実家へ戻りました。

仕事が嫌いなわけではないので、辞めることへの抵抗もありました。

「環境変えてみたらなんとかなるだろう」という期待もありました。

どうしたらいいのかわからず手探りでした。

地元に戻って再就職したものの、仕事に対する意識と職場環境が全く合わず、3ヶ月ほどで再発、結局1年足らずで辞めることになりました。その次の就職先では、業務内容と職場環境はマッチしていたものの、試用期間中に自律神経失調症を発症して数週間休みました。課長は「ゆっくり休んでいいよ!」と言ってくれて、リワークに向けてリハビリしていたものの、経営層側で継続雇用不可の決定が下されて、人生初の解雇通告を受けました。

そして現在に至ります。

2. どんな精神・発達障害を抱えていますか?

現在は「反復性うつ病性障害(ICD-F33)」と診断されています。

 2.1. いつから精神・発達障害を抱えているのか?

完全な自覚症状が現れたのが2012年5月22日の朝でした。朝目覚めた途端に強烈な恐怖感と震えが止まらず、急遽仕事を休んで急遽心療内科へ駆け込みました。そこで初めて「うつ病」との診断を受けました。その後、回復しても、2~3ヶ月で再燃することを繰り返し、2018年4月に障がい者認定(精神3級)を受けました。

 2.2. どのような症状?

抑うつ状態として、憂うつ気分、思考・運動の抑制、易刺激性・興奮、希死念慮が強く出ることが多いです。情動(怒りのコントロール)が出来なくなることもあり、ごく稀にヒステリックな状態になることもありますが、現在その部分は落ち着いています。抑うつ状態の誘因要素はまったく予見できません。重大エピソードの有無に関係なく突然抑うつ症状が現れます。

自律神経失調症との診断も受けていて、睡眠の乱れから抑うつ症状が誘発されることもあります。寒暖差の激しいときや、梅雨時期、冬季はちょっと注意するようにしています。

のこ助さん
日照量が少ない時は要注意だな。うつ病あるある。

3. 精神・発達障害でこれまで大変だった事

 3.1.わからない原因(誘因)と拭えない自己嫌悪

おそらく、喪失体験が連続したことで「うつ状態」に陥ったのだと思っていますが、明確な誘因要素は断定できていません。一時期、原因を断定しようと考えたこともありますが結局わからず仕舞い。「なんで自分が・・・」「もっと早くに気づいていたら・・・」と過去を思い出して自己嫌悪に陥ることが多いです。

優等生キャラでいたことやリーダーでいたことによる「使命感」や「責任感」が積み重なってパーソナリティが形成されてきたこと等も関係はしていると思います。ですが、今は深追いしないことにしました。パーソナリティと誘因要素が複雑に絡んでいると思うので、考えるだけきりがないと思いました。

ただ、今もたまに思うことがあります。なんであの時に折れたのか、折れてなかったら今どうだったのか。意味はないのに過去と未来について考え込むことがあります。そのたびに自己嫌悪が繰り返されます。

 3.2.繰り返されるうつ症状と繰り返される処方調整

短期スパンで何度もうつ症状が再発しました。そのたびに薬の処方量や組み合わせを調整してきました。一時安定はするものの、ふとしたきっかけでうつ症状が簡単に再発する・・・それ自体が苦痛でした。

「またかよ・・・」「もう打つ手がないんじゃないか・・・」「これ以上どうしたらいいんだ・・・」「このままで良くなるのか?」僕が考えても仕方ないのですが、考えてしまいがちでした。そしてまた自己嫌悪・・・自己肯定感も低くなり、自信なんてどこかへ飛んでいってしまいました。

のこ蔵さん
うつの時に陥りやすい思考だね。とにかくネガティブになるという・・・。

 3.3.尽きていく貯金

休職→復職→休職→復職を繰り返し、安定した収入が得られず、貯金も尽きていきました。傷病手当は受けていましたが、短期間の休職スパンだったので、すぐに受給期間が過ぎました。受給期間満了後の休職期間は貯金を崩しながら生活していました。何百万円も貯金があったわけでもないので、尽きるのは早かったです。親にお金を支援してもらったこともありました。

今思えば、もっとしっかり休んでおけばよかったなって思います。当時は、「回復して仕事もできる!」と思ったらすぐに「復職」という選択で突っ走っていました。完全に「揺り戻し」の状態だったと思います。

 3.4.家族・頼りにしていた(と思っていた)友人からの言葉

母親に「そんな病気は気の持ちよう」と言われたことが一番つらかったです。母親なりに理解しようとしてくれて、それを表現する言葉が見つからなかったのだと思います。それでも、「お前は強いコだったんだからもっと自信持って!」とか、「うつ病は現代病だから私にはわからない」とか、そういったコメントをされたときはツラかったですね。なんで自分がこうなったのか、どうしたらいいか僕もわからなかったので。次第に家族に対してメンタルブロックを作るようになりました。この家に居場所なんてないのかな・・・と思いこむこともしばしばありました。それは僕の認知が歪んでいたこともあるし、家族もどう接したらいいかわからず手探りだったのだと思います。何度も言い争いをして、喧嘩して、最近やっと付き合い方がわかってきたような気がします。

頼りにしていた友人にも似たような言葉を掛けられた時があります。さらには「ヤギちゃんはいいよね。病気を理由に仕事休めて。私だってツラいのに!!」なんて言われたことも。休みたくて休んでるわけではないのに・・・

のこ美ちゃん
そんなこと言われたの!?ひどいわ!

 3.5.次々変化するストレス要因

環境は都度変わっていきました。それを追従するようにストレス要因も変わっていきました。仕事を休んだら休んだことへの罪悪感がストレスとなり、復職から再休職したらそれがストレスとなり、家族と同居したらそれがストレスとなり、祖母も高齢うつを発症したことで手に負えなくなり・・・環境の変化についていけなくて、そのたびに頭の中がパニックになり、自分を責めていました。

4. 今現在どんな治療を行なっている?

2~4週の外来診察と薬物療法を継続しています。去年は認知行動療法もやりました。これからはしばらく薬物療法メインで、上手くいけば減薬の方向だと思います。それと合わせて、現在の症状と「上手く付き合っていく方法」を考えることも大切になってくるのかなと思っています。

5. 今の目標

 5.1.自分主義になる

人に頼られて生きてきたこともあり、人を頼ることがどうしても苦手です。なので、自分で抱えこむことがとても多いです。さらに、献身家的な性格なので、自分のことは度外視して人のために尽くそうとする傾向があります。それゆえに負担を感じることも多いので、少しバランス良くコントロールできたらいいなと思っています。自己犠牲を少しだけ軽くしてあげたいです。

のこ美ちゃん
「自分を大切にする」って大切よね☆

 5.2.自分のラインを大事にしていきたい

自分は自分のラインを大事にしていきたいと思います。人と比べることも時には大事ですが、今の自分にとっては「比べること=プレッシャー」になってしまいます。誰か何かと比べることを少なくしてあげて、自分は自分、他人は他人と割り切れるようになりたいなと思っています。

のこジィ
”比べない事”こそ、ある意味自信だからねぇ。応援してるよ。

 5.3.当事者として経験したことを還元していきたい

うつ病と診断されて約7年、様々な形でうつ病と向き合い、理解しようとしてきました。その中で気づいたことがたくさんありました。

自分が当事者として経験してきたことで見えた世界もあります。そういった経験を、今働いている人向けに還元していきたいなと思っています。

6. わたしにとって回復に役立ったと思う活動

 6.1. 自己分析と認知行動療法

発病から5年ほど、薬物療法に頼りきっていました。たくさんの処方を試してきましたが、一時的に回復はするものの、ふとしたことから再発してしまい、何度も処方変更を余儀なくされていました。薬物療法に頼り切っていては、このまままた無限ループに入り込む・・・そう思った時がありました。その時、認知行動療法をさせてください!と医師へ直談判しました。

認知行動療法の時に、心理検査を受けました。再就職の時にエニアグラム診断も受けました。自分が思っていた自分と、検査結果で出た自分には、ギャップがありました。でも、「自分はこういう状態なんだ」「自分の本質はこういう人なんだ」を知ることで、自分と向き合う決心がつきました。

自分を知ることは自分を受け入れることにも繋がるのかなと思いました。それからは、治療も行動も少しずつ変えていこうと思えるようになりました。薬はあくまでもサポート。自己分析をして、自分と向き合ったうえで、認知の歪みに気づくこと、感情の変化に気づくことをトレーニングして、1歩進めたと思います。

のこバァ
自分を知ることによって、前に進めたんだねぇ。
『敵を知り、己を知れば・・・』だねぇ。

 6.2.メンタルヘルス系の資格取得

メンタルヘルスマネジメント検定®を受験しました。うつ病と付き合う当事者として、経験してきたことを形として理解しておきたかったんです。また、何かしらの形で社会に還元できるきっかけにもなるかなと思い受験しました。結果、Ⅱ種、Ⅲ種ともに合格しました。

うつ病になって、何もうまくいかず、自己肯定感は下がる一方でした。そんな中でも、資格取得を通して、世間的には負の経験となることが、もしかしたらプラスになるかもしれない!と思えたことが僕の中で自信になりました。次はⅠ種を目指します!

 6.3.人との繋がり

僕にとって、たくさんの人との繋がりが大事でした。人と出会って繋がることで、新しい知見を得られることが多かったです。自室に引きこもっていた時期や、人間大嫌いになった時期もありましたが、人と出会って新しい刺激を得ることが僕にとってプラスに働いていました。たまにマイナスに働いたこと(人)もありますが、それ以上にプラスに働くことが多かったのは救いでした。

 

のこ助さん
これからは俺たちが仲間だ!
のこバブちゃん
バブ!!

7. こんな活動しています!

 7.1.おしごと (これからやりたいこと)

今は、これから先のことをじっくりと考えていくことが仕事です。

しばらくはフリーランスとして、クラウドソーシング中心に仕事を見つけていこうと思っています。

また、自分が当事者として経験したことを活かして、働く人向けにメンタルヘルス対策の重要性を発信するお仕事を展開できないかなと考えています。そのきっかけとして、町の福祉課に勉強会の開催を提案しているところです。

社労士の資格も目指しています。働く人や企業経営のサポーターになりたいなと。法律や公的サポートなどは誰も教えてくれなかったので、知らないと損することが多々あります。今度は発信もできる側になりたいと思っています。

のこバブちゃん
すごいバブ!!

他にも、これまで個人的にTシャツやパーカー等のプリントデザインを頼まれることがありました。バンドやサッカーの応援組織でグッズ製作などしてきた経験があります。それを仕事のひとつにしたくて、個人ブランド「Rethpa.」とネットショップを立ち上げました。こちらも今よりもう少し注目してもらえたらいいなぁと思っています。

(ここで出品しています)

フライヤーデザインや動画制作等もできます。なんでもそれなりに手広く出来ると思います。「器用貧乏」というやつかもしれません(笑)。

やりたいことはたくさんあるので、やりたい!と思ったことはまずやっていきたいなと思っています。結果はその後考えます。

 7.2.うつ病減らスンジャー(ブルー)

Twitter発のうつ病の当事者会グループです。一応副キャプテンを拝命しております。

うつ病の当事者として、困っている人を減らしたい!支え合える場所を作りたい!ということで発足しました。ガチガチとした組織ではないので、入退も自由です!!!「旅人達が集まる宿」のような居心地の良いグループにしていきたいなと思っています!!!

ブログやTwitterで様々な発信をする人もいますし、ちょっとだけ話を聞いて欲しい・・・と参加される方もいます。参加理由は自由!うつ病に悩む人を減らしたい!という気持ちがあれば、今日からうつ病減らスンジャー!です。

のこ太
じゃあ、俺はグリーンだな!笑

のこバブちゃん
のこ太はお呼びじゃないバブよ?

8. 繋がろう!!

 8.1.Twitter

たまに悪ふざけなツイートをしたりもしますが(笑)、是非フォローしてください!!

Twitter

 8.2.ブログ

最近更新していませんが一応…(笑) 近々ブログの移行も検討しています!

FM130 Style

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